庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

S・C・スズキ

2007-03-16 12:25:52 | 自然
12歳の少女が1992年のリオ環境サミットで感動的なアピールを成した話をこないだ少し書いた。その内容が涙が落ちるほど感動的だったので、彼女について少し調べていたら、2002年に日本にも、支援団体のサメ[トで来ていたことを知った。これはその頃の写真らしいが、やはり美しい女性に成長している。



そしてこの頃、正確には2002年の8月18日にタイム・マガジンに掲載された彼女の文章が以下である。これも私の心にスッと入ってくるものだったので、今朝一気に末オてみた。

「私が子供のころ世界は単純でした・・・」私が子供の時もそうだった。「神は生命を分かりやすいものとして創った。それを複雑にしているのは人間である。」と言ったのは飛行家でありナチュラリストでもあったチャールズ・リンドバーグだ。

自然環境云々については人類のみならず地球上の生命全てにとっての問題であり、まさにこの私自身の問題でもある。身近なところからできることに、ゆっくり楽しみながら取り組んでいきたい。

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子供のころ、世界を変えることができると信じるのは簡単でした。12歳の時、リオ・アースサミットの代表者に向かって訴えた時の情熱を私は覚えています。

「私はただの子供です。しかし、戦争に使われるお金が全部、貧困や環境問題の解決のために使われたら、この世界はどんなに素晴らしいものになるでしょう。あなた方は学校で、人と争わないこと、話し合いで解決すること、人を尊敬すること、散らかしたものを片付けること、他の生き物を傷つけないこと、分かち合うこと、欲張らないことを教えます。それではなぜ、あなた方は、私たちにするなということをしているんですか。あなた方はいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私は言わせてもらいたい。もしその言葉が本当なら、どうか本当だということを行動でしめしてください。」

私は6分間にわたって話し、スタンディングオベーションを受けました。代表者の中には涙を流している方もいました。私の訴えは彼らに届いたかもしれない、私のスピーチが現実に行動を導くかもしれないと思いました。あれから10年経ち、私はさらに多くの会議に出席してきましたが、何が成し遂げられたかはよくは分かりません。権力を持った人たちや個人の声が彼らに届くであろうという私の信頼は深く揺れ動いてきました。

リオの国際会議からいくらかの改善があったのは確かです。私の街バンクーバーでは、ほとんどの家庭がリサイクリング・ボックスを設置しました。4番街には有機栽狽フ食料品店やレストランがあふれています。自転車は人気で、数は少ないですが静かなハイブリッドカーが走り回るようになりました。しかし、新しい世紀が始まって、私の20代の世代は自然世界との繋がりをどんどん失っています。私たちは飲み水をボトルで買います。それと同時に、貧困の世界や社会的不均衡や生物多様性の喪失や気候変動やグローバリゼーションなどがもたらすものに気付いていながら、私たちの多くは、何かをするには大きすぎる問題を引き継いだと感じています。

私が子供のころ、世界は単純でした。しかし、ヤングアダルトとしての私は、教育や仕事やライフスタイルなど、だんだん複雑になっていく生活の中で選択しなければならないことを知りつつあります。私たちは生産し成功することにプレッシャーを感じ始めています。私たちは未来を見るのに、4年ごとに変わる政府の言葉や季刊のビジネスレメ[トなど近視眼的な見方を学んでいます。私たちは経済成長は進歩であると教えられます。しかし、どのようにして幸福や健康や維持可能な生活方法を追求すればよいかについては教えられません。そして、12歳のときに私たちが求めたものが理想的で無邪気なものであったことを学びつつあります。

今、私はすでに子供ではありませんが、私の子供がどのような環境の中で育つだろうかと心配しています。

ヨハネスブルグでは各国政府の代表者が議定書の実行を採択しました。確かに大事なことです。しかし、かれらは10年前のリオでも同じことをしているのです。この会議の本当にあるべきは責任です。政府だけでなく個人的な責任です。私たちは自分自身が散らかしたものを片付けてようとしていません。私たちは自分自身のライフスタイルの代償に立ち向かおうとしていません。カナダでは、西海岸でサケを東海岸ではタラを獲り尽そうとしていますが、その乱獲を止めようとはしません。化石燃料を燃やしすぎることの直接的結果である気候変動を感じ始めているというのに、街中にはSUV(スメ[ツ多目的車)が走っています。

ほんとうに環境を変えるのは私たちにかかっています。私たちは指導者たちの行動を待っていることはできません。私たちは私たち自身の責任と、どうすれば変化を起こせるかということに焦点を当てなければなりません。

去年の春の大学卒業の前に、私は若者たちにサインを求める誓約書を草案するためにエール学生環境連合の皆さんと共に働きました。「責任の認識」とされたその誓約書は、私たちの世代から、より年配の方々に私たちの目的を達成することを助け、実例をもってリードするようにと約束させようというものです。その中には、家庭ゴミを減らすとか、消費を減らすとか、車に頼らないとか、地域内で取れた作物を食べるとか、再利用できるカップを携行するとか、そして最も大切な未来に生き残ることなどの、簡単だけれど基本的なより持続的に生きる方法のリストがあります。この誓約書を3人の友人と私とでヨハネスブルグに持って行き、南アフリカの学生たちに会って、個人の義務のデモンストレーションとして世界サミットで表明する予定です。

しかし、リオからの10年間に、私はリーダーたちに訴えるだけでは充分ではないということを学びました。ずっと昔、ガンジーは言いました。「我々は自分が見たいものに自分自身が変化しなければならない」・・・私は変化は可能であることを知っています。なぜなら私自身が変わっているから。自分の考えをまだ思い描いているから。いまだに自分の人生をどう生きるか決めつつあるから。変化は偉大です。しかし、もし私たちが個人の責任を受け入れ、維持可能な選択を成そうとするのなら、数々の難問に立ち向かうことになるでしょう。そして私たちはその変化の積極的な潮流の一部となることができるのです。