今日は初めての棟梁が1人のお教室・・・って言っても別に何にも変わらないんだけれど、本人にしてはハードルが今まで高かったようでね。そもそもみどり教室のやり取りをブログで見て感情移入して、そこまで言わなくても・・・なんて思うと、あんなに厳しくてはきつい・・・と思ったようでね。
ただみどりと相席を重ねる度に感じるだろうが、では言われている本人は?と言うと、結局すいませんでした・・・となり、それを生で見ている棟梁は厳しい話も見てはいても、それは弟子であっていつか仕事をしたい人への話であって、自分が言われている訳では無い。と判ったようで・・・。
もっと言えば、みどりが何故上手くなったのか?の理由もはっきり判ったようで、逆にそれを見て、積極的に来たいと思って貰ったようなのね。きっとそれだけ本気で取り組もうって思っているのも伝わっては来るのね・・・そうなると逆にまだ楽しみを残しつつやりましょうって事になる。
そうね、例えば社会人のスポーツ選手とプロの選手を比較して見れば簡単な話で、社会人の場合は給料としての保証ありきで、当然すべての時間を練習に専念出来るとは限らない。逆にプロの場合、給料は出るがまともな保証は何も無く、毎日死ぬほど練習は出来るがしかし、体を壊せばおしまい。
腐っても鯛とはそう言う厳しさを生き抜くからであり、消して楽しいなんて事とは無縁に近い話。しかし活躍すれば人の応援の度合も大きく変わるし、2軍のようなプロは最低賃金の話だから、給料みたいな表現をしたが、プロはいくらでも上限はあるし、逆にクビにもなる。
では俺の弟子って何だろう?・・・って事になった時、なった奴らが判断すれば良い話で、こんな厳しい話へ来る必要は無いと思うのね。ただ逆にその厳しさは必ず楽しみの人とは違う技術を得て当然だとも思うのね。DIYと職人の違いみたいなものとか、そうね、レッスンプロなんて話でも同じ。
DIYの人は趣味であって辞める事は簡単。しかし職人は仕事・・・辞める選択では無く続ける努力をしないと生き残れない。生きられないって事は職を失うって事なのね・・・レッスンプロとは、試合で勝てなくてもレッスンのお金を得られるが、試合で稼がないと収入が無くなるのがプロ。
多分説明しなくても簡単な話だと思うのね・・・後はもっと簡単な話で修行ってなんだろう?って話。普通に生きれば一生用事の無い生き方だけれど、覚悟1つで厳しさが変わる。遊びの1日体験の座禅と、小僧さんとしての修行では同じ座禅でも変わって来る。別に普通の話だと思うのね・・・。
ただそれが俺の話だから受け入れられない話になる訳で・・・あはははは。まっ別に大した話じゃないんでこの辺で説明はおしまいにするけれど、こんな話を抱えての1人教室・・・・だから棟梁は至って真面目に考えたからハードルが上がっちゃったのね。でも逆に言えば、その上手さに興味があったって
話にも聞こえるけれどね・・・くっっっ。まっ、そんな中、1人でどう?って聞いたら、別に何にも変わらない・・・って。だよね・・・後は、全てはこの作品が終わってからの話で、今は弟子のみどりなんかの話に一喜一憂なんかせずに、相席で得るモノが何か?を良く隣で見れば簡単に上手くなる。
そもそも当たり前の話で、人はその環境に応じているだけ・・・そして後はミミズのような生き方が出来るかどうか・・・。ちなみにミミズは雌雄同体。
出会った行く先々で自分の性別を変えられる。イグアナもそう。陸のイグアナはサボテンに登る事無く落ちるのを待つ・・・これでは生きる事が不器用。
逆に海のイグアナは海藻を狩る。自分で取りに行く。完全に別ものなのに、それらが合体すると水陸両用のイグアナになる。まっ生きるとは?そう言うしくみの元、残るべきものが残るだけだと思うのね・・・・。ではこれが生き方の原点だとして、全てをそんな事と受け入れて考えれば・・・。
例えば高洲。ここは楽しみ重視。ただトップが実力者のキウイ・・・単なる楽しみでは無く、みんな何処に出しても楽しみだけの作品には見えない。当然なのね・・・トップがキウイなのだから。ただ楽しいだけじゃなくて、あの作品を目の前で作るのだから・・・。それを見る事になるのだから。
ではカルチャー。ここも楽しみだけれど2時間・・・ここはとても難しい場所でね、上手くなりたい・・・と辞めてアトリエに来ちゃった人達がいる中、おかみさんがいてくれる事で、上手くなるとこんなのが作れるのかぁ・・・・と、ここの会場でのトップなんだけれどね・・・。
みんな仲良く・・・だと、1人浮いちゃう作品になるし、そんな中、さくらが入って二人が大作みたいになると、私も・・・なんて続く人も出て来たり、新しい人が入っても、楽しみ・・・と続けられれば良いけれど、こんなに大変じゃ・・・と辞めてしまう事も多いのも事実。
これがKAMEYAさんになると、カルチャー感覚で時間が倍になるんだけれど、時間の分、進むし、時間の分上手くはなる。けれどね、上手くなるって良いのを見る・・・なんてもんが刺激になるものでね・・・結局、そこの会場に憧れるだけの作品があるか?無いか?になるのね・・・。
楽しいだけなら、素敵なサンプル作りで十分楽しめる。けれどね、作り手って貪欲だったりすると、趣味なのにもっともっと・・・となった人は、一体何をどうするとその先があるのか?になる。けれど弟子は厳しそうだ・・・ってね。あはははは。
そこで考えられるのが、憧れの作品・・・あんなの作って見たいってね。棟梁はかぐやの作品を毎日見ていて、いつかこんなの作って見たいって。
でもみどりのも・・・でもそれは全て弟子達の作品・・・・だからアトリエに興味があったんだろうね。有難い話なのね。
そんな中、こうしてアトリエに来るようになって、確かに技術やセンスなんて事も教えてはいるが、一番教えているのは心持ち。そもそも簡単に楽しむだけなら、棟梁くらいになれば十分趣味の域は超えている。けれどね、もっと・・・となると、どうしても大作を作りたくなったりする。
でもね、大作って言うのは大きさだけじゃないものでね・・・中々終わらない重圧、上手く行かない自分への苛立ち、そんなもどかしさの葛藤の中制作する訳で・・・・簡単な道のりでは無いのね。つまり技術だけじゃ乗り越えられないのね。作り手自身を鍛えないと・・・・。
ただそんな自覚が無いと、勢いだけでは続けられないのね。けれど、だからと言って大きく何かをするって事じゃなくて、ほんのちょっとだけ、ちょっとした心持ちを変えるだけ・・・そのお手伝い程度の事。その時にみどりとの相席は勉強になったんだろうね。
要するにみどりが弟子で立場が上なら、情けを掛けたいのならみどりよりも上に行かないと・・・。そもそもお母さんが子供に情けを掛けるなら判るけれど、子供に情けを掛けられるのでは情けなくなっちゃうでしょ?逆に棟梁との相席で、過去のさくらとの相席を理解しているだろうね・・・。
みどりも。あの時は下の立場、今は上の立場で・・・ね。それに気が付くと、さくらがどんな気持ちだったか?自分は何をしていたのか?全てが理解出来るだろう・・・その時に1を知ったら10を知れ・・・の意味を理解出来るのなら、じゃかぐやは?・・・じゃキウイは?と自分との関係を理解出来る。
ではその人達はどんな作品を作っているか?・・・となると、作品は自分自身。ならば、その作品がその人達って言う事になる。見習うべきはその姿勢。簡単な話で、何度も言うが、人に凄いと言われるような作品を作るようになったなら、その作品に見合った自分を作る事だと思うのね・・・。
棟梁はそろそろその自覚を持つ事・・・その心持ち1つで必ず変わる。楽しみを残しつつ上手くなりたいと言うのなら、俺のやる事は1つ。棟梁の心の中に自覚って種を植えて、枯れないようにするだけ・・・・そんな事の繰り返し。後はみどりが良くも悪くも見せてくれるはず。
何せ弟子なのだから。痛みは必ず糧になるものだから・・・。そんなこんな後はウミウシなんだけれど、画像の撮り忘れ。それは明日にして、そうそう、厳しい話ばかりじゃなんなんで、どうでも良いこんな話。先日スーパーでそろそろタケノコの季節だし・・・とタケノコの煮物を買ったのね。
ここからは主婦の皆さんなら判って貰えると思うんだけれど、タケノコの煮物とは表示されていないのね・・・そこには土佐煮とか、若竹煮とか表示されていたりするのね・・・でも俺のお袋はタケノコ煮たから・・・みたいに言ってた気がするのね・・・・。
ほら、どうでも良い話でしょ?・・・んでね、例えば筑前煮とか土佐煮とか、地名が付いているからきっと名産なんじゃないのかな?とか思ったりする訳ね・・・想像でね。ここでググったら簡単なのに、そこをみんなに聞いて行く訳ね・・・何せ疑問の捜査だし、誰も傷付かない話題なのだから。
更に言えば、別に一緒なら名前を統一すれば良いのに、違うから名前が別なんだろうから・・・そうすると、東と西の違いとかなのかな?って思ったりして・・・そんな中、業務連絡がかぐやから来て、聞いて見たら・・・若竹煮は昆布とかと一緒に煮るって・・・それは棟梁も言ってたのね。
そしたら土佐煮はカツオが乗ってて・・・土佐はカツオ・・・あぁそう言う事かぁ・・・そう言えば乗ってた。じゃ俺が今まで食べていたのは、土佐煮だったのね・・・って解決したと思ったら、ガメ煮とも言うなんて、今まで一度も聞いた事の無い事を言うのね・・・・ガメと来たら、ラでしょ?
ガメニって・・・また誰かに聞いて見よっと。これをクグったら、何か味気ないのね・・・それは最後の最後にしないと・・・こんな話は慌てていないんだから。まっ、俺の趣味みたいなもんだから・・・。
ただみどりと相席を重ねる度に感じるだろうが、では言われている本人は?と言うと、結局すいませんでした・・・となり、それを生で見ている棟梁は厳しい話も見てはいても、それは弟子であっていつか仕事をしたい人への話であって、自分が言われている訳では無い。と判ったようで・・・。
もっと言えば、みどりが何故上手くなったのか?の理由もはっきり判ったようで、逆にそれを見て、積極的に来たいと思って貰ったようなのね。きっとそれだけ本気で取り組もうって思っているのも伝わっては来るのね・・・そうなると逆にまだ楽しみを残しつつやりましょうって事になる。
そうね、例えば社会人のスポーツ選手とプロの選手を比較して見れば簡単な話で、社会人の場合は給料としての保証ありきで、当然すべての時間を練習に専念出来るとは限らない。逆にプロの場合、給料は出るがまともな保証は何も無く、毎日死ぬほど練習は出来るがしかし、体を壊せばおしまい。
腐っても鯛とはそう言う厳しさを生き抜くからであり、消して楽しいなんて事とは無縁に近い話。しかし活躍すれば人の応援の度合も大きく変わるし、2軍のようなプロは最低賃金の話だから、給料みたいな表現をしたが、プロはいくらでも上限はあるし、逆にクビにもなる。
では俺の弟子って何だろう?・・・って事になった時、なった奴らが判断すれば良い話で、こんな厳しい話へ来る必要は無いと思うのね。ただ逆にその厳しさは必ず楽しみの人とは違う技術を得て当然だとも思うのね。DIYと職人の違いみたいなものとか、そうね、レッスンプロなんて話でも同じ。
DIYの人は趣味であって辞める事は簡単。しかし職人は仕事・・・辞める選択では無く続ける努力をしないと生き残れない。生きられないって事は職を失うって事なのね・・・レッスンプロとは、試合で勝てなくてもレッスンのお金を得られるが、試合で稼がないと収入が無くなるのがプロ。
多分説明しなくても簡単な話だと思うのね・・・後はもっと簡単な話で修行ってなんだろう?って話。普通に生きれば一生用事の無い生き方だけれど、覚悟1つで厳しさが変わる。遊びの1日体験の座禅と、小僧さんとしての修行では同じ座禅でも変わって来る。別に普通の話だと思うのね・・・。
ただそれが俺の話だから受け入れられない話になる訳で・・・あはははは。まっ別に大した話じゃないんでこの辺で説明はおしまいにするけれど、こんな話を抱えての1人教室・・・・だから棟梁は至って真面目に考えたからハードルが上がっちゃったのね。でも逆に言えば、その上手さに興味があったって
話にも聞こえるけれどね・・・くっっっ。まっ、そんな中、1人でどう?って聞いたら、別に何にも変わらない・・・って。だよね・・・後は、全てはこの作品が終わってからの話で、今は弟子のみどりなんかの話に一喜一憂なんかせずに、相席で得るモノが何か?を良く隣で見れば簡単に上手くなる。
そもそも当たり前の話で、人はその環境に応じているだけ・・・そして後はミミズのような生き方が出来るかどうか・・・。ちなみにミミズは雌雄同体。
出会った行く先々で自分の性別を変えられる。イグアナもそう。陸のイグアナはサボテンに登る事無く落ちるのを待つ・・・これでは生きる事が不器用。
逆に海のイグアナは海藻を狩る。自分で取りに行く。完全に別ものなのに、それらが合体すると水陸両用のイグアナになる。まっ生きるとは?そう言うしくみの元、残るべきものが残るだけだと思うのね・・・・。ではこれが生き方の原点だとして、全てをそんな事と受け入れて考えれば・・・。
例えば高洲。ここは楽しみ重視。ただトップが実力者のキウイ・・・単なる楽しみでは無く、みんな何処に出しても楽しみだけの作品には見えない。当然なのね・・・トップがキウイなのだから。ただ楽しいだけじゃなくて、あの作品を目の前で作るのだから・・・。それを見る事になるのだから。
ではカルチャー。ここも楽しみだけれど2時間・・・ここはとても難しい場所でね、上手くなりたい・・・と辞めてアトリエに来ちゃった人達がいる中、おかみさんがいてくれる事で、上手くなるとこんなのが作れるのかぁ・・・・と、ここの会場でのトップなんだけれどね・・・。
みんな仲良く・・・だと、1人浮いちゃう作品になるし、そんな中、さくらが入って二人が大作みたいになると、私も・・・なんて続く人も出て来たり、新しい人が入っても、楽しみ・・・と続けられれば良いけれど、こんなに大変じゃ・・・と辞めてしまう事も多いのも事実。
これがKAMEYAさんになると、カルチャー感覚で時間が倍になるんだけれど、時間の分、進むし、時間の分上手くはなる。けれどね、上手くなるって良いのを見る・・・なんてもんが刺激になるものでね・・・結局、そこの会場に憧れるだけの作品があるか?無いか?になるのね・・・。
楽しいだけなら、素敵なサンプル作りで十分楽しめる。けれどね、作り手って貪欲だったりすると、趣味なのにもっともっと・・・となった人は、一体何をどうするとその先があるのか?になる。けれど弟子は厳しそうだ・・・ってね。あはははは。
そこで考えられるのが、憧れの作品・・・あんなの作って見たいってね。棟梁はかぐやの作品を毎日見ていて、いつかこんなの作って見たいって。
でもみどりのも・・・でもそれは全て弟子達の作品・・・・だからアトリエに興味があったんだろうね。有難い話なのね。
そんな中、こうしてアトリエに来るようになって、確かに技術やセンスなんて事も教えてはいるが、一番教えているのは心持ち。そもそも簡単に楽しむだけなら、棟梁くらいになれば十分趣味の域は超えている。けれどね、もっと・・・となると、どうしても大作を作りたくなったりする。
でもね、大作って言うのは大きさだけじゃないものでね・・・中々終わらない重圧、上手く行かない自分への苛立ち、そんなもどかしさの葛藤の中制作する訳で・・・・簡単な道のりでは無いのね。つまり技術だけじゃ乗り越えられないのね。作り手自身を鍛えないと・・・・。
ただそんな自覚が無いと、勢いだけでは続けられないのね。けれど、だからと言って大きく何かをするって事じゃなくて、ほんのちょっとだけ、ちょっとした心持ちを変えるだけ・・・そのお手伝い程度の事。その時にみどりとの相席は勉強になったんだろうね。
要するにみどりが弟子で立場が上なら、情けを掛けたいのならみどりよりも上に行かないと・・・。そもそもお母さんが子供に情けを掛けるなら判るけれど、子供に情けを掛けられるのでは情けなくなっちゃうでしょ?逆に棟梁との相席で、過去のさくらとの相席を理解しているだろうね・・・。
みどりも。あの時は下の立場、今は上の立場で・・・ね。それに気が付くと、さくらがどんな気持ちだったか?自分は何をしていたのか?全てが理解出来るだろう・・・その時に1を知ったら10を知れ・・・の意味を理解出来るのなら、じゃかぐやは?・・・じゃキウイは?と自分との関係を理解出来る。
ではその人達はどんな作品を作っているか?・・・となると、作品は自分自身。ならば、その作品がその人達って言う事になる。見習うべきはその姿勢。簡単な話で、何度も言うが、人に凄いと言われるような作品を作るようになったなら、その作品に見合った自分を作る事だと思うのね・・・。
棟梁はそろそろその自覚を持つ事・・・その心持ち1つで必ず変わる。楽しみを残しつつ上手くなりたいと言うのなら、俺のやる事は1つ。棟梁の心の中に自覚って種を植えて、枯れないようにするだけ・・・・そんな事の繰り返し。後はみどりが良くも悪くも見せてくれるはず。
何せ弟子なのだから。痛みは必ず糧になるものだから・・・。そんなこんな後はウミウシなんだけれど、画像の撮り忘れ。それは明日にして、そうそう、厳しい話ばかりじゃなんなんで、どうでも良いこんな話。先日スーパーでそろそろタケノコの季節だし・・・とタケノコの煮物を買ったのね。
ここからは主婦の皆さんなら判って貰えると思うんだけれど、タケノコの煮物とは表示されていないのね・・・そこには土佐煮とか、若竹煮とか表示されていたりするのね・・・でも俺のお袋はタケノコ煮たから・・・みたいに言ってた気がするのね・・・・。
ほら、どうでも良い話でしょ?・・・んでね、例えば筑前煮とか土佐煮とか、地名が付いているからきっと名産なんじゃないのかな?とか思ったりする訳ね・・・想像でね。ここでググったら簡単なのに、そこをみんなに聞いて行く訳ね・・・何せ疑問の捜査だし、誰も傷付かない話題なのだから。
更に言えば、別に一緒なら名前を統一すれば良いのに、違うから名前が別なんだろうから・・・そうすると、東と西の違いとかなのかな?って思ったりして・・・そんな中、業務連絡がかぐやから来て、聞いて見たら・・・若竹煮は昆布とかと一緒に煮るって・・・それは棟梁も言ってたのね。
そしたら土佐煮はカツオが乗ってて・・・土佐はカツオ・・・あぁそう言う事かぁ・・・そう言えば乗ってた。じゃ俺が今まで食べていたのは、土佐煮だったのね・・・って解決したと思ったら、ガメ煮とも言うなんて、今まで一度も聞いた事の無い事を言うのね・・・・ガメと来たら、ラでしょ?
ガメニって・・・また誰かに聞いて見よっと。これをクグったら、何か味気ないのね・・・それは最後の最後にしないと・・・こんな話は慌てていないんだから。まっ、俺の趣味みたいなもんだから・・・。