庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

鳥の気持ち

2007-03-05 12:07:24 | 大空
仕事ではあるが、先週末の3日間はほとんど空の生き物になっていた。頭の中はフライトプランの繰り返し、あらゆる感覚器官が風からの情報を探り、その意味を捉えるためにシンと静まりながら敏感になっている。

初日は海上と山中を含めて、カメラマンをパッセンジャーにしてのタンデムフライトだ。機動力はソロの半分以下。単なる遊びではまず飛ばない風の条件と空域で、幾分強めのシンクやリフトの機嫌を取りながら1時間以上・・・結果的には楽しくて良い経験になった。

2日目は無風下でのタンデム・テイクオフを繰り返して大汗をかいた後で、ソロの仕事を少しばかり。これでプランの半分ほどを終了した。

昨日は朝のウィンドカームをねらってローパス撮影を含めた30km。低層のモヤを抜けて200~250m辺りが最も安定していたので移動はもっぱらこの高度を使った。ハイビジョンカメラの扱いにもようやく慣れたようで、そこそこ満足のいく画が撮れた。

今回も空中で何度かカモメやトンビの皆さんとご一緒したが、特に山中荒れ気味の場所でトンビに出会うと嬉しくなると同時にホッとする。彼らも風を選ぶからだ。彼らは余程のことがない限り、飛んで面白くない風や危険な臭いのする気象では上がってこないし、ほとんど同じ空域で、その滑空姿勢やセンタリングの様子を見ていると、風の具合や大気の状態が良く分かるのだ。

鳥たちは大気を足場にして生きている。通常、大地を足場に生きている人間が大気を足場にするには少し特殊な練習をする必要があるのだが、人間とはやはり不思議な生き物で、繰り返し彼らの真似をしているうちに、それなりに彼らの気持ちが分かり始める。

億年の昔・・・生命進化の長い過程の中で、爬虫類なり初期哺乳類なりが地上の生活を続けるか大空に飛翔するかの分岐点にあった頃、我々人類の遠い祖先も彼ら鳥類の遠い祖先も、同じような喜びや悲しみを共有していたに違いない・・・と思えて仕方がないのだ。