katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新年の計は元旦にあり・・・・って言うので、考えて見た・・・・

2015-01-01 21:43:44 | 休み?

昨日、大晦日のオードリー教室を終えて、その後、金魚の水換えを半分だけして・・・・残る半分を元旦に・・・・。去年に続き2年連続の水換え・・・まぁ、世の中広くても、元旦に金魚の池の水換えは俺だけでしょ?きっとね・・・・。

おっと、その前に、明けましておめでとうございます・・・今年もよろしくお願いします。

しかし、やるもんじゃないね・・・真冬の水換え。そもそも外で飼っている金魚は、この時期もうお休みって感じで、冬眠みたいなものなのね。もう動かないし、エサも食べなくなる・・・だから、そっとして置くべきなのね・・・・。

けれどね、しばらく変えてなかったから、このままにして置くと、3月くらいに暖かくなって、頻繁にエサを食べるようになった瞬間、一挙に水が汚れて行くのね・・・・。しかも、タチが悪いのは、真冬の水はとても澄んでいるように見えるから、ついつい見逃してしまう・・・・。

それで痛い思いをした事があるから、何としてもやった方が良いのね・・・けれど当然リスクがあって、環境が急激に変わるもんだから、弱ってしまう生体も出て来ちゃうのね・・・けれど、暖かくなった時の被害を考えると・・・・。

そんな中、今まで写真なんか撮った事が無いから、お気に入りを数点撮って観たのね・・・。

春に親魚になるような生体なのね。結構大きくなってまずまずな感じなんだけれど・・・。そんなこんなで午前中にはすべて終わって、シドさん待ちだったのね・・・・昨晩連絡があって、取りに来てくれる事になって・・・・。

 そんな訳で、午後にはいらして・・・無事納品となったのだけれど、前回の更なる注文の話・・・。正直、まともにkatsuの作品として、依頼を受ければ、10万円から・・・になるし、しかも4番目となる。しかも、ローマの件もあるから、1月は何も出来ない・・・。

そこでね、1つ提案なんだけれど、今までに無い受け方をすれば、ご納得して頂けないかな?・・・って。それは、あくまで作家katsuがメインでは無くて、けれど参加しないとは言わないけれど、何しろkatsu1人では作らない。

デザインもすべて俺と言う訳じゃない。そうね、katsuも参加するモザイク・・・そんな作品だとするのなら、長い時間も掛からないし、ある意味上手いパーツを切れるなら問題は無い・・・・そんな感じ。

そう言う作品であれば、順番が前後しても、作家katsuへの依頼とは別件で扱えると思うのね。メリットはお客さんは素早く完成するから時間が掛からないし、katsuとしては日銭になるし、みんなにしては作品の手伝いを有料で出来るような練習になる。

昨日の話の続きでは無いが、賃金が発生して多少なりの責任を負いながらの作品作りは、とても勉強になるし、良い刺激にもなる。そう言う話なら・・・と相談すると、少し考えて・・・・じゃそれで・・・となった。

詳しい金額や、下地については、シドさんがまた持ち込みみたいな事になりそうなので、そっちの様子見てから・・・となった。いずれにせよ、2月以降の話なので、かぐやにせよ、キウイにせよ、参加して貰うな人とは、おいおい打ち合わせするとして・・・。

そんなこんなでお開きとなった後、ローマの件を進展させようと考えたんだけれど、1年の計は元旦にあり・・・と言うじゃない?要するに何か事を成すのなら、元旦に予定なんぞ・・・みたいな、考えとけよ・・・1年の初めに・・・って意味ならね・・・、やっぱ金魚じゃん。

何しろ地元江戸川区である事、趣味であるけれど、唯一の戦略として営業もした上での広がり・・・そして銘木での作品の数々。更にみんなで作って見たり・・・何しろシドさんの納品が終わってお金も入って、心にちょっと余裕があっての考え・・・・。

その答えが、イタリアの地図を入れるなら、対比のような日本な部分と考えた時に、さくら・・・?って言うのは最初に浮かんだが、キウイが以前作った土佐金の作品が水面のような作品だった。そうね、のりちゃんとお母さんと俺の和金もそうだったけれど・・・。

イタリアの地図にさくらに金魚・・・・モチーフ悪く無いし、元旦に金魚の池の水換え・・・・きっと神様が教えてくれたんだろう・・・。katsu・・・金魚だよ・・・金魚って。あははははは。

って事は、これに関しても参加して貰う人が必要なのね・・・・。かぐやは当然なんだけれど・・・。そんなこんなで金魚の絵は描くとして、ひとまず気分転換にホームセンターだなっ・・・・お金も入ったし・・・・今日はホームズにして見た。

すると、おっ・・・竹があんじゃん。しかも太さも中々良いし、お値段もまずまず。それとトリマーの刃を購入。この竹は縦の部分に使うのね。本当なら、漆なんてのも欲しい所なんだけれど、塗るのが難しいのね・・・ただ、簡単に塗れるとは書いてあったんだけれど。

いずれにせよ、段々準備も整って来たから、後は構造の話になって来るのね・・・・取り付けるのに大変だと現地で苦しむからね・・・。何か素敵になりそうな気配が出て来たような・・・・さてさて・・・。


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今年最後が弟子のオードリー教室とシドさんのテーブル完成

2015-01-01 00:00:19 | モザイク教室

昨日、お知らせ通りの大晦日の午前中からオードリー教室。その前に、シドさんのテーブルの目地をしてとうとう完成。そんな中、オードリーがやって来て、久しぶりぃぃって感じだったが、あのぉ、今日は目地から・・・って言うのね。

あれ?目地をする作品なんて何かあったっけ?・・・・すると、実は・・・・

なべしきらしいんだけれど、自宅で作ったらしいのね。これが流石に弟子なのね・・・結構生意気言うようになった・・・・。目地を水色にしたいんですよね・・・・・うん良いけど、何で?・・・・って、ちょっと試した質問したら、水色の目地をしようと考えていたので、

本体になるべく水色を使わないようにしたし・・・・バックのガラスタイルも一体化すると思って・・・みたいなセリフ。これの何処が生意気か?ってな話になるだろうけれど、常に言っている結論ありきで、そうするにはどうするべきか?・・・・ってやっていた事になる。

例えば、最初に水色目地ありき・・・これはね、小説家だったら?犯人はあいつに・・・って決めてあるって感じだったり、楽曲を作る人だったら、サビのフレーズが決まっていたりするような感じなのね。

だって、作り終わっていないのに、すでに決まっているのだから・・・料理人だったらシメがなんだか決まっている・・・・みたいな。普通は、先生・・・目地は何色ですかぁ?・・・・って聞かれたり、どうしましょう?・・・・って言うのね。

そりゃそう。だって何ヶ月も掛けて作ったって、目地は1回。むしろ目地だけの事を言ったのなら、体験のような小物の作品を沢山つくって、目地を何度もした方が練習になる。つまり俺の所の生徒さんは大作が多いから、中々目地をやる機会が無いのね・・・。

ただ、ブログを見ていると、相当な数の作品を見られるので、その時に盗むなんて事が出来ると、自分の作品に生かされる。そう考えると、オードリーも同じで中々目地を出来ない1人であるはずなんだけれど、1つ先を読むなんて事なんて基本では無くて、

結論ありきで作った・・・しかも、そうする為には・・・?なんて、オードリーが一番不得意な勘に頼らない作り方・・・。しかも、こんな狭い空間に盛り沢山。更にちゃんと1つ1つのキャラが立っている中、存在感が際立っている人魚。

自分らしさも出ていて、誰が観てもオードリーの作品だと判る。なべしきサイズでは、もう俺は必要ない。質も素材の選択の相談なんかもね。更に付け加えれば、プレゼントのウエルカムボードくらいの作品であっても、下地の作成とちょっとしたアイデアだけで、

次々と作れるのだから、相当上手くなっていると思われる。がしかし、そのオードリーですら、この王子の作品は90cmもあって、けれど最初の意気込みで言うのなら、何か意外と簡単に終わると思う・・・・そう言っていた・・・。けれどもう何年か経っている・・・。

最初の思いとは掛け離れている感じである。その果てしなさが一番判っているのは本人なのだが、実はその最初の考えが余りにも簡単に考えていただけの事で、ある意味凄いのは、馬の中心の扇の模様にしても、本来早く終わりたいのなら、クラッシュなんて手も、

あるけれど、むしろ時間の掛かる事を選んだりする。つまり昨日の俺では無いが、それって美しいですか?・・・ってね。でも、ここからが大事なんだけれど、昔は大作を作るに当たって、毎週土曜日必ずここに来て、自宅でも進めていて、相当な時間を費やした。

当然ながら、それだけやれば結果は付いて来る。がしかし、その頃は、やり始めた頃・・・新鮮な気持ちでやればやるだけ楽しい。楽しいから進む、進むから楽しい・・・・と繰り返せる。でもね、そうは続かないものなのね・・・・だから継続は難しいものなのね。

ではどう考えるか?になる。まっ簡単な話でね、まずはきちんとどうして?何故?を理解する。そうすれば、是正すべきがなんであるか?にたどり着く。後はその是正の方法。これが一番の秘訣なんだけれど、こんな事は理屈の1つで、それも大切なんだけれど、他には、

目的意識・・・どうして、何故?そう言う、これを作る意識・・・・そこに思い入れが少なければ少ないほど、そんなのやら無くても良いじゃん・・・大変じゃん・・・楽しい事なんていっぱいあるし・・・明日にすれば・・・って言う気持ちになりやすい。

そんな中、果てしなさに気が付いてしまったら?更にこれに向き合う気力が無くなって行く。けれど、辞めないから、諦めないから、こうしてペースが遅くても進む・・・じゃ、こんな中、どうしたら少しは気持ちが変わるか?・・・・になる。

要するにそこがオードリーに教える事になる。まずは漠然とやらない。そして仕込みをする。自宅で例えばパーツを仕込むとする。そこで仕込むとすると、大抵は馬のバックのような1cmの4分の1みたいな決まった寸法だったりするものを仕込むものなのね。

その時に漠然とタイルを切り続けると、上手い人は簡単な話で楽々鼻歌まじりでやれるものなのね。所が簡単過ぎると、逆も真なり。飽きて来るものなのね・・・何しろ難しさが無いから単調になる。だから緊張感が無さ過ぎになるのね・・・。

これを扇1つ分が何個で形成されている・・・みたいな事を意識すると、30個とか数が判る。そして更にテンポの速めな歌を掛けて、一番の歌で何個切れたか?みたいな事を更に意識したりして見る。じゃ2番では・・・?みたいにね。

ここで注意して欲しいのは、上手い人のみ。やっとやっと切っている人がやると、質を落とすし、逆に精神的に追い込まれるからね。そうすると、じゃここまでやったら止めよう・・・とか、漠然とでは無くなるから、止める時も始める時も、何個やる・・・みたいな目標になる。

そうすれば、無理もしないし、無理も出来る・・・。自分で自分の気持ちを操作出来る。良い意味もでも、ここまで・・・だし、悪い意味でも、ここまで・・・になる。いずれにせよ、1つの参考とでも思って、仕込みの仕方なんて思って貰うと、いつか使える日が来るかもね。

まぁ、いずれにせよ、話は戻して90cmもある作品じゃないと、場所や材料が必要なだけで、指導はいらなくなった・・・・って事。おぉ怖いのね・・・上手くなるって言うのは、そう言う事。要するにその人がその人の限界みたいなチャレンジするような事が無いと、

安心、安全なんて作品ばかりでは、そこで自分の能力は止まったまま。ただ限界作品にチャレンジしてばかりでは疲れ果ててしまう。そう言う点でも、適度な小物は楽しいし、しかも小物と言えど、上手くなった人の小物だから侮れない。

本当の意味での楽しみ、趣味とは?・・・あえて今年最後のお教室で先生として言うのなら、上手くなる事。上手くなると作品の質は上がるし、上手く出来れば楽しい。最初は出来ない事が出来て楽しかった。けれど続けると、そんな気持ちは当たり前になる。

それを数年続けても、何にも特に感じなくなる。何しろ出来て当たり前になるから。そこに刺激が欲しくなる。それがプレゼントだったり、季節モノだったり・・・それが期日や貰った人の笑顔みたいなもので、自分自身と向き合っている大作とは違った楽しさを見つける

。更に人に教える・・・教える側に回ると、見えないものが見えて来る。つまりあの時の自分と出会う事になる。初めての人は、色んな事がやりたい・・・なんて思っていたりして・・・教える側は手を出さずに、口だけ出して伝える・・・ヒントになるような事をね。

けれど、これが短い時間に伝わらなかったりする。しかも、その人だけに教えている訳じゃない。ほら、いかにピンポイントに、いかに適切な・・・そして理解力も問われる。実に勉強になるのね・・・・では、その経験値を自分のお教室の時に生かすと・・・・?

いかに聞くと良いか?どう伝えると理解して貰えるか?なんて事を考えたりする事が出来る様になる。それが、自分が一方的に質問する側でしか無いのと、先生側を経験した後では、教える難しさを知った上での質問なんで、軽く、何と無く・・・って言うのが無くなる。

また1つ上手くなる1歩となる。そうね、昔、プロ野球で新庄選手が何でもかんでも振るバッティングを見て、野村監督がピッチャーをやらせたのね・・・実際ピッチャーにはならなかった事を考えると、今の理屈なのかな?

つまりピッチャーの気持ちを手に入れれば、すべての玉が打ちやすい球では無いと言う事を知る。相手の気持ちをくむと色んな事が見えたりする・・・そんな事は自分が教えて貰う側では感じられない・・・。

勿論、それだけじゃなくて、相席だったり、刺激って言う点でも、相手の技術を生で観るなんて言うのも、とても勉強になるし、俺には教えられない事があって、そもそも俺は先生に習った事が無いし、俺は俺に習えない・・・・。

昔、かぐやに言われた事があるが、師匠はkatsu先生に習った事が無いから・・・・厳しいのが判らない・・・って。もしそうなら、相席で自分と違う教え方を見る事も出来る訳で・・・。何せ個人レッスンだから、その人その人へのアドバイスは変わるから・・・。

そんな事でも、続ける楽しみの1つの刺激にもなったりする。まっ、いずれにせよ、何か自分に合った続け方が見つかると良いな・・・と思ったりするのね・・・。オードリーも、何か今までよりも何か・・・刺激となる何か・・・が見付けられると・・・と思うのね。

それは、俺がこうしろ・・・みたいに言う事では無くて、自分で何か見つけないとね・・・。ただね、90cmの作品も自分で作れるようになっちゃったら?俺益々いらなくなるのかぁ・・・・まずいなぁ・・・あははははは。

そろそろそんな腕利きに活躍して貰う仕事が欲しいねぇ・・・・新年は・・・。


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