庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

T君のこと

2007-03-28 11:10:00 | 追憶
中学・高校・大学と、極めて多感な期間を通して、私に大きな影響を与え続けた友人のT君について書くには、まだ充分な準備が整っているとは言いがたい。しかし、その準備はいつ完了するとも言えない種類のものでもあるので、少し書いて今後の資料にしておきたい。

岡山大学の理学部に進学したT君は、まもなくスカラシップでアメリカ東海岸に留学し、日本に帰ってから大学院に進んで学者の道を歩み始めた。専門は地質学で、1976年の論文は『マグニチュード3.9の地震の表面波解析による発震機構の決定』となっている。

当時の私にとって最初の大学を辞めるという選択は大問題だった。四国の片田舎に育った私には、関東周辺に身寄りも知り合いもなく、埼玉の下宿を出て新たな受験準備をするために江戸川傍のボロアパートに引越しするのも、電話帳をめくって適当に探り当てた不動産屋が、たまたま小岩にあったからというに過ぎない。

この計画については誰にも相談することなく、長い夏休みが終わった頃から着々と準備に着手し、受験直前になって、両親にも教授にも下宿屋の婆さんにもその結論だけを告げた。全ての人が反対した。

T君も例外ではなかった。そして、彼の反対理由は「君の気持ちは分からんでもないが、学問は場所を選ばない。大学が替わったからといって君の悩みや疑問は解決しないだろう。K大学はできたばかりの小さい大学で、M大学ほど名は通ってないが、素晴らしい先生がいて暖かい環境があるではないか。君は実より名を取るのか・・・」というようなことだった。

私が転学を考えた理由は「名を取る」ことよりも深刻なものだったが、この時はそれ以上のことを話すことはなかった。彼自身も自己の進路についての悩みを抱えていたに違いない。温厚な彼には珍しく厳しい返答だった。

結局、私は周囲の全ての反対を押し切って転学し、新しい環境で新しい生活を始めることになった。今から思うとムチャクチャな学生生活だ。しかし、20歳前後の男の生き方などというものは、凡そ無茶なもので、自由と苦悩をその本質とするものだろう。

2歳年上のT君は、私などよりはるかに堅実な生き方や考え方をしているようだった。私も新しい環境に慣れて、学内学外で色々と忙しくするようになった。T君も、大学院に進んで何かと忙しいらしく相互の連絡も途絶えがちになった。しかし、私は折に触れて彼の存在を思い出しながら、彼が博士課程に進んだらちょっとした祝いでもしに行こうか・・・などと考えていた。

そして、私が22歳の4月、親父が仕事の用事で東京に出てきた。年に一回あるかないかのことだ。都内のホテルで久しぶりに豪華な食事をした後で、父が重い表情でャcリと言った。「T君が死んだよ・・・」「もっと早く知らせるべきだったのかもしれないが、お前が落ち込むのは目に見えているから、今まで言わずにいた・・・」

ホテルの華やかな食堂が一気に明かりを失った。「なんで・・・?」「去年の大学院の忘年会の後、行方不明になってね・・・大騒ぎになったんだが・・・少し暖かくなって、下宿の近くの池に沈んでいるのが見つかったらしい・・・」私は言葉を失った。

アルコールに弱い私と違ってT君は強かった。一杯やると「学問とは、我が人生の目的とは、世界平和とは・・・」等など、大きな話になるのが大概だったが、それは単なる酔っ払いのホラ話ではなかった。素面の時でもこの種の話題については真面目に議論することがよくあったからだ。ひとしきり話し終えると気絶したようにどこでも寝てしまう豪放なところもあった。

後で聞いた状況を総合すると、12月末の非常に寒い夜、院の教授や仲間と大酒を飲んだ帰りに、道中、池のほとりで立小便でもしようとして足元がふらつき、冷たい水の中に落ちてそのまま寝てしまったのだろう・・・ということだった。

24歳の彼の死はあまりに唐突で理不尽だった。もうあの笑顔も涼やかな目も二度と見ることはできないのだ。もうこの世界のどこを探しても彼はいないのだ。それ以来、どんな人間も避けて通れないにもかかわらず、まともに向き合うことを容易に許さない「死の問題」が、私の心の隅から離れることはなくなった。そして否応(いやおう)なく、この日々の現実世界が相対化することになった。

人は死んだらどうなるのか・・・死後の世界は有るのか無いのか・・・もし無いとしたら人生の意味はどこにあるのか、もし有るとしたらそれはどの様なものであり、この生の世界とどういう関係性を持っているのか・・・人間が太古の時代から問い続けてきた容易には解けそうもない問題がそこにあった。

その答えを、幾多の哲人や先人の言葉の中に見出すのは簡単なことだ。それらの中にはそれなりの説得力もあり、なんとなく分かったような気になるものもある。しかし、どのような考え方を採用しても、一人の有為な人間が人生半ばにもならない若さでこの世界から突然消滅し、一方私のように無為な人間がその2倍以上もの年月この世界に存在し続けていることの必然性を、合理的に説明し、更に実証することは難しいだろう。

最近の私は、生死を有無の範疇で捉えようとすること自体に無理があるのではないかと考え始めているが、この大問題と真正面から向き合い、自己の中にゆるぎない解答を見出すには、まだ相当の時間がかかるのかもしれない。

NTT光

2007-03-28 00:37:00 | その他
NTT光の工事がさっき完了した。1~2時間でしょう・・・ということで始まった作業が、6時前から始まって9時半まで4時間近く、思っていた以上に大鰍ゥりな工事になった。どうやらケーブルを引き込む電柱を間違えたようで、道路の整理員まで出てちょっと大変なことになったらしい。夕食もとらずに遅くまで頑張っている若い担当者が可愛そうになったので、伊予カンの残りを一袋、帰りに持たせた。明朝、別に、PCのネット接続設定に来ることになっているが、セットアップCDもサーバー関係の書類も既に揃っているので、さきほど自分で済ませてしまった。



さて、肝心の速度だが・・・無線ルーターを介して繋がっているこのメインPCは4Mちょっとと、YBBのADSLとほとんど変わらない。何回かMTUの設定を変えてみても同じ結果だ。これは無線ルーターのキャパ上限が11Mだからまあ仕方がないのかもしれない。

それではと、10mのLANケーブルで繋いだ自宅のノートを見てみたら、なんと25Mも出ていた。このノートはMTUなど全く触ってないのだから、ちゃんと設定するともっと上がるかもしれない。当然のことながら、やっぱり光ケーブルは線が太いんだ~・・・と感心している。せっかくこれだけ出るのだから、ルーターを100Mのものに変えてみようか・・・と思ったりもしているが、現在のところこれで特に不都合はないのだ。

スローライフを標榜する人間が、こんなことを考えるのだから、やっぱり現代文明の魔力を侮ってはいけない。