今日は亀有カルチャーの日。久しぶりにオードリーも来て・・・そんな中、まずは先日体験を経て、本格的にスタートなった方から。モチーフは海のものが好きらしく、貝やヒトデらしく、まずは下地に絵を描き写して・・・いよいよ切る事になる。ただ先日の体験で少しだけ切っているし、ぺきぺき。
切れない・・・って人はいないし、下地の輪郭を守ってクラッシュって、何でも構わない、いびつな形で埋めて行くってスタイルでヒトデの影を始めたのだけれど、ついつい切る事に集中すると、同じ形になっちゃったりして、戸惑いながらも結構きちんと切っていたのね。
最初は喰い切りの持ち方や、脇を締めるとか、基本も意識しつつ・・・何でも良いから切るじゃなくて、今後も続けるとなると、切ったパーツのみでは無くて、動作を特も意識して貰うのね。続けていると1㎝タイルのような固いタイルを使いたくなって行くからね。
そうなると、柔らかいぺきぺきタイルのように何でもどうでも、子供でも切れるタイルだから・・・・って習っていなくても切れるのと、思うように切れなくなってから基本を気にするのでは、全く意味が違って来る。既に次の展開ありき・・・で教えているのだから。
ただ当然、お小言や呪文のように繰り返さないとならない・・・・そうそれはお母さんの、ハンカチとティッシュ持った?・・・・のようにね。
ただこれが身に付くと、どんな初見のタイルやガラスであっても、対応出来るようになる。それは基本を知っているから。
それを一番柔らかいタイルのぺきぺきの時に身に付ける事が大事で、そんな基本もどうでも良く切れるにも関わらずに忠実に守れるって姿勢は、見掛けで判断しない・・・みたい事に繋がって来る。取り組む姿勢がしっかりすると、あの時こうだったから・・・こんな感じかな?って先を読める。
しかし、別に・・・簡単じゃん、切れるじゃん・・・は先生を必要とはしない。つまりその時に習う姿勢は無く、困った時だけ必要とする。でも困ってしまっている時点で1つ前の事を言わないとならず、逆に基本が今身に付いた人は、次の展開に入っても、左程困る事が無いので、切り方をまた教える・・
なんて事はほぼ無い。その良い例がおかみさん。
羽根の中の白いガラスタイルは、イリジウムって白っぽいのにタマムシ色に見えるもので、とても綺麗ではあるけれど、まぁ厄介なガラスで、切ると粉々になっちゃったりする。勿論、ガラス切りで切るなんて考え方もあるが、喰い切り1本で対応出来るのも、しっかりした基本があるから。
そうね、こちらの教える基本は余計なお金と手間は掛けない。もし掛けるなら材料へ。って話。あれもこれもって色んなものが必要なんて事じゃなくて、1本で十分。本当に必要になるまで必要無し。そう言う点では、こうしておかみさんが立証してくれているのね。お見事なのね。
こちらは久しぶりにオードリーが来たんで、見て貰っているのだけれど、要するに簡単に表現すれば、草はどんな感じ?雲はどんな感じ?なのね。
草は尖がっている感じしない?じゃ丸くは切らない。じゃ雲は?ここ。そもそもペタぁぁぁぁとしてます。なのか?フワッとしてますなのか?その人の表現一つで変わって来る。でもいくら変わってもギザッて感じじゃないと思うのね・・・・ただフワッみたいな表現を四角いタイルで表す・・・。
ここの難しさはあるけれど・・・色々試しているんだろう。次回は俺も口を出して見ようかな・・・そこはテクニックみたいな部分なんで、その人その人によって、技量や考え方などの折り合いで考えないと、みんな同じ解釈では無いからね・・・。
ただ1つだここから判断出来るのは、切る事に躊躇が無い。出来れば切らないで・・・って事が無くなった。その意識は大きい。その迷いが無いから、手間の掛かるような提案も出来るのかな?・・・みたいな事も。こうして切る事を繰り返すって言うのは、ひたすらバットを振るって感じで、
今すぐの結果じゃないかも知れないけれど、後々に生きて来る感じはするのね。そんなこんなのさくら。
ここは余り調子が良い訳じゃない中、ひたすらパーツ切り。そんな中でも良く切っている・・・。
そんなこんなのアトリエでオードリー教室。
ここも特に言う事無いのね。やれば着実に終わりに向かうだけ。そんな中、キウイが遊びに来て・・・ある意味、久しぶりの教室の中なら、緊張感が少なく済んで良かったのかもね・・・俺的には久しぶりで新鮮だったのね。
そんなこんな後、黒人トランペッターは張り終わった。
切れない・・・って人はいないし、下地の輪郭を守ってクラッシュって、何でも構わない、いびつな形で埋めて行くってスタイルでヒトデの影を始めたのだけれど、ついつい切る事に集中すると、同じ形になっちゃったりして、戸惑いながらも結構きちんと切っていたのね。
最初は喰い切りの持ち方や、脇を締めるとか、基本も意識しつつ・・・何でも良いから切るじゃなくて、今後も続けるとなると、切ったパーツのみでは無くて、動作を特も意識して貰うのね。続けていると1㎝タイルのような固いタイルを使いたくなって行くからね。
そうなると、柔らかいぺきぺきタイルのように何でもどうでも、子供でも切れるタイルだから・・・・って習っていなくても切れるのと、思うように切れなくなってから基本を気にするのでは、全く意味が違って来る。既に次の展開ありき・・・で教えているのだから。
ただ当然、お小言や呪文のように繰り返さないとならない・・・・そうそれはお母さんの、ハンカチとティッシュ持った?・・・・のようにね。
ただこれが身に付くと、どんな初見のタイルやガラスであっても、対応出来るようになる。それは基本を知っているから。
それを一番柔らかいタイルのぺきぺきの時に身に付ける事が大事で、そんな基本もどうでも良く切れるにも関わらずに忠実に守れるって姿勢は、見掛けで判断しない・・・みたい事に繋がって来る。取り組む姿勢がしっかりすると、あの時こうだったから・・・こんな感じかな?って先を読める。
しかし、別に・・・簡単じゃん、切れるじゃん・・・は先生を必要とはしない。つまりその時に習う姿勢は無く、困った時だけ必要とする。でも困ってしまっている時点で1つ前の事を言わないとならず、逆に基本が今身に付いた人は、次の展開に入っても、左程困る事が無いので、切り方をまた教える・・
なんて事はほぼ無い。その良い例がおかみさん。
羽根の中の白いガラスタイルは、イリジウムって白っぽいのにタマムシ色に見えるもので、とても綺麗ではあるけれど、まぁ厄介なガラスで、切ると粉々になっちゃったりする。勿論、ガラス切りで切るなんて考え方もあるが、喰い切り1本で対応出来るのも、しっかりした基本があるから。
そうね、こちらの教える基本は余計なお金と手間は掛けない。もし掛けるなら材料へ。って話。あれもこれもって色んなものが必要なんて事じゃなくて、1本で十分。本当に必要になるまで必要無し。そう言う点では、こうしておかみさんが立証してくれているのね。お見事なのね。
こちらは久しぶりにオードリーが来たんで、見て貰っているのだけれど、要するに簡単に表現すれば、草はどんな感じ?雲はどんな感じ?なのね。
草は尖がっている感じしない?じゃ丸くは切らない。じゃ雲は?ここ。そもそもペタぁぁぁぁとしてます。なのか?フワッとしてますなのか?その人の表現一つで変わって来る。でもいくら変わってもギザッて感じじゃないと思うのね・・・・ただフワッみたいな表現を四角いタイルで表す・・・。
ここの難しさはあるけれど・・・色々試しているんだろう。次回は俺も口を出して見ようかな・・・そこはテクニックみたいな部分なんで、その人その人によって、技量や考え方などの折り合いで考えないと、みんな同じ解釈では無いからね・・・。
ただ1つだここから判断出来るのは、切る事に躊躇が無い。出来れば切らないで・・・って事が無くなった。その意識は大きい。その迷いが無いから、手間の掛かるような提案も出来るのかな?・・・みたいな事も。こうして切る事を繰り返すって言うのは、ひたすらバットを振るって感じで、
今すぐの結果じゃないかも知れないけれど、後々に生きて来る感じはするのね。そんなこんなのさくら。
ここは余り調子が良い訳じゃない中、ひたすらパーツ切り。そんな中でも良く切っている・・・。
そんなこんなのアトリエでオードリー教室。
ここも特に言う事無いのね。やれば着実に終わりに向かうだけ。そんな中、キウイが遊びに来て・・・ある意味、久しぶりの教室の中なら、緊張感が少なく済んで良かったのかもね・・・俺的には久しぶりで新鮮だったのね。
そんなこんな後、黒人トランペッターは張り終わった。