katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁とリピーターさんの相席教室

2018-12-01 01:36:32 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさんの相席教室なんだけれど、棟梁は大作に取り掛かりたいものの、俺が忙しく中々やってあげられなかったのだけれど、今日は幸い2人の教室でリピーターさんはぺきぺきで時計なんで、多少目を離す事が出来る・・・って事で、額縁を切ろうと思っていたのね・・・。所が・・・。

その当人の棟梁は、まだどうせ額縁はやっていないんだし、今日も出来ないからぁ・・・伸び伸び楽々ぅぅみたいな気持ちであろうと思ってはいたものの、その分量が判らないだけで、間違いなくテンションを下げて来る事は判っていたので、何としても・・・って気持ちがあったのね。

さてそんな中、やって来ると、ほぼ完璧に思った通りなんで、まず気持ちの立て直しからスタートになるのね。本来出来なかったはずが、進むのだからやったぁぁぁぁぁってのが正解のリアクションなはず・・・でも、それが微妙に違うのね。まっ、それも予定通りのリアクションなんだけれどね。

実は先日のお教室の時に大家さんに、真っすぐ繋げるよりも葉っぱとかのラインで繋げれば、1枚物のように繋がって綺麗に仕上がるんじゃないかな?って、言われて本人はその気になって、じゃ先生それでお願いしますぅぅって、丸投げでより良くなると思っていたのね・・・多分ね。

ただそんな楽が世の中にある訳無いのね。簡単に言えば、楽をしたいのなら、楽な仕上がりで満足しなさいなのね。遊びなら遊びの仕上がり、本気なら本気で悩めば良いだけで、自分が言葉にした通りに進めれば良いだけなのね。それを後はよろしくぅぅぅって態度は、当然しわ寄せが来るのね。

それは全て、気の話。そこにどんな気があったか?つまりその言葉通りにやる気のカケラも感じられないのね・・・ただ本人はやる気はあるが楽をしたかっただけなのね・・・それが証拠に、先日の大家さんの話をするのなら、下絵の描き直しをしつつ、今日全部終わらないかも知れないけれど、進めよう・・

って言うと、えぇぇぇそんなの無理ぃぃって。ほらね、1ミリの狂いなくセリフすらも思った通りだったのね。と言う事は座禅ならパチンと肩を叩かれるはずだが、アトリエは肩は叩かないけれど、ピシッと寝ぼけた考えの気持ち・・・その気をね、立て直さないとならないから、じゃ楽しようかね・・・。

バチンと真っすぐ切っちゃって、俺も楽してとっとと進もうかっ・・・ってね。当然楽すりゃ安く済むし、とっとと進むでしょ?けれど、時間が掛かりゃ手間が掛かるのだからお金も掛かって当然でしょ?・・・さぁどうする?ただね、こう言う事考えて発言したかな?って話であって、自分は楽をして、俺には

まさかの安く最高な仕上がりで、そして口だけお願いしますぅぅだったとしたら?先生とは名ばかりで、それは奴隷ぃぃなのね。あはははは。ばかちぃぃぃぃぃん。はい、これで気は入ったぁぁ。いちいち肩なんか叩かなくても、エビぞりして背骨が反対向くくらい気合い入ったろっ・・・って話なのね。

でもね、まだまだなのね。それは1人で来たのならここまでで済む。でもね、今日は2人の相席。額縁を作るって事は1人放置にするって事でもある。つまり時間を奪う事になるのね・・・自分の方が上の立場でそんな事をするのに、自分の事だけを考えるって・・・上級者としての自覚はいかがなものか?

となると、ダブルばかちぃぃぃぃぃんって事になるでしょ?後ろにエビ反りさせて、また前に戻してバキバキって感じで朝からシャンとしたかぁ?って事で、全てが自分の気の緩みから来た事と、自分の事だけ考えて相手への配慮を怠った事、そして全ては楽をして良いものが作りたいと思ったから。

って事で正気になった棟梁はせっせと描き直ししつつ、直しちゃ木を切り、また下絵の描き直し・・・そしてまた木を切って・・・とそれを繰り返すから、リピーターさんは細切れに放置・・・。とは言え、こっちもじゃ、ここまでやっといて・・・帰って来たらまた見るから・・・って掛け持ち。


そんな中、タイルカッターの使い方を教えて欲しいとの事で、それを教えてからの放置・・


そんなこんなで1人猛特訓。そんなこんなで縁取りをして・・・


色々悩みながらだったんだけれど、こうして縁取りを張ると、リピーターさんかなり上手いのね。目地幅も揃っているし、かなり丁寧にやってあって、実に良い仕上がりになっている。正直ここまで上手く行くとは思っていなかったんで、余りに綺麗だったんで、恐れ入りました・・って言ったのね。

ここは大事でさっきの気の話なのね。そもそもこう言う規定演技的なものは、かなり気みたいな事が多いのね。しっかり、丁寧に、良く見て、均等に・・・みたいな事であって、テクニックって事よりも、気持ち・・・つまり進む事より綺麗かどうか?なのね。

そして謙虚な姿勢。それを気持ちが張るだけじゃん・・・なんて思えば、何の技術もいらず子供でも出来る事みたいな事と判断するのね。しかも意識無くなんて場合、すんなり出来た人は何でも無いんだけれど、そうじゃないと、出来なかったダメージはとても大きいのね。

しかもそれだけじゃ無くて、結果も受け入れられない状況だと、もはやそれを拒む位、嫌になったりもするのね。こうなると何もかもが受け入れられない・・・こんな簡単な事が出来ないなんて・・・しかも最悪な場合、この分野は自分には合わなかった・・・とか始まっちゃったりもしたりね。

まぁ、違う言い方で、先生が合わなかった・・・なんて言う言い方もあるだろうけれどね。でもそれなら、他の先生で結果が大きく出るはずなんだけれどね・・・要するに言葉でえぐれば、ただ自分が舐めていたり、欲張って見たり、全てが自分の気持ちが左右していただけなのね。

しかもこれが相席の場合、複雑さが増すのね。例えば先生と実力差があっても、お金を払って教えて貰おうと思っているのなら、差は受け入れられる。でも、相席の場合、同じ生徒同士じゃん・・・なんて安易に思えば、必ず結果は出る訳で・・・そして人と比べる事になる。

先日のワクチンとウイルスの関係みたいなもんで、良い事と悪い事は背中合わせ。それをどう使うか?も自分次第であって、自分よりも上手い人と判断出来れば、劣っている部分を得られたりもするが、それを受け入れられないと、逆にストレスだったり、気にしないように・・・って意識したりする。

こんな事が常に下の人があるだけか?ってだけなら単純だけれど、いつも何をしても常に上か?って言うと、下の人にも得意な事があって、もしそれが想像力のような目に見えない技術だったりすると、上の人がダメージを受ける事もあるのね。それも常に気持ち1つで防げたりもするし、得る事も出来る

のね。今日のお教室の内容なんて、人に寄ってはモザイクとは関係無いじゃん・・・って人も多いが、けれどオリジナル制作とか、相席の心得だったりすると、間接的にその内にジワジワ来るかもね・・・何しろ必要な人に利くだけで、薬だって万人が改善する訳じゃないし・・・。

まっ、常に信じる者は・・・なのか?触らぬ神に・・・なのか?なのね。みんな大人だからね。そんなお教室の後は、今後の貯金として・・・・


絵馬のいのししの下地を彫りにホームズへ。



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