作品の重み・・・いきなりこいつ何言い出すんだろう・・・って思う人がいると思う。
ただ長い時間を費やした作品・・・ん・・・具体的に言えばね、モザイクやった事の
ある人でね、作品の終わりが近づいた時に・・・あぁ終わってしまうんだな・・・って
こんな感じを味わった事のある人なんかに判りやすい話なんだけれど・・・・
勿論じゃあやった事の無い人は?って質問なら、ホニャララのような・・・って何か
それに似たモノに置き換える・・・つまり比喩とか例にしてくれると、雰囲気だけは
伝わるかも知れない・・・
それはコツコツやって来た作品が、ある時突然急に重く感じるのね・・・昨日まで
何でも無く片付けしていたのに・・・。物理的な話なら、1日のタイル張る量なんて
そうそう変わらないもの。なら片手で握れるくらいの量のはずなのに、急に・・・ね。
それがおとといやって来た。もう終わるんだなぁ・・・の合図なのね・・それが。
いつ終わる?って人に聞かれると、予定は未定で決定では無いから判らないが本音。
けれど感覚で言えば、この重みを感じた時が終わりが近いと言う事なのね。
多分、子育てなんて比喩でも良いんじゃないかな?俺は子供いないからモザイクやった事無い人と気持ちを共有するのなら、お互いを知らない同士ならね。
生まれた時の記憶は無いから、人のを見たり、自分の記憶で言えば、最初は
与えられないと泣いてアピ-ルしてミルクを貰う。
それがお腹すいたって言葉を話せるようになり、生意気にもこれだけしか無いのぉぉ・・
なんてほざいたりする。
しまいには働き出して、自分で買ったり作れたりする。更に言えば結婚なんかして
別々に暮らして、いつしか死ですら立ち会えない事もある。
これが人生。普通って言えば普通。これをちょいと枝葉をつけて曲げたりねじったり
大きさを変えたり、実の内容だったりが少々違うだけ。
勿論、実がならない観葉植物なんてのもあるがね。だからそんなに驚く事は無くて
ただ勝手に思い描いたようになっていなかったり、思い描く事が漠然としていたり、
諦めたり、うらやんだり、ねたんだり、やきもち焼いたり、って気持ちに左右されたり、
結局自分自身を振り返れば、DNAは親から受け継いだ物。
親のままなら、親より劣る事が多く親のままなら所詮遺伝。そうでなければ祖先で隔世遺伝。つまりそれが理屈が判っていても乗り越える努力をし続けられるか?
別にぃぃと言い続けられるか?こんなとこ。置かれた環境で生きるも良し、代える努力を
するも良し。歩くも良し、立ち止まるのも良し、変わらずも良し。
何を選択するも本人。勿論、これも歌舞伎なら強制だけれど。どこにでも例外はあり、
絶対は無い。それも判っている。そうこんなの大人になれば判って当然・・・なのに
人は窮地に追い込まれると、悲しみの時だけ振り返る。勿論、逆も真なり。
喜びの時だけ振り返る。そうそう毎日振り返るなんて事は余り無い事。
しかし現実は、どんどんとやって来る。子供だった俺がこうして大きくなったように。
しかし親サイドは、全くと言っていいほど、成長らしい成長は見せない。
何故なら常に目線が上で何の変化も判らない・・・時に人の子供で自分の子供の成長を
知ったり、区切りの年度の催し事で気がついたりする。
一番判りやすいのは、小学校入学。あれは人生最大のイベントだね。きっと。
結婚なんて離れて行くもんで手塩に掛けた子が大きくなりましたの証だろうから。
しかもそんな時に、日本の象徴の桜なんかがアイテムと加われば、ぱっと咲き、ぱっと散る果かなさなんかで演出してくれると、俺がお母さんならウルっと来る。
痛い思いして育てたんだからね。結婚なんて横取りされる気がする・・・あはははは
けれどそれが、孫なんかつれて来ると、また新たなる喜びに変わったりする。
こんな感じかな・・・それなら、ずっとモザイクして来た人は誰にも頼まれた訳で無いのに自分の為にコツコツ夜な夜なやっていたりした訳で。
もっと楽しい事だってありそうなのにね・・・こつこつ積み上げて来たものが成長をしている事に気が付かなくて、ある時ダッコしたら重かった・・・こんな話。
目の前で自分がやって積み上げて来たものを観ていたはずなのに・・・ね。
それが時に観ていた人に凄いね・・・なんて声を掛けられハッとしたりしている訳で。
んで、俺の場合はそれをお金と引き換える・・・・訳で。ただ今回のような場合、
以前の考えとはちょっと違うのね。今までとは・・・ね。
頼まれた方のモノになるのなら、ご本人と俺の問題。けれどプレゼントとして別の人に
渡る場合、その人に伝わるのか?伝わらないのか?は作り手として非常に悩む。
悩んでも進んで、またこの重みって時間が来た。終わってしまえばお金と引き替え・・・
他人の評価・・・多少なりとも葛藤はある。
でもこれについても、今までよりも慣れているのも事実。何個作って来たか?何人子供
育てて送り出したか?みたいなもんだから、ベテラン母さんみたいになった・・・
今まで通りにしか出来ないのかな?・・・本当にって考えて進めている・・・・
最初の子も最後の子も同じには育てる事は普通無理。環境は変わっているのだから。
ただ無理が本当に無理で良いのか?変えない事が良いのか?変える事が良いのか?
最後は自分らしく・・・なんだけれど。それを振り返れば良いだけ・・・・
あぁ振り返るってめんどくさい・・・
ただ長い時間を費やした作品・・・ん・・・具体的に言えばね、モザイクやった事の
ある人でね、作品の終わりが近づいた時に・・・あぁ終わってしまうんだな・・・って
こんな感じを味わった事のある人なんかに判りやすい話なんだけれど・・・・
勿論じゃあやった事の無い人は?って質問なら、ホニャララのような・・・って何か
それに似たモノに置き換える・・・つまり比喩とか例にしてくれると、雰囲気だけは
伝わるかも知れない・・・
それはコツコツやって来た作品が、ある時突然急に重く感じるのね・・・昨日まで
何でも無く片付けしていたのに・・・。物理的な話なら、1日のタイル張る量なんて
そうそう変わらないもの。なら片手で握れるくらいの量のはずなのに、急に・・・ね。
それがおとといやって来た。もう終わるんだなぁ・・・の合図なのね・・それが。
いつ終わる?って人に聞かれると、予定は未定で決定では無いから判らないが本音。
けれど感覚で言えば、この重みを感じた時が終わりが近いと言う事なのね。
多分、子育てなんて比喩でも良いんじゃないかな?俺は子供いないからモザイクやった事無い人と気持ちを共有するのなら、お互いを知らない同士ならね。
生まれた時の記憶は無いから、人のを見たり、自分の記憶で言えば、最初は
与えられないと泣いてアピ-ルしてミルクを貰う。
それがお腹すいたって言葉を話せるようになり、生意気にもこれだけしか無いのぉぉ・・
なんてほざいたりする。
しまいには働き出して、自分で買ったり作れたりする。更に言えば結婚なんかして
別々に暮らして、いつしか死ですら立ち会えない事もある。
これが人生。普通って言えば普通。これをちょいと枝葉をつけて曲げたりねじったり
大きさを変えたり、実の内容だったりが少々違うだけ。
勿論、実がならない観葉植物なんてのもあるがね。だからそんなに驚く事は無くて
ただ勝手に思い描いたようになっていなかったり、思い描く事が漠然としていたり、
諦めたり、うらやんだり、ねたんだり、やきもち焼いたり、って気持ちに左右されたり、
結局自分自身を振り返れば、DNAは親から受け継いだ物。
親のままなら、親より劣る事が多く親のままなら所詮遺伝。そうでなければ祖先で隔世遺伝。つまりそれが理屈が判っていても乗り越える努力をし続けられるか?
別にぃぃと言い続けられるか?こんなとこ。置かれた環境で生きるも良し、代える努力を
するも良し。歩くも良し、立ち止まるのも良し、変わらずも良し。
何を選択するも本人。勿論、これも歌舞伎なら強制だけれど。どこにでも例外はあり、
絶対は無い。それも判っている。そうこんなの大人になれば判って当然・・・なのに
人は窮地に追い込まれると、悲しみの時だけ振り返る。勿論、逆も真なり。
喜びの時だけ振り返る。そうそう毎日振り返るなんて事は余り無い事。
しかし現実は、どんどんとやって来る。子供だった俺がこうして大きくなったように。
しかし親サイドは、全くと言っていいほど、成長らしい成長は見せない。
何故なら常に目線が上で何の変化も判らない・・・時に人の子供で自分の子供の成長を
知ったり、区切りの年度の催し事で気がついたりする。
一番判りやすいのは、小学校入学。あれは人生最大のイベントだね。きっと。
結婚なんて離れて行くもんで手塩に掛けた子が大きくなりましたの証だろうから。
しかもそんな時に、日本の象徴の桜なんかがアイテムと加われば、ぱっと咲き、ぱっと散る果かなさなんかで演出してくれると、俺がお母さんならウルっと来る。
痛い思いして育てたんだからね。結婚なんて横取りされる気がする・・・あはははは
けれどそれが、孫なんかつれて来ると、また新たなる喜びに変わったりする。
こんな感じかな・・・それなら、ずっとモザイクして来た人は誰にも頼まれた訳で無いのに自分の為にコツコツ夜な夜なやっていたりした訳で。
もっと楽しい事だってありそうなのにね・・・こつこつ積み上げて来たものが成長をしている事に気が付かなくて、ある時ダッコしたら重かった・・・こんな話。
目の前で自分がやって積み上げて来たものを観ていたはずなのに・・・ね。
それが時に観ていた人に凄いね・・・なんて声を掛けられハッとしたりしている訳で。
んで、俺の場合はそれをお金と引き換える・・・・訳で。ただ今回のような場合、
以前の考えとはちょっと違うのね。今までとは・・・ね。
頼まれた方のモノになるのなら、ご本人と俺の問題。けれどプレゼントとして別の人に
渡る場合、その人に伝わるのか?伝わらないのか?は作り手として非常に悩む。
悩んでも進んで、またこの重みって時間が来た。終わってしまえばお金と引き替え・・・
他人の評価・・・多少なりとも葛藤はある。
でもこれについても、今までよりも慣れているのも事実。何個作って来たか?何人子供
育てて送り出したか?みたいなもんだから、ベテラン母さんみたいになった・・・
今まで通りにしか出来ないのかな?・・・本当にって考えて進めている・・・・
最初の子も最後の子も同じには育てる事は普通無理。環境は変わっているのだから。
ただ無理が本当に無理で良いのか?変えない事が良いのか?変える事が良いのか?
最後は自分らしく・・・なんだけれど。それを振り返れば良いだけ・・・・
あぁ振り返るってめんどくさい・・・