庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

自然に帰る

2007-03-19 10:53:02 | 自然
「自然ほど良い教育者はない。ルソーが自然に帰れと言った言葉の中には限り無く深い意味が味われる。自然は良い教育者であると同時に、また無尽蔵の図書館である。自然の中に書かれた事実ほど多種多様にして、しかも明瞭精確な記録はあるまい。」と書いたのは大正12年の石川三四郎だった。

エマソンは森の中で透明な眼球となり、ソローは一人森に入って2年を暮らして自然の偉大さを体現した。石川は大逆事件の後ヨーロッパに亡命してフランスの農家で5年を過ごすうちに大自然の絶妙な摂理に目覚め、後に土民生活を提唱し彼なりに実践することになる。

私は彼の言う土民生活はとてもできそうもない。ただ、海民生活ならある程度は可能かもしれない・・・と思ったりもしているのだが、いずれにしても、自然世界の厳しさや美しさや不思議さを感じることなく、この世界に生きる生き物たちと接することはほとんどなくなってきている。

昨日は再び自転車散歩で海岸まで出て、干潟や浜辺の鳥たちをじっと観ていた。植物はもちろん、自然の中で生きる動物は例外なく見事に美しい。その美しさがどうしてどこから来るものか・・・ずっと考え続けているのだが、今のところ、それは自然だから美しいのだ、という同義反復みたいな答えを大きく超えるものは持っていない。



これは波紋で飾られた砂浜にャcンと一羽たたずんでいたセグロカモメ。飽きることなく静かに海に向かって立っているスキのない姿自体が美しい。近づくと風に向かって飛び立って大きく旋回し、三羽の仲間を連れて帰ってきた。スパンは1.5mはあるだろう。そのリッジソアリングのみごとさ、件p的なリーディングエッジのフォルムと太陽に白く透けて輝くトレーリングエッジ。何回見ても飽きることはない。すぐ傍の波打ち際にはマガモの家族だろう10羽ほど、私たちには私たちのスタイルがあるのよ、というような風に遊んでいる。



干潟にはその他にざっと見ただけでも、シラサギ、セキレイ、シギの仲間など数種類、何十羽かはいる。どんなに近い距離にあっても彼らは互いに干渉することはない。また、なんの遠慮もすることなく、一羽一羽それぞれが自分のスタイルのままに生きている。荘子の中の君子の交際を思い出させる風景でもある。