katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ご新規さん教室と黒人トランペッターのモザイク

2017-04-07 23:48:32 | モザイク教室
これがねぇ・・・昨日の晩の勘違いから始まるのね・・・・みどりの教室が終わった後、普通ならカレンダーを見て確認するのだけれど、何と無くボヤッと眺めた・・・って感じに見ちゃったのね・・・・そして何を考えたのか?土曜日・・・と思っていたのね・・・明日は。

それで夜、事前に亀有カルチャーの積み込みも終えて・・・そんなこんなで帰宅して、これもまた更に上乗せで、変な時間に起きちゃったのね。そこでお風呂に入ってみたいな感じになり・・・じゃブログも・・・・となったが、もう朝で・・・そしたらうたた寝しちゃったのね・・・いつの間にか。

そしたら8時半なのね・・・ヤバッと思ったけれど、支度は済んでいるから慌てないでアトリエに行き、もう一度確認したら出発・・・となった時に、何と無くかぐやと話してから・・・・と電話をすると、今日はご新規ですよね・・・って。えっ?だって今日は土曜日・・・違います、金曜ですって。

げっ、じゃ荷物降ろして送迎じゃん・・・ってな具合になり、ただどれにしても早めに動いているから差し障りは無し。そんなこんなで無事に何事も無く駅で待ち合わせ・・・・ってなスタート。ご新規さんは小学生の男の子。これから定期的に・・・って事での体験。

それじゃ体験って事で何作りたい?って聞くと、トビウオぉぉって。先日のウミウシもそうだけれど、数あるモチーフの中からウミウシもかなりだけれど、数ある魚の中からトビウオって・・・中々なのね。ただ実に面白いけれどね。そもそもトビウオのモザイクって見た事が無いもんね。

それで描ける?って聞くと、うん・・・ってサラサラ何も見ないで描いちゃうのね。あらまっ、達者なのね。でもね、何かちょっと俺の記憶と若干違っていたので資料を見せて、この辺こうなっているよ・・・って言うと、あっ本当だ・・・って。だから、これから絵を描く時は良く見てね・・・って話。

似ているって部分はとても大事で、別に影や色を付けるなんてのは絵描きさんに任せるとして、輪郭やらパーツやらあるべきものや、形や大きさ、そこだけは似させるって事を意識してやる事が大事なのね。何故ならモザイクになると、どうしても繊細な絵とは違って来る。

その時に下絵からずれると、更にタイルを切るなんて事になれば、ズレズレになる。そこをなるべく意識する分、そのモチーフ自体から離れる事が少なくなり、そこに仮に変わった色合いになったとしても、色が無くても判るのなら、色に頼る事の無い絵で、モザイクが出来る事になる。

そして一番大事なのは、続ける前提の体験だから。最終的に学校に持って行く・・・こんな目的あっての1回目だからなのね。これが単なる楽しみとしてのモザイク体験なら、今のは一切無し。絵が掛けたら張ろうぜ・・・になる。何も描けたのにそんな話はいらないし、出来れば良いのね。

何しろ七面倒な話は一切する気は無いし、難しそうならアシストもあり。何しろやって見たい・・・で来てくれたのだから、四苦八苦じゃなくて、何か出来たかも・・・で十分なのね。楽しいとはそう言うもの。でも上手いものを持って行きたい・・・となれば、当然教室色は強くなるから、説明も必要。

けどね、説明なんて詰まんないのね・・・言う方も言われる方も・・・そんなの十分判ってるのね。子供はいないけれど、取り扱い説明書で具合が悪くなりそうな俺だから・・・けどね、誰かが何かをやっているのを見て覚えるような職人だったから、見て覚える・・・なんて事はいくらか出来る。

今まではそれでも良かったのね・・・要するに教える前提じゃなく自分だけの事ならね。けれど仮にも先生になっちゃったんだから、先生じゃ教えないとならない。けれど、先生が説明嫌いだから、普通の説明じゃないやり方で教えないとね・・・あはははは。

ただね、お母さんが横にいるから、大人としてやって良い事と悪い事はありそうだし、けど大事なのは最後まで出来る事・・・飽きないように、でも教えつつ、励まして・・・でも・・・悪ふざけもしたい・・・・何しろ苦笑いでも笑わないと・・・。でもね、そうは言っても・・・

モノつくりなんて、本気出すとタチが悪いもんでね・・・スポーツなら汗も涙も似合う。勉強なら褒められる。でもね、モノつくりって残酷でね、上手いか下手か?の評価しか無いのね・・・・そもそも体裁な言葉の良いじゃん・・・大抵こんな事はやっていない人のセリフで、一切心無し。

これが体験なら、初めてなのにぃぃ・・・良いじゃん。ってこれなら、上出来じゃん・・・にも聞こえる。でもね、学校に持って行くとなると、それを何と比べる?って事になると、絵と比べられるのね・・・・大抵ね。となると、絵を超えるモザイクってどんなの?になる。

しかも、まだ絵の下手な奴の評価なら、はいそうですかっ・・・ってまだしも、上手い奴に言われるとイラッと来るのね・・・何しろそんなの出来る・・・って言われているようだから。その難しさを知らずに言うにも、前者よりも後者には悪意すら覚える・・・。

こんな経験は何度もして来たんで、そうならないように・・・って老婆心もあり、けれど楽しませたいし、でも結果は更に欲しい。でもふざけ過ぎると駄目先生っぽいし、真面目かっ・・・は嫌だし、まっ俺らしい・・・って感じに今回もやろうとは思っているんだけれどね。

ってこの話が、うっとうしいかっ・・・・。って、結果・・・良いでしょ?中々。面白い事をするのね・・・この子。その中で飛び切り気に入った事があって、大絶賛したのは、まだかぶる・・・なんて教えていなかった時に、体はこの色を入れたいから、取って置いて・・・って。

ブラボぉぉぉぉぉぉぉなのね。俺はお母さんに凄いぃぃぃぃぃって言っちゃったね。1つ先を読んだ・・・まだやっていないのに・・・。
こやつ中々やる。そもそも、ピッチャーなら、最後に決める玉は取って置いて・・・って言ったようなもん。

お母さんなら、明日のお弁当の卵を取って置いて・・・って夕飯に使う卵の数を決めたようなもん。それを出来るって・・・楽しみなのね。
それがまた次回がある・・・って場合に、1つだけでもこうして彼を知った・・・って言うのは大きい。何しろ自分で見つけたのだから・・・。

そんな後は、黒人トランペッターのモザイク。




先日の続きになるが、本来ならこんな倍率が正しい俺がきちんと出来るモザイクの下絵の大きさなのに、銘木ありきでやってしまったら・・・。
下絵よりも若い人になってしまった。別に質は悪くは無いけれど、似ている似ていないでは、全く似ていない。

しかも出来た・・・に向かっていて、悪くは無いが、これでは米粒に字を書いているようで・・・とは言うものの、悪くは無いのがイラッともする。
悪いなら二度とやらないだろうが、悪く無い・・・はまたやってしまいそうで・・・。

ただ繊細さはここまで止まり。本来ならトランペットに影も入れられるのに・・・。

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みどり教室と黒人トランペッターのモザイク

2017-04-07 03:07:38 | モザイク教室
今日は久し振りにかぐやといつもの朝から始まる・・・どうやらせがれの準備も終えてかぐやは日常に戻り、せがれは旅立った。その間はかぐやと話す事も無く、それで体感したのは、今のかぐやの心境・・・勿論、子供と離れた親とかぐや不在の俺とでは意味が違うし、はぁ?何言ってんの?って人には、

中々判らないとは思うが、全てはオリジナルを作る感受性って事に繋がる話で、全てが感じる・・・って話。それで何をどう感じるか?つまり今までの日常はせがれも俺もかぐやもいる・・・ってバランスが日常だった。それは慣れると当たり前のような事だったが、その日を迎えるに当たって、日常は、

非日常に変わる・・・ただこれだけの事なのだけれど、そのただそれだけの事をどう感じたか?親離れ子離れ・・・誰もが通って来た事なのだけれど、自分が子供の話での体験と自分が親になっての反対側では当然受けるダメージは大きく違う。

こんな事を前提にかぐやとせがれは儀式のような時間を過ごした。恐らくね。では話せなかった時間、何をどう過ごしたか?俺は・・・。もし俺がせがれサイドに立てば、かぐや不在でスペル間違いなんて事が起きたりして、日常にハンカチ持った?忘れ物無い?って言われていたとしたら?

ほら、言わん事無いわっ・・・って感じになったんだろうね。つまりせがれはかぐや不在になった後に、色んな事が起きるのかも知れないし、もしかすると、今まで言われて来た事を思い出して、切り抜けて行くのかも知れないし、困ったら電話だってLINEだって昔のように連絡にお金は掛からないから、

いくらでも相談には困らない。逆にかぐやサイドの親側だとしたら?もう中々会えないのだから、これでやれる事はやったか?となると、あぁしてあげたい、こうしてあげたい・・・と親心とはそんなものだったりして・・・お別れの儀式みたいな日々を過ごしていたような気がする・・・。

つまり離れていた時間に、俺はかぐやがいなくなったとしたら?・・・を体感して、かぐやがせがれと離れる気持ちを体感した。凄く痛かった。それが母親は痛い思いをして産んだのだから、こんな気持ちの何十倍もの重みのお別れだっただろう・・・きっと。

ただ、それでは俺はかぐやを亡くしたとしたら?軽い気持ちであるか?となると、そこまででは無い・・・と人からは言われ目かも知れないが、大きな痛手となる。つまりこの経験はお別れが来るまでの時間の過ごし方を勉強した事になる。毎日同じ事がやって来る訳では無いのだから。

人との付き合いとは、大事であればあるほど、おろそかには出来ないし、出会いと別れと言うのであれば、何をどうして来たか?であって、やり尽した気持ちなら、後悔は少なくて済む。あくまで少なく・・・ね。どんなにやり尽した感があっても、所詮すべてが同じなんて事は有り得ないし、やった・・・

って気持ちは単なる自己満足であって、相手あっての事。同じであれば良いな・・・とは思いたいだけで、思う・・・と決め付けるのもどうかと思ったりもする。こんな話を久しぶりの枕にして、短い時間だったけれど、俺なりの解釈でお疲れ様・・・と声を掛けた。

そもそも明日を生きる・・・と決めた以上、終わった事は全ては過去であり、また明日の為になる糧を拾い集める事が日常。厳しいようだが、甘い事を言っても何の役にも立たないし、厳しい気持ちも特に無い。本気で向き合えば楽しい事ばかりでは無く、痛みは痛みで感じればそれも糧。

その痛みは経験値となり、先人なら私はこうした・・・って話が出来る人になり、送る言葉の歌詞では無いが、人は悲しみが多い程、人には優しく出来るのだから・・・ってあの歌詞通り。感受性なんてもんを研ぎ澄ませば、感じ方が人一倍敏感になり、保育園の子供達を見て軍隊を思い出せる。

そんな感じ・・・つまりオリジナル制作の作家としての感受性はその過敏にも思える敏感さが繊細に繋がるが、人として生きる時には諸刃の刃になり、心が弱いとダメージは大きい。それを単なる意地で乗り切ろうとしても、所詮意地は自分の考えとは違うのだから、無理をする事になり、

その無理は我慢に繋がる。我慢は限界があって堪忍袋はやがて破ける。これがストレス。心と口に出す事が違うこんな仕組み。そもそも我慢じゃなくて、明日を生きる・・・は、修行みたいなものだから、辛抱って話。辛い事を抱える。いつまで?願いが叶うまで・・・。あはははは。

つまり己が無いと辛抱は出来ない事になる。何しろ願いが無いと叶うまでの出来事を受け入れる事が出来ないだろうからね・・・つまり我慢をしようとする。じゃ我慢とは?と考えると、我慢とは、自分が考える理想が決まっている前提で一見、同じようではあるのだけれど、大きく違うのね。

これをみどり教室で使う前フリに使う事になるとはねぇ・・・・。まず調子を伺って見ようかね?・・・何でも良いのね。何を話すか?なのだから。正直に前回来てからの間に、どんな事があったか?・・・って直接表現をするのか?それともテレビの話などの自分発信では無いニュースネタでも良い。

それでも比喩のようなもので、自分の気持ち一つで選択をして話のネタで使うのだから、何をどう話そうとそれから様子を伺おうとするのだから、何を選択したか?で質問をして、これから会話をして行こうとする・・・それはその人の今の様子や状況を知る事なのね・・・。

何しろ上手くなればなるほど、繊細な事をする事になるし、しかもオリジナルとは?自分自身・・・己を知っていて・・・の前提。別に不思議な話じゃないのね。全て人のやる事なんてもんはほぼ一緒で、病気なら、気持ちが病んでいるから病気なら、その立て直しには気持ちを知る。

深層心理みたいな話で心療内科って話。これは味方になってくれる間柄。ただ明らかに病なんで自分らしさを取り戻すまでは、言われるがままになる。ではこの関係を野球の未熟なバッテリーに例えると、若手ピッチャーはベテランキャッチャーの指示通りになる。似ているね。

では別の関係に変えれば、幼い子と母親だったりする。全く同じになる。それが成長するとする。当然、ひよっこじゃ無くなるのだから、自分を出す事になり、指示通りにしていたものが、こうしたい・・・に繋がる。こうした関係は下の者が成長と共に関係性が変わって来る。

ではそれを踏まえて弟子のみどりの場合・・・確かに切る張る技術に関しては上手くなったとは思う。それは認めるとして、ではそれを生かす為の心はどうか?となると、見劣りする。ではまたこの説明の為に野球で説明すると、速い球や変化球もキレがあるようになった。

これは技術って話。ただ試合にそれをどう使うか?となると、全てが自分なのね。どうしたい?・・・になる。若手のピッチャーなら?体験なら?提案はする。俺もね・・・でも上手くなった技術はあるんだよね?・・・つまりその武器を持ってして組み立て・・・つまり配球を考えないとならない。

試合をするのならね。では試合とは?モザイクの場合作品作りになる。その重みが大作であり、オリジナルだったりする。勿論、楽しいやら楽なら、音読み訓読みの違いだけで、そう言う趣旨も初心者なら良いが、弟子のみどりがその姿勢のまま楽しめるのか?となると、そうじゃ無いから来る訳で。

では弟子となり、向上したいと思うのなら、足りないのは切る張るの技術では無く、構想・・・つまり組み立て。自分の考えをまとめて、そうするにはどうしたら良いか?が質問であって、何も語らずに、どうしたら良いですか?は質問のようで単なる丸投げ。

そんな事も判った上での様子見みたいな話の中、調子は良く無いな・・・と思う節が何個かあったのね。その決定的な話が、結婚する娘の話をした時に、行きたければ行けば良いし・・・でも親としてはどうでも良いやみたいな事ではいけないと思うし・・・・みたいなね。

ではこんな気持ちの人がサンプルの無いオリジナル・・・つまり自分自身を描いているとしたら?枕に使った話に当てはまらないだろうか?・・・・。
口に出している事に一貫性が無い。行きたければ行けば良いし・・・は勝手にしろっとも取れるし、親としては・・・の部分は、さっきの発言とは逆

とても複雑な心境な訳で・・・じゃどっち?・・・覚悟が無いのね。ではこの心境を数字にすると、覚悟ありきの場合、勝手にしろか、親としては・・ってのは、0か100かみたいなどっちかよりで判りやすい。じゃ仮に、勝手を0として、親が100とする。どっち?・・・・

これを踏まえてバスの伝達ゲームに例えて、じゃみどりが次のみどりに何をどう伝えるか?になる。でもそれは結果ありきの場合の話で、オリジナル作りは結果が判らないから、その逆なのね。つまり次のみどりにヒントを貰ってどうだった?・・・って聞き込みして行く感じなのね。

その時に、覚悟を持ってこの作品を老婆心の扉と銘打ったとする。だから次のみどりに扉って何?とは聞かないだろうから、老婆心って何?とか老婆心色ってどんな色?とか質問するんだろうね・・・その時に、相手の自分が納得して判りやすい事を伝えれば良いのだけれど、それなら単語になる。

つまり短い言葉。それをみどりは説明文みたいになる・・・そもそもそんな長い文章のようなものが作れるのか?なのね。その時に、老婆心とは?って言った時に、じゃ俺なら・・・押し付けっぽい・・・って表現をする。その時にみどりは不満げな態度を取った・・・じゃどんな感じと質問しても、

もはやこうして一言では言い表せないのね。つまりどちらにも付けないような曖昧になる。つまり作品は己自身なのだから、曖昧な感じがベースになる。所が曖昧って言うのは流動的だから、その日の気分で大きく変わる。楽しかった時と悲しかった時、いらいらした時・・・全てが違う。

なのに曖昧のまま続ければどうなるか?は見なくても判る。つまり作り手としての技術からすると、作り手の心は見劣りする事になる。その未熟さでそんな難しいテーマに取り組めるか?となれば、単語で表現すべきなのね。長々説明文章じゃなくてね・・・。

じゃ戻して、俺なら老婆心を押し付けっぽい・・・と表現したのだから、もし押し付けだけでは無い・・・と言うのなら、そこからどれ位引き戻せば良いの?って考えるのね。つまり最初にどっちに付く・・・と覚悟を決めたのなら、その複雑な部分を引き寄せるみたいな感覚でね。

それを心を乱した状況だと、あっちにも行けない、こっにも・・・となり、0の基準の辺りをウロチョロしている感じになる。なのに老婆心の扉は黒くなってしまっている・・・すでにね。さぁにっちもさっちも行かなくなる・・・それは覚悟をしたようでし切れなかったから。

まっこんな状況を一言で依存と呼ぶんだけれど・・・悩むのなら、考えれば良いのに、向き合いたくないから逃げる。逃げても覚悟した時に作った黒い扉は重く圧し掛かる・・・本当ならそれこそが老婆心なのに、どうしてもお別れの迫った複雑な気持ちと、間に合わせよう・・・みたいな焦り。

こんな葛藤をした時に、美よりも能率効率の進む・・・って方へ知らずに向かったんだろうね・・・・でも気が付いちゃうんだよね・・・自分の気持ちが落ち着けば・・・上手いとは冷静なら上達もしているのに、心持ち1つで取り乱すのだから。

しかも乱した所で切る張るならどんどんと進む・・・上手いからね。タチが悪い。そしてハッ・・・と思うと、違っている・・・と気が付いても時遅く・・・それこそが後悔であり、ストレスになる。ちゃんと、後ろ姿は見せているんだけれどね・・・それでは後ろ姿。


まず壊して直すって言うのは、直る前提では無く、直るのだろうか?どう直せるだろうか?になる。その時に、何をどう直したいのか?になる時に、この場合、sをzに直せば良いだけの感覚なら、必要最低限壊して、立て直す・・・・つまり能率効率。しかし、もし折角壊すのだから・・・となれば、

当然被害は大きくなる。更に黒人トランペッターの作品。


無理に銘木の中に押し込んだから、狭くて作りづらく、米粒に字を書いている感じ・・・・つまり美じゃなくて、書いたぁぁぁってだけ。
みどりにも言ったが、この作品も大きくしてもう1つ作り直すつもり・・・と。先生とは?自分の経験の切り売りなんだって事・・・。

みどりの大作のように思いの強い作品・・・・葛藤して当たり前だが、自分自身の様子に気が付かないと、風邪を引いて具合が悪くならないと気が付かない・・・って言っているようで、予防も無かったり、それでは元に戻るまで時間が掛かり過ぎる・・・のね。

人のフリ見て・・・って言うのなら・・・こうして失態も見せているし、フォローやリカバリーもね・・・何かのきっかけになれば良いのね。





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