今日は終日雨が降った。暖かい春の雨だ。夜になってもパラパラとガレージの屋根を叩いている。私は基本的に雨天は好きではないが、雨にもさまざまな表情があり一様に嫌うことはできない。
シトシトと降り続く梅雨時の雨や冬のみぞれ雨はたまらない。しかし、春雨や夏の雷雨は少々体を濡らしてもなんとも思わない。静かな夜の雨の音はむしろ好きな部類だ。雨音とは、正しくは空から落ちる水滴が地上の物体とぶつかって発生する音だが、うるさいはずの衝突音が、この世界の喧騒を鎮め、心の中も静めていくような気持ちになる。
しばらく前のテレビ番組で、日本人と西欧人は虫の音の聞き方がまったく違い、その理由は、自然界の発する音は母音成分が多いという点で日本語に似ており、日本人は言語をつかさどる左脳でそれらを聞くからである。それは左右脳の血流量の違いで見て取れる。したがって、日本人は西欧人に比べて自然が発する音の意味を知り、自然と深く共感できる能力に長けるのである・・・というような話をある専門家がしていた。
これに似た説は以前からよく聞いている。いわく日本人は虫の音を愛でるが英語国民は雑音としか聞かない、云々。私も、夏のセミや秋のスズムシなどが発する音や早朝のスズメやハトの鳴声を、何がしかの情感をもって聞かないことは稀なのは確かである。しかし、私が野外で起居を共にしたことのある数人の西欧人が、虫の音や風の音がうるさくて寝れなかったということもない。
自然音に母音成分が多いというのはどういうことだろうか。母音とは「声帯のふるえを伴う有声音」つまり声帯の単振動で、それは最も基本的な振動運動だから、自然界においてもよくみられるというのはよく分かる。しかし、そうであれば、車やバイクの音や時々気になるパソコンのファンの音なども母音でできているのだから自然音と本質的な違いはなくなる。単振動から生まれる音の快不快は音量の問題だけでもないだろう。
また、言語の音韻に単純な母音が多いのは日本語だけではなく、スペイン語などもそうなのだから、この説に単純に賛同するわけにはいかない。それがどのような内容であれ、限られた資料から特定の民族国家の優位性を一般化することの弊害は、歴史上すでに見飽き聞き飽きている。
それは言語の性質だけの問題ではなくて、それぞれの国が持つ歴史文化や個人の生活習慣なども大きく関係しているのではないだろうか。例えば、英語しか理解できない人が英語だけで何十年か日本に住み、日本人的生活を完全に身に着けた場合に、虫の音や雨音や潮騒を聞いて左脳の血流量を増やし、英語俳句でもひねってみようかという気にならないとも限らないと思うのだが・・・さてどうであろうか。
シトシトと降り続く梅雨時の雨や冬のみぞれ雨はたまらない。しかし、春雨や夏の雷雨は少々体を濡らしてもなんとも思わない。静かな夜の雨の音はむしろ好きな部類だ。雨音とは、正しくは空から落ちる水滴が地上の物体とぶつかって発生する音だが、うるさいはずの衝突音が、この世界の喧騒を鎮め、心の中も静めていくような気持ちになる。
しばらく前のテレビ番組で、日本人と西欧人は虫の音の聞き方がまったく違い、その理由は、自然界の発する音は母音成分が多いという点で日本語に似ており、日本人は言語をつかさどる左脳でそれらを聞くからである。それは左右脳の血流量の違いで見て取れる。したがって、日本人は西欧人に比べて自然が発する音の意味を知り、自然と深く共感できる能力に長けるのである・・・というような話をある専門家がしていた。
これに似た説は以前からよく聞いている。いわく日本人は虫の音を愛でるが英語国民は雑音としか聞かない、云々。私も、夏のセミや秋のスズムシなどが発する音や早朝のスズメやハトの鳴声を、何がしかの情感をもって聞かないことは稀なのは確かである。しかし、私が野外で起居を共にしたことのある数人の西欧人が、虫の音や風の音がうるさくて寝れなかったということもない。
自然音に母音成分が多いというのはどういうことだろうか。母音とは「声帯のふるえを伴う有声音」つまり声帯の単振動で、それは最も基本的な振動運動だから、自然界においてもよくみられるというのはよく分かる。しかし、そうであれば、車やバイクの音や時々気になるパソコンのファンの音なども母音でできているのだから自然音と本質的な違いはなくなる。単振動から生まれる音の快不快は音量の問題だけでもないだろう。
また、言語の音韻に単純な母音が多いのは日本語だけではなく、スペイン語などもそうなのだから、この説に単純に賛同するわけにはいかない。それがどのような内容であれ、限られた資料から特定の民族国家の優位性を一般化することの弊害は、歴史上すでに見飽き聞き飽きている。
それは言語の性質だけの問題ではなくて、それぞれの国が持つ歴史文化や個人の生活習慣なども大きく関係しているのではないだろうか。例えば、英語しか理解できない人が英語だけで何十年か日本に住み、日本人的生活を完全に身に着けた場合に、虫の音や雨音や潮騒を聞いて左脳の血流量を増やし、英語俳句でもひねってみようかという気にならないとも限らないと思うのだが・・・さてどうであろうか。