〈この世とあの世は地つづき〉と唱え続けた、
「霊界の宣伝マン」の哀しみとは?
野村 進『丹波哲郎 見事な生涯』
講談社 2420円
俳優の丹波哲郎が亡くなったのは2006年9月のことだ。84歳だった。1922年に東京で生まれ、戦後に中央大学法学部を卒業。劇団を経て新東宝に入社する。
60年代から70年代にかけて『三匹の侍』や『キイハンター』などのテレビドラマで人気を集めた。また、『砂の器』や『日本沈没』といった映画でも、その存在感は際立っていた。
しかも、丹波にはもうひとつの顔があった。原案・脚本・総監督を務めた映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』で知られる、自称「霊界の宣伝マン」としての活動だ。
「人生はこの世だけで終わりではない。来世は存在する」という自身の死生観を公表し、「この世とあの世は地つづき」だと晩年まで唱え続けた。しかし、バラエティー番組などで霊界を語る大御所俳優の姿が、どこか奇異に見えたのも事実だ。
本書は丹波に関する初の本格評伝である。ノンフィクション作家の著者は丹波の全著作に目を通すだけでなく、彼について書かれたもの、手紙や私家版の映像も精査。さらに関係者へのインタビューも加えて「人間・丹波哲郎」の実像に迫った。
やがて「死後の世界」への関心の背後にあるものが見えてくる。第一に母親を含む近しい人たちの死であり、難病を抱えることになった妻への思いだった。
そして第二には、学徒動員で戦争に駆り出された自分が生き残ったことだ。愛する人を亡くした人たちの悲しみをやわらげるための霊界研究であり、「霊界の宣伝マン」の役割である。
長年、丹波と接してきた人物が言う。俳優は自分自身で自分以外の存在をつくりあげ、それを自分のものにしてしまう。霊界についても「自分なりの霊界をつくりあげていくにしたがい、その霊界を信じ込んでいったのではないか」。
著者によれば、丹波は「有言実行の人」だ。その意味でも全身俳優の生涯は、確かに見事なものだった。
(週刊新潮 2024.06.20号)