katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

同じ痛み

2017-04-19 01:09:04 | イベント
今日は午後からみどりが例のイベントの準備と積み込みをしてくれるって事になっている。そんな朝、いつものようにかぐやと話す事になったが、どうやら何かやる事があるらしく、途切れ途切れの話になった・・・・ただみどりが来たら繋ぐよ・・・今日は、とだけ言って大事な事だけは伝えた。

さてそれでは・・・となるのだけれど、今日の文章はいつになく、読み手の技量が非常に必要で、面倒だな・・・って人は早めに降りて貰った方が良い。そして仮に引き続き読んだとしても、感じ取れる人と、うすら面倒で判らないって2極化するだろうと思われるのね。

そして更にその2極化の原因ははっきりしていて、判る・・・と思った人は、何らかの状況でkatsuの話を必要とする人だったり、得るモノがあるやら、習いたい・・そんな場合。そして、判らない・・・と思った人は、別段今、困るような事も無く、比較的金銭的にも恵まれていたり、更に言えば、

何と無く覗き見感覚って場合だったり、いずれにせよ、習う事なんて何1つ無し・・・そう思うような人って事でご了解願いたし。だからと言って、特に国交を断絶みたいな拒絶をする気も無く、良くあるケースみたいな話で、単なる傾向と対策のようなもので、統計学的なそんな人が多いってな話。

さて面倒な説明から始まったけれど、まずこのイベントはみどりが見つけて、みどりが売り子で全てみどりのみで完結ってものであると言う事。
そしてこんな数の作品を価格を提示して売るって事は、ほぼ初めての事であると言う事。

こんな事を踏まえて、それでは価格を決めないとならないのだけれど、依頼品は10万円から・・・と歌っている。これに付いては誰でも判るように、最低保証価格が10万円であって、最高の作品が10万円で手に入れられる訳では無いのね。ではこのイベントで一番の高値の作品はどれか?

それに付いては、みどりもかぐやも一致して黒人シンガーの作品だった。そこで最高価格と最低価格が決まれば、その中の金額を決めれば良い事になるのだから、その2つを決めた所で、いつも言う2列目の確認になる。この場合の1列目は何か?と言うと、イベントに参加する・・・だとして、

そしてどうする?が2列目だとしたら?無理しても売るのか?嫌残っても仕方無しと言う価格にするのか?どっちだって事なんだけれど、二人は安売りはしないって言うのね・・・当然、二人に聞く位だから、すでに自分なりの価格は決めてあり、しかも2列目も決めてあっての質問なのね・・・。

では俺はどんな見解で決めたか?そもそも以前のデザインフェスタ・・・覚えているかな?みんなで作った金魚の作品・・・そうね5万以下は無かった気がするのね。ではその結果は?1つも売れなかった・・・と言うよりも売れる気はしない価格だろうと誰もが思ったはずなのね。

でもその裏側には無理して売らずに、残ってもびれっじさんに展示すべき・・・これが趣旨だった。では今回は?と言うと、みどりが売り子で俺は現地に行かない・・・さっきのデザインフェスタと比較すれば、かなり理不尽な感じがする。自分が参加なら、その趣旨のままも良いだろうが、

売り子に2日間任せて自分は行かず、自分で価格を決めて、無理して売らずに頼むね・・・ってのは理不尽だし、更に売り上げが無かったら、売り子の手間の支払いが出来ずにごめん・・・・ってどうなんだろうか?・・・人として。となると、ある程度売れるべきとしたいのだけれど、

ある程度ってどの程度?って事なのね。作品作りと同じなのね・・・そう言うさじ加減的表現が一番難しいのね。つまり売る気なら希望金額を大きく下回り、ただ売れた・・・ってだけの作品の評価なんぞどうでも良い投げ売り・・・つまり、落語のかっぱだぬきの扱い・・・。

足を落としてしまった失敗作をも売らないと生活が出来ないから、わずかな生活費になれば・・・ってだけ。もはや誰にでも抱かれる女郎。そんな価格の付け方か?それとも、そんな状況であったとしても、いくらなんでも・・・・って安売りはしないって意地を張るのか?

こうして2択にすれば、おのずと答えは出る・・・売ろうと・・・。ならば自分の思っている以上に下げないと・・・となり、価格を決めたのね。
それと2人の金額を元に平均値から割り出す事にしたのね。つまり3人の底値と高値の間ってね。

ただここに大きな差があったのね・・・何故なら俺は仕方無し・・・甘んじて売ろう・・・だが、かぐやもみどりも安売りはしないだから、全く相反する表現になる・・・つまり2列目に掲げた事は、相反するんだから、阪神VS読売と言っているようなもん。会い交わる事が無いはず。

その違いで3列目以降にどんな事が待ち受けているか?・・・・・要するにこの2列目の違いは、追い込まれれば俺は卑下に繋がって行くし、2人は安売りはしない・・・つまり傲慢や過剰に意識したら?・・・売れなくなる・・・では無く、売れないようにしているようにとも思われる。

が、その意識は2人には自覚が無い。つまり理想と現実が判っていない事になる。簡単に言えば、師匠のkatsuの作品だから、安くは売りたく無いが、何しろ路上だし・・・でも売る為にはあんまり高くちゃ・・・かぐやに至っては、私があえて心を鬼にして言わないと・・・師匠になんて事も、

考えていただろうね。何しろ責任感の強い弟子でね・・・ここなのね。今の心理が合っていたとしたら?何と無く俺と同じような事を考えてはいないだろうか?・・・なのに何故、2列目の安売りになっても・・・の俺と2人の2列目に掲げた安売りはしない・・・と違っているのだろうか?

この違いが2人の本心が価格の提示に表れる・・・そもそもすべての作品は俺が作ったものだけれど、中には鏡だったり、文字の看板みたいなものだったり、リアルな生き物だったり・・・色んなモチーフがあるが、作家katsuだったり、先生katsuのサンプルだったり、商業モザイクだったり・・・

と、もし分けられる考え方を持っていたとしたら?絶対に譲れないものと、そんなにこだわりが無いものと、その場のノリでどうでも良いものとがあって、どれが大事でどれがそうでも無い・・・と言う、残酷なふるい分けを覚悟しないとならない・・・師匠を切り捨てるのだから・・・。

恐らく2人もそんな気持ちをいくらかは持って決めただろう・・・きっと。だからこそ、時間を掛けて考えさせてはならない。何故なら、時間を掛けて考えさせて果たして答えはどっちよりになると思う?・・・つまり考えれば考えるほど責任は重く、重くなれば安く提示は出来なくなる。

大体想像は付く。しかも2列目は安売りはしない・・・一体いくらの値段を付ける気だ?ってね。ではそれを踏まえて、値段を2人に決めさせて、俺はこうだった・・・じゃ平均はこれ・・・みたいに事務的に進めて行くと、最初は戸惑いながら躊躇しながら進めていたが、慣れればどんどん進む。

事務的にね。その結果は、ジャズの作品・・・つまり新作は値段がみんな一緒、鏡のような誰でも作れるような作品、または一般的に買いやすく使いやすくって言うものに関してってものがみんな一緒で、後の作品については大半が俺の提示よりも安く、酷いものは俺の提示の半額以下だった。

その結果が意味するもの・・・それが2列目の考え方の違い。つまり俺は作った者として、あえて仕方無し・・・と売ろうとして、作っていない弟子達は、安売りしないと言いつつ、売ろうとした俺の半額・・・・つまり師匠、ここは投げ売りでも売りましょう・・・と2列目を言えたのなら、

どんな価格を提示しようと良かったのに、安売りしないと言いつつ何故こんな事になったのか?・・・つまり掲げた2列目に嘘があったから。そして単なる好みで値段を付けて行ったから。売れそうだから・・・売れなそうだから・・・とね。

そしてそうなった原因は、2列目の覚悟をしっかりしなかったから。俺の一番嫌いな体裁を使ったから。そして3列目以降に覚悟を使おうとしても、2列目とは違って来る・・・当たり前の事である。何しろ2列目と3列目が相反しているのだから。そしてそれがストレスの原因になるのだから・・・。

そしてそれが大作作り・・・作品は自分自身・・・そんな事が出来ないとそう言う事になる・・・全てが一緒であって、だから人の考えはそう変わらない・・・って事に繋がって来る。そのままの考え方ではね・・・つまり何かを変えないとならない・・・とか、変えたいとか、進歩したい・・・と

願う場合、この理屈を叩き込まないと、何も変える事は出来ないと言う事。所詮、上っ面の体裁。お面を変えただけの事に過ぎない。さて、こんな事が一体何に繋がって行くか?・・・・作り手が構想を立てて、その思想を伝えようとしたり、伝わらなかったり、受け入れられたリ、受け入れたり、

傷付けたり、傷付けられたリ・・・貴方の為にと言いつつ、老婆心を通り超えて奴隷に言うように上から目線で言う奴、嫌われたくないが故に自分の意見をも言えない奴がいたり・・・言葉に出さなくても、言わなきゃ判らない・・・と、たかをくくる奴、言わなくても顔に出る奴・・・。

さてそんな事がある中、どう生きますか?ってのが生きるって事だったとする・・・ほら定義が毎日楽しいわ・・・って人には一切関係の無い話。
でも、昨日の続き・・・今からさくらが手負いの虎としてやって来るとする・・・お前らは弟子同士である。けれどさくらは病人。

健康であって病院には行っていない。心の病気って何だ?・・・見たものしか判らない奴には怪我として、包帯を巻き、傷から血を流し、薬を見せて、診断書を見せて初めて感じるのかな?・・・俺はそんな奴とは付き合いたくないな・・・大事な人ならば特にね。

じゃお前らに聞く。弟子同士と言うくくりが単なるお友達なら、死んだ時に涙の一つと香典持って行けば、そこそこの付き合いと人から見た時に、体裁はつくろえて、良い人のレッテルは張って貰えるだろうね・・・ここ以外の場所なら。けれど、俺はそんな判断はしない。

何を大事にしているのか?どんな考え方なのか?全て目に見えない事で決める。ならば心の中を覗かないとならなくなる・・・楽しい人の心の中なら楽しかったで済む。ただ辛い事を抱えていたらどうする?逃げるかぁ・・・楽をしたいもんな・・・辛いなんてまっぴらごめんだからなぁ・・・。

俺はそうは思わない。さくらが来るのなら、来る前よりも元気にならないかな・・・何かの役に立てないかな・・・と思う。がしかし、俺は病人じゃない。痛みが判らない・・・だから痛むしかない・・・じゃ今ここに弟子しかいないのだから・・・思い切り遠慮無くみねうちで叩き合おう。

それが弟子が俺に金額を付け残酷に裁く・・・必ずしくじるだろうから。何故なら自覚が無いのは悪だから・・・との教えが身に付いていないから。
つまりこのみどりが持って来たイベントは、みどりが持って来たのに、弟子を試す試験のようなものだったし、同じ痛みと言う点では、それを育てた師匠

は俺であり、出来たのなら共に喜び、出来なかったら共に泣き・・・と思うでしょ。でも違うのね。出来なかったら無能さを恥じろ・・・なのね。しかも共にでなく、上の立場である以上、責任は教えた側にある。三つ子の魂100まで・・・とも言うしね。教えと言うのは浸透すればそんなもん。

ただし浸透しないのなら、その程度の関係であり、その程度の教えである。じゃそれを踏まえて叩き合った結果、安売りをする事になり、弟子に傷つけられて、弟子は傷付けて痛み分けをした・・・そんな気持ち以上、辛いものを抱えて来るさくらを迎える方が、親身になるはずと考えて・・・。

しかしながら、それとて相手は医者に通っている病人。ちょっと傷付いた程度の2人とは意味が違うが、もし1を知って10を知れなくても、3でも4でも判るようになっていたのなら、痛い奴の気持ちで聞く事が出来て、痛い奴へのアドバイスは痛みを持って口にする事になり、さっきの話に戻って、

いかに2列目の覚悟を決めて、次へ進めるか?になる。そこで前フリとして2人に、こんな質問をした・・・自分が感じるさくらの良い所は何だ?って。
するとみどりは、人を傷付けたりしない事・・・なんてなんか文章みたいな事を言い出すのね。ねぇ、くじらぁ添削して・・・このばかちん。

そもそも俳句なら17文字で伝えないとならないのに、何文字使う気なの?まぁたるんだ事。ねぇくじら。くじらなら判るだろ?研ぎ澄ました言葉は削らないとならない事を・・・すると、言い直して、思いやりって言ったのね。まっ、短くなったのでOKとして、かぐやは?と聞くと、優しさって。

ここは時間差で聞いていたので、お互いに聞いていない意見。つまり文字数としてかぐやは流石に質問の意味はご理解しているのね。では何故短くしないとならないか?相手は心の病気だから。短く的を得た言葉にしないと考えさせてしまうような文章にしてしまったら、また考えさせてしまったりする。けれど優しさや思いやり・・・こんな言葉は意味を掘り下げなくても子供でも判りそうな言葉である。

ただ、本当はとんでもない残酷な言葉になるんだけれどね・・・この後。ではさっきの話と同じように、質問しただけで自分は無いのか?あります。
俺は一生懸命って言葉を選んだ・・じゃ自分達の選んだ言葉でさくらが来たら、まるで俳句のように貴方の思いを伝えて見て・・・・。

じゃみどりからね。さくらさん・・・思いやりを持って頑張って下さい。って事になるのかな?それとも、さくらさんは人を傷付けない人だから、傷付けないように頑張って下さいなのかな?そして、かぐやは、さくらさんは優しいんだから、優しさを忘れずに頑張って下さいなのかな?・・・・

いずれにせよ、自分の決めた2列目の責任を負って、その言葉を使って伝えないと・・・ほら気が付いた人いるよね?棟梁・・・これ見て感じた事があるよね?・・・みどりの相席の時に確かめようかな?・・・・あはははは。何故みどりのドレスが2転、3転したか?・・・これが理由。

だから自分自身なのね。作品って言うのは・・・。では俺ね。さくらは一生懸命な人。だからいついかなる時も一生懸命やるんだよ・・・になる。
でもおかしくない?この先生、一生懸命だの、頑張っただの、それは自分で言う言葉じゃなくて人から言われる評価の言葉って言ってたよね?

そうね、それは自己評価やら、自己主張する人へのアドバイスね。つまりさくらの病気は主張しない事だから、主張する事なのね・・・あははは。昔の俺だわっ。嫌われたくない・・・ばっかり。おいおい。ちょいと戻して、つまり2人の何が変か?ってのは、自分が感じた事って質問を、

思いやりやら優しさと、要するに自分が受けた恩恵のような側の感じ方のみでの表現になり、俺の一生懸命はさくら自身になっての評価のように、元気だろうがそうで無かろうが、その状況に応じて全力を尽くす・・・自分にも相手にも・・・だったとしたら?ニュアンスは変わって来る。

つまり俺は自己主張をしないさくらへ、思いやりや優しさは2人に評価されている位に持っているのだから、そうでは無い言葉を掛けたかった。
そうね、最近落語を聴くようになり、更に生徒に俳句のくじらがいる。落語はオチの前にフリを何個も入れて、まるでアンフェアの映画のごとく、

オチへの伏線を張る。そしてオチで、あぁなるほどねぇ・・・とかなり仕組まれた話として、30分以上の時間をじっくり掛けるものと、くじらのように研ぎ澄まされた洗練された17文字で、読み手が色んなそれぞれの解釈で感じ取る・・・と言う、相反するものに接したりしているのね。

それもこれも感じる・・・って事を研ぎ澄まさないと、ぼやっとしていては何も感じない。まぁ勉強になるのね・・・感受性のね。俺は俳人になりたい訳じゃないけれどね、あくまで個人の見解ならね、たった17文字なんて言葉で一体どうやって伝えるのよ・・・ちなみに今、6000文字オーバー。

こんな俺にさっ。あはははは。でもね、出来ないながらも解釈するとね、だから必殺技を使うのね。例えば季語。例えば夏・・金魚だ風鈴だひまわりだって言えば、夏に決まってんじゃんってね。言わず語らず・・・ってね。日本人なら判んだろっってね。ルールなんだよってね。

つまり文字数が少ないから、金魚で夏って2文字を稼ぐ訳ね。金魚って言葉で夏って2文字をね。所が俳句を知らなかったり、外国の人だったりすると判らなかったりするでしょ?・・・こんな事を踏まえて・・・こんな話。

これをゴルフに当てはめると、全米だの全豪なんて世界的なものになれば、世界の常識になる。がしかし、木更津やら常磐って地名だと、国内止まりになり、中にはローカルルールなんてマニアックなものもあったりする。

その考え方をローカル的に、くじらと言えば俳句じゃん、ベイスターズじゃん、金魚じゃん・・・ほら、くじらの3文字でどんだけの情報を稼げたか?
つまりさくらなら、病気・・・とかね。完全にローカルな話。けれどね、ローカルにはローカルのルールがある。

つまり俳句みたいなもんで、付き合いってのは季語のルールみたいなもんがある。知れば知るほどね。しかも有名じゃ無ければ、全てがローカルルールであって、その単位が何か?になる。例えば家族だったり、学校だったり、塾だったり職場だったり、師弟関係だったり・・・・。

そこにはそこのルールがあって、そこにはそこの季語的な、言わず語らずの説明をはしょるルールがあったりする・・・俳人じゃないのにね・・。
きっともっともっと、韻を踏む的な、きっと、もっと、ずっと・・・みたいな心地良い響きが合ったり、感じる・・・って大事だったりする。

そこは受け手は無意識にね。けれど作り手はそれを意識的に作っている訳で・・・・色々話して見たが、着地は曖昧にして見る・・・長くなったしね。でもね、あぁこんな事思っているのかぁ・・・って言うのは、何も伝えないよりも何か感じて貰えたのなら・・・。

それが例えば生徒さんだったり、例えば、遠く離れた応援してくれる人に・・・・これが根底にあって、その表現手段をモザイクを使っています・・・って話。こんな事を大事にしています・・・・って。

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