12月24日
北村朋幹
毎日新聞より
Tomoki Kitamura Real-time Vol. 6 “Années de pèlerinage III”
初めて行く代々木上原の住宅街にある小さなコンサートホールでのコンサートです。
2時からのイタリア語の今年最後のレッスンの後、笹塚から近い代々木上原のムジカーザで念願の北村朋幹のReal-timeを
聴きに向かいました。
イタリア語は宿題もガリアとラテンの歴史に関する文章で超難しく、間接・直接目的語代名詞や副詞・形容詞を
当てはめる問題も今さらですが、難しかったです。宿題合わせだけでも時間がかかったのですが、
そのあとのクイズや、そして何と接続法にも入ってしまうという頭の中グチャグチャの、時に甘いものを
補給しながらの大変なレッスンでした。最近は簡単には習得できないから何事も面白いと思うように
なりました。まぁあまり努力してないだけなのですけれど・・・
自由席でしたが人が前から並びすぎて近所に迷惑が掛かるのでいったん5時半に整理券を配り
6時20分に整列することになっていました。私は6時過ぎに着いたのでまたどこかに行って戻っても
すぐなのでそこで、ホールから漏れてくるリハーサルの音を聞きながら建物の横で待っていました。
鈴木エドワードという建築家が設計したものです。昼間でないので全体像も撮っていません。
整列した時の月がきれいでした。私は遅く着いたのでもう最後の方ですが、100人程度のホールですので
どこでもいいかなと言う感じでした。
1階の前から4番目に座れて、ちょうど指が見える位置でした。念入りな調律が行われていました。
プログラムは直前に変更になりフォーレの「舟歌」からリストの「巡礼の年第3年 S.163より」になっていました。
事前にもメールで連絡が入っていましたが、コンサートの最後にフォーレの曲が長くて時間内に収まらなく
なったので変更したと本人から説明がありました。聴きたかったので少し残念でしたがリストがたっぷり
聴けました。
リスト:巡礼の年第3年 S.163 より
Ⅰ. 夕べの鐘、守護天使への祈り
Ⅱ. エステ荘の糸杉にⅠ:哀歌
Ⅲ. エステ荘の糸杉にⅡ:哀歌
ノーノ:…..苦悩に満ちながらも晴朗な波…(1976)
[エレクトロニクス:有馬純寿]
シャリーノ:水の都で迷子(1991)
リスト:巡礼の年第3年 S.163 より
Ⅳ. エステ荘の噴水
Ⅴ. 哀れならずや - ハンガリーの旋法で
Ⅵ. 葬送行進曲
Ⅶ. 心を高めよ
メシアン:愛の教会のまなざし(「幼児イエスに注ぐ20のまなざし」より)
アンコール
リスト:鐘が鳴る S.238
ラッヘンマン:「子供の遊び」から 第7曲「影の踊り」
別の世界に連れて行ってくれる北村朋幹のピアノ。その音の世界に浸りました。
自分が無になるくらい・・・ 現代音楽は人間の苦しみや葛藤を表しているようでしたが
光が感じられなくはありません。
この時間の芸術を聖なる夜に楽しむことができました。
静けさを聴きに。そして苦しみの後に喜びが訪れる彼の音楽は本当に素敵です。
静かな音楽です。今どんどん若手が出てきていますが、私は力で押してくる演奏は
あまり好きではありません。
演奏後、CDにサインをしていただきました。「素敵なクリスマスプレゼントをありがとう」と
言うと顔をあげてかすかに表情が緩やかになったのを感じました。私にとってこのコンサートは
最高のご褒美でした。
CDも聞いてみたかったのでちょうどよかったです。シューマンもいいけどブラームスを聞いて
みたかったので。オーディオを更新したのも北村朋幹やメンデルスゾーンの無言歌を聞いてみたかった
からでした。
黄昏に ブラームス、リスト、ベルク作品集/北村朋幹
帰り道・・・雲が流れ
星が光っていました。スマホだと明るく撮れてしまいますが、10時近くです。
12月10日にオラフソンを名古屋で聞いたときに、しらかわホールの最後の企画に館野泉さんの
コンサートがあることを知り、ちょっと心動きましたが、東京に戻ってから友人から館野さんの
番組があると教えてもらってNHKEテレだったか「鬼が弾く 左手のピアニスト 館野泉 86歳 新たな音楽への挑戦」と
「あしたも晴れ 人生レシピ」で館野さんの人生に対する姿勢を見ていたらしらかわホールでのラストコンサートに
行きたくなってしまってチケットを申し込みました。コロナ後に延期されたコンサートやバースディ・コンサートで
いつもすてきな音楽を伝えてくれていました。唯一動く左手でさえ、私と同じヘバーテン結節で曲がっているのに
あの音楽を作り出すことができるなんて信じられません。藤田真央との連弾もほほえましく素敵な番組でした。
このコンサートの数日後に、北村朋幹が何としらかわホールで初棒振りデビュー。
モーツァルトのピアノコンツェルトです。
参ったけどこれも行くしかありません。北村朋幹の音楽に対する深い思いは指揮にまで
行くのではないかと感じていたことがありましたがやっぱりねと言う感じです。
ムジカーザでたまたま知り合った私より少し若いくらいのピアノを職業とされている方も
名古屋にも行くと話していて、その後のコンサートも行くということでまたどこかで
お会いするかもしれません。その方も最近足を悪くされ、歩けるうちに行きたいと強く
思うようになったと話していました。
Dec. 24 2023 Yoyogi-Uehara
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