今日は棟梁とおかみさんの相席教室。ひとまず棟梁の画像も一緒に・・・。
この2人くらいになると、やっている事が繊細過ぎる感じで、正直教える事が余りにもマニアックになるのね・・・例えば羽根がある繫がりとして、2人共に一緒な感じのものを作っている・・・しかも羽根があるから人では無い架空のもの。さてそれでは一旦ここから離れて・・・・。
くだらい事を真面目に掘り下げるんだけれど、半魚人と人魚そして先日の俳句の季語みたいな話を絡めて、まず一見とても似ている感じがするんだけれど、全く違うものなのね。何しろどちらも架空で、けれどね、きちんと日本語通りに解釈すれば、・・・人と、・・・・魚の違い。
つまり人って方は、あくまでも人なのだから足がある。方や・・・魚だから、尻尾になる。だから半魚人は人よりであって、人魚は魚よりの生き物になるのね。ここまでは日本語の見たままの情報になるが、今度は俳句の季語的解釈として、人魚のオスとか、半魚人のメスって見た事ある?・・・・
もし思っている通りだったら・・・・、いなかったとすると、人魚と言ったらメスであり、半魚人と言えばオスと言ったようなもん。季語的発想。
もう言わずと決まっている事なのね。これが作り手の操作によるもので、もう決まっていた事なのね。
って事を踏まえて、この2人の作品は一体何者なんだろう?って考えたとするでしょ?となると、妖精とか天使とかって言うと思うのね。そうなると、おかみさんのは判りやすいと思うんだけれど、花の天使とは言わないだろうから、花の妖精なのね・・・きっと。
そうすると、妖精の150cmっていると思う?・・・・多分いないと思うし、そんなでかい花があったとしたら?人食い花みたいになっちゃうから、恐らく10cmとか15cm程度の生き物なんだろうね・・・きっと。ほら、季語的な言わず語らず決まっている・・・・。
しかもこの時点でどんなに人っぽく見えても、15cmじゃ虫よりな感じがするのね。では棟梁は?って言うと、結構大きそうでしょ?他の2匹の生き物の大きさから言うと人間の大きさ位ありそうで、恐らくこちらは天使に近い感じがするのね・・・。ほらさっきの半魚人と人魚みたいに似ていそうで似てない。
こんな事を踏まえて、棟梁は人よりの生き物になっている・・・って感じに見えていたとする。その時に更に先日の聖子ちゃん的な話も加えると、もし人よりに見える状況に上乗せするように肌色にしたとする・・・可愛いものの上乗せ・・・これでもかって・・・それが聖子ちゃん的発想。
そうすると、人よりなのに、更にもっと人っぽくなる。ただもし棟梁が人じゃない・・・って方向にしたいとしたら、相反する方向にすべきだから、肌色じゃないと思われるのね・・・じゃ人に見えない色って何だ?となると、青ならアバターみたいになるよね・・・。
そんな考えをした時に、絶対にやっちゃいけない事があると思うのね。それが人に見える・・・って事を前提に、生きている人が具合が悪く見える時に表現に使う、青白い・・・って病気っぽくなるでしょ?つまり病人に見えるようでは困るのね。逆におかみさんの方は花の妖精って事で人では無い。
そう思わせているから、逆に人よりに肌色にしたとしても、花がある時点で妖精って事で、どんな事をしても人にはならない。なんて感じに見えるのでは無いか?・・・みたいに自分がどちら側にいて、どう味付けして行くか?になるのね。それを単に好きな色を選んでいては浅くなるのね。
何しろ自分の趣旨に沿って・・・この2人はそう言う事を考えて作らないと・・・その位の事をする実力はあると思うのね。
ただ考えるって言うのはそう楽じゃないのね・・・でも、ピタリと決まった時の心地良さはやった人なら良く判ると思うのだけれどね。
まぁだけど、ここまで教えるようになると、教えている方も結構ナーバスになる・・・相当繊細になるからね。いずれにせよ、ひと手間って何も切る張るだけじゃないのね・・・構想にひと手間なんて事も同じように言えると思うのね。
そんなお教室の後はウミウシ・・・。
この2人くらいになると、やっている事が繊細過ぎる感じで、正直教える事が余りにもマニアックになるのね・・・例えば羽根がある繫がりとして、2人共に一緒な感じのものを作っている・・・しかも羽根があるから人では無い架空のもの。さてそれでは一旦ここから離れて・・・・。
くだらい事を真面目に掘り下げるんだけれど、半魚人と人魚そして先日の俳句の季語みたいな話を絡めて、まず一見とても似ている感じがするんだけれど、全く違うものなのね。何しろどちらも架空で、けれどね、きちんと日本語通りに解釈すれば、・・・人と、・・・・魚の違い。
つまり人って方は、あくまでも人なのだから足がある。方や・・・魚だから、尻尾になる。だから半魚人は人よりであって、人魚は魚よりの生き物になるのね。ここまでは日本語の見たままの情報になるが、今度は俳句の季語的解釈として、人魚のオスとか、半魚人のメスって見た事ある?・・・・
もし思っている通りだったら・・・・、いなかったとすると、人魚と言ったらメスであり、半魚人と言えばオスと言ったようなもん。季語的発想。
もう言わずと決まっている事なのね。これが作り手の操作によるもので、もう決まっていた事なのね。
って事を踏まえて、この2人の作品は一体何者なんだろう?って考えたとするでしょ?となると、妖精とか天使とかって言うと思うのね。そうなると、おかみさんのは判りやすいと思うんだけれど、花の天使とは言わないだろうから、花の妖精なのね・・・きっと。
そうすると、妖精の150cmっていると思う?・・・・多分いないと思うし、そんなでかい花があったとしたら?人食い花みたいになっちゃうから、恐らく10cmとか15cm程度の生き物なんだろうね・・・きっと。ほら、季語的な言わず語らず決まっている・・・・。
しかもこの時点でどんなに人っぽく見えても、15cmじゃ虫よりな感じがするのね。では棟梁は?って言うと、結構大きそうでしょ?他の2匹の生き物の大きさから言うと人間の大きさ位ありそうで、恐らくこちらは天使に近い感じがするのね・・・。ほらさっきの半魚人と人魚みたいに似ていそうで似てない。
こんな事を踏まえて、棟梁は人よりの生き物になっている・・・って感じに見えていたとする。その時に更に先日の聖子ちゃん的な話も加えると、もし人よりに見える状況に上乗せするように肌色にしたとする・・・可愛いものの上乗せ・・・これでもかって・・・それが聖子ちゃん的発想。
そうすると、人よりなのに、更にもっと人っぽくなる。ただもし棟梁が人じゃない・・・って方向にしたいとしたら、相反する方向にすべきだから、肌色じゃないと思われるのね・・・じゃ人に見えない色って何だ?となると、青ならアバターみたいになるよね・・・。
そんな考えをした時に、絶対にやっちゃいけない事があると思うのね。それが人に見える・・・って事を前提に、生きている人が具合が悪く見える時に表現に使う、青白い・・・って病気っぽくなるでしょ?つまり病人に見えるようでは困るのね。逆におかみさんの方は花の妖精って事で人では無い。
そう思わせているから、逆に人よりに肌色にしたとしても、花がある時点で妖精って事で、どんな事をしても人にはならない。なんて感じに見えるのでは無いか?・・・みたいに自分がどちら側にいて、どう味付けして行くか?になるのね。それを単に好きな色を選んでいては浅くなるのね。
何しろ自分の趣旨に沿って・・・この2人はそう言う事を考えて作らないと・・・その位の事をする実力はあると思うのね。
ただ考えるって言うのはそう楽じゃないのね・・・でも、ピタリと決まった時の心地良さはやった人なら良く判ると思うのだけれどね。
まぁだけど、ここまで教えるようになると、教えている方も結構ナーバスになる・・・相当繊細になるからね。いずれにせよ、ひと手間って何も切る張るだけじゃないのね・・・構想にひと手間なんて事も同じように言えると思うのね。
そんなお教室の後はウミウシ・・・。