katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲公民館でのサ-クル活動

2013-04-25 00:20:03 | モザイク教室
って言ってもねぇ・・・みんな金魚じゃ、サ-クル活動って言うより金魚祭りって感じ。
そんな中、のりちゃんお母さんが和金完成。待ってましたなのね。

これで揃った、これで下地と合体出来るのね。ただね、ここだけ読むとせかしている・・
そんな感じが出ているようだけれど、判る人には判るんだけれど、実は終わるのに

終わらせない・・・そんな表現が合う状況だったのね・・・こう言う場合。
本来はもういつ終わっても良いくらいなんだけれど、納得したいからとか、失敗を

したくないから・・・とか、いずれにせよ後向きになったり、慎重になり過ぎて、
時間が掛かり過ぎてしまったり、ここが良い塩梅って言う度を越え過ぎた状況だったり、

本来は見極めなんて言う眼で解決出来る事なんだけれど・・・ついついやり過ぎてしまう
そんな感じにドップリはまっていた・・・そんな感じだったのね。

それが証拠に実は昨日の晩に完成したらしいのね。しかもセリフを聞けばすぐ判るのね。
昨日の晩に始めたら、後少しって感じだったので、残して明日のサ-クルでも良いかな?

って思ったんですけど・・ちょっと残しても仕方無いし、終わらせちゃいました。って。
ほらね、時間調整だって出来ちゃうのね。けれど、それよりも最後までたどり着いた事。

それが一番なのね。何しろまずは完成までたどり着く事。評価とは?そこまでたどり着いた作品のみに起こり得るものだからね。

それによって知る事がいっぱいある。ああすれば良かった、こうすれば良かった・・・
って。でも、良く考えれば判る事がある。それが経験値になる事。

ほら、子育てだと思えばね・・・良く子供が親にしてくれた・・・なんて表現がある。
あれね。その子に対処、対応と向き合った結果、親に、親らしくなって行く・・・・

かと思えば、レギュラ-になる・・・・それも一緒。ただ練習をしていただけ・・・・・
好きだから・・・って人が、レギュラ-になって、抜擢された責任、重圧、そんなもんを

背負ってレギュラ-として勝つ・・・そんな事を繰り返して経験値を増すと、レギュラ-の顔になって行く。人なんてそんなもん。

それがそこに立ち止まったままだと、それより上手くはならない。
良くあるケ-スは封建的な場所の威圧感・・・・そんな空間に身を置いた場合・・・・

そうね、昔の俺のような意気地が無い根性無しと思われていたような時代に、親よりも
年上の人もいるような職人達に囲まれて生きると、気持ちが萎縮しておどおどする。

おどおどするから、チャレンジしない。失敗したくない・・・と、後ろばかりを向くから
まともにやっても出来ないのに、一度の失敗を朝なんかにしてしまうと、1日ずっと

下を向く事になる。所がこんな事を繰り返すと、腕もそうだが心が鍛えられる。
作り手って手が作る・・・体に反復練習で覚えさせる・・・確かに間違ってはいない。

けれど、反復練習で会得するのは技術のみ。作る心は同じように反復して作るもの。
しかも、同じものを作る場合であって、常に違うものを作る場合、創作意欲と評価で

上手くなって行くものだったりもする。ただ常に100点なんて取れるはずが無い。
もし作ろうとした作品の初日に上手く行かなかったら?心を鍛えていない人がね・・・・

つまり体験のように時間が掛からない作品ならともかく、大作って言うのは必ず自分の
思うように出来る訳では無いのだけれど、そこで折れない心を腕と一緒に作らないと、

自分の腕前が上がった事で、人は知らず知らずに欲張っている作品を作りたくなる・・・
ただそれがどんなに大変なのかも知らずに・・・・だから常に覚悟の確認をするのね。

平気なのかい?とね。まるで千と千尋の湯婆婆のように・・・・それが老婆心。
おっと話がそれた。要するに金魚を作った事が無いお母さんは、自分の思うように

ならなかった・・・・と思っている。初めて作ったのにね。それなのにキウイやタピオカのように去年作った経験があり、お母さんが上手いと思っている2人はと言うと、

上手く出来ている・・・・と評価をする。一体どっちが正当の評価なんだろうか?
まっ、聞かなくても判るのは2人の評価の方が正しいのね。

1作目である・・・2人は去年の私達を思い出してくれているのである。
しかしながら、お母さんの評価も間違っている訳でも無い。ただね、1作目なのね。

つまり1作目なのにどんな仕上がりを目指していたのだろうか・・・?って事なのね。
しかも1日目に今の気持ちだったか?どうか?ここね。ただ難しいのね・・・ここ。

最初にやります・・・って言った時に、初めてだから最後まで終われば良いから・・・・
今の気持ちのまま、初日のままでね・・・・と言ったはずなのね。

だとしたら、今終わったんだから、終わりましたぁ・・・で良いはずなのね。
けれど、悩んで、悩んで、悩み倒して、きっと相当辛かったと思うのね・・・・

きっと結果を出した今までの中でも1番・・・・たった20cmくらいの大きさなのにね。
良く聞くあれね・・・たかが何とか、されど何とか・・・・あれね。

たった20cmなら体験教室程度の大きさ。なのに今回の20cmはされど・・・になった。
つまり腕の上がった人って言うのは、自分の理想も上がる事になる。

それが同じように上がるのなら問題は無いが、理想は数字じゃないし、完成図がそこに
無い以上、存在しないものと比較する事になる・・・・所がね、あったのね・・・心に。

誰のが・・・?そう身の回りに次々と・・・・知らぬ間にみんなの作品を理想としていた
・・・もっと言えば、俺の作品だったり・・・・ね。それらと比べていたとしたら?

そりゃ厳し過ぎるね。比べ方が、子沢山のお母さんと、初産のお母さんくらいね。
そう考えたらね、真似ながら自分を作って行くのね。

つまりキウイやタピオカはお母さんのお姉さんになる。それがきちんと受け入れられると
更に上手くなる。確実にね。そもそもこれだけ作れた1作目の金魚に納得行かないって

言うのだから・・・。ただ今の自分を素直に受け入れて、きちんとみんなの評価も
聞いて見る。きちんと受け入れられれば、きちんと片寄らずにバランスの取れた評価が

聞けるはず。それが良い参考にもなる。長くなったけれど、良く頑張ってくれたのね。
お疲れ様なのね。そんなこんなだから今日は何すんの?って事になる。

そこでちょっときっかけ作りの手伝いをしたのね・・・・1cmタイルの4分の1の丸を
キウイやタピオカに金魚のように褒めて貰えるまで切って・・・とね。

すると、9分の1で褒めて貰えるになっていたのね。それなら次の作品への幅が広がった。
後は下絵を煮詰めて来て・・・となった。



タピオカは?と言うと、ちょっと手が痛いらしく本調子じゃない中、随分としのいで
やっている。そんな中だから、きついだろうな・・・と思って声を掛けたんだけれど、

前作は金魚が嫌いだから楽しくなかったけれど、今は楽しい・・・って言ってた。
作る横には以前には無かったと思われる本が置かれていて、何度も見て作っている。

これだけで作品の出来を見なくても判る。きちんと見て、きちんと進むから、きちんと
結果が出る。思ったようになれば心は折れずに進める。後は手の痛みと時間の問題。

終わらないかも・・・じゃなくて、行ける所までやって見よう・・・まだ時間はある。
そう考えられれば、まだまだ判らない。そこまでやって見る。

いずれにせよ、内容は全く問題無し。以前とは比べ物にならないくらい上手い。



アルルの母ちゃんも、タピオカと一緒に進めていたらしく、持っていたタイルを使い切ったらしく、良く頑張って進んでいた。ここは何とか終わって欲しい・・・と願うのみ。

そうすれば後から結果は付いて来るから・・・・。



キウイは追い込みに入って来た。いよいよ着地態勢に入ったように思うのね。

そんな中、今日はお休みだったのりちゃんの表札が出来たから・・・・とお母さんが
持って来たのね。


そんな訳で後は目地して完成なのね。

その後、先生katsuを終えて、久しぶりに作家katsuとしてユ-ミンママの家に打ち合わせ
・・・すると、ママから話を聞くと・・・・えっ壁画を作るんですか?また・・・・

俺が以前聞いていたのは、60cmくらいの大きさだったんだけれど、2.3平米くらいの大きさはある・・・つまり確実に数ヶ月は掛かる大作である・・・・・

少し身震いがした・・・・自分が以前作った作品が笑ったように思えた・・・・
以前の俺の作品が、今のお前はどうなんだ・・・?越えられるのかな・・・?あはははは

って・・・。だから今日は判らないな・・・また来るよ・・・って心の中で挨拶をした。
そんな中の打ち合わせ・・・・やる大きさ、値段を聞き終わって、いつものように

問診すると、パパが前回の作品で鯉だった・・・・俺は下の方でスペ-スとして小さかった・・・って言ってた・・・・って笑って話をしてくれたのね。

それと金魚が好きです・・・パパは・・・って。そんな中、katsuさんにお任せします。
って話が終わった・・・・パパは金魚が好きです・・・・かぁ・・・・

そんなこんな電車で帰宅。いきなり何だが、命拾いした・・・これでまだまだ生きられる

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