今日は丸々1日ノアさんの依頼作品。そんな中、かぐやと話をしたんだけれど、昔はゆっくり話せる時間もあったけれど、今は事務的な事を短い時間に話すと、昔とは違って結構お教室があったりして・・・当然、それに伴って下地も作らないとならなかったりとして・・・。
そんな事もあって、こんなゆっくり話せるのは久し振りで、そんな中、かぐやの作品を久し振りに見せて貰ったのね。それはそれは凄い作品だったのね・・・そうね、それを見て思ったのは、かぐや以外の人達とかぐやとの差は大きいが、かぐやと俺の差って言うものは左程感じない・・・。
それを見る限りかぐやに教える事は特に無いし、かぐや自身もそう思っていると思うのね。本人はそうじゃない・・・とは言うけれどね。ただもし大きく違う事があるとしたら?・・・それはきっとお金のプレッシャーみたいなものがあるかもね。ただ自分の好きなものを自分の気ままに作るのと、
お客さんのお題とお代の中で何を作るか?の葛藤は、加減を間違えると生活が出来ない程追い込まれるし、逆に余裕を持って終えたとすると、それは楽をしただけの事であって、仮にその作品を自慢されても、作品は残るだけに生き恥をさらす事にもなり兼ねない・・・。
恐らくそこに大きな差はあるとは思うけれど、それはいずれ金額が大きくなる時の為の練習だと思っていたりするが、もしそれが一理ある事だとしたら、何も発生していない状況の中で、それだけの作品を作れると言うのは、見事だと思うのね。
そもそもが1人でそれをやる・・・って言うのは、かぐやの他にもいるけれど、いかに大変か?となると、ワンちゃんのようにここでの指導を参考にする人もいるが、それはとても俺の指導に影響される訳で。かぐやはそこを参考にしないように・・・みたいな感じなのね。
そうね・・・ほぼそれは孤独な作り方だったりして・・・作家さんと同じ感じでもあるのね。まぁだからこそ弟子ではあるけれど、ライバルでもある・・・と認めたんだけれどね。いずれにせよ、近いうちに久しぶりにかぐやの作品を見せられると思うのね・・・途中ではあるけれど。
まぁしかし、久し振りに良い話も出来て、刺激にもなって、そんな中での制作はこんなもんかな・・・って前進。

それはそうと最近、プロレスの内藤さんって人の特集を見たんだけれど、憧れの選手を追い掛けていた頃、ファンも自分もあの人の後は俺だ・・・と思えたし、思って貰えている手応えも感じていたらしいのね。しかしながら、後から出て来た若手の選手に大きく差を付けられて、その座は奪われる
・・・更にその上、怪我までして・・・そんな中、海外に身を置くと、そこでは選手が伸び伸びやっていて・・・各々が楽しくプロレスをしている。それは入門当時の自分を見るようだったようで、自分らしさを見付けるきっかけを掴んで帰国したのだが、ファンは自分を求めていない・・・。
そんなアウェイの中、勝つ事が出来て、それからは快進撃。人気も2年連続で1位になる。憧れの選手を追い掛けていた時は届かずに、誰の目も気にしなくなって、ファンが後から付いて来る・・・しかしながら、その間も腐る事無く努力を惜しまず、誰よりもプロレスを愛している姿に共感を覚える
人達も多かったのだろう。こんな事も考えさせられる材料の1つで、俺は当てはまるものだろうか?かぐやは?・・・みたいな気持ちになる。そうかと思えば、昭和元禄落語心中ってドラマだと、師匠と弟子の関係などを考えさせられる。そこは圧倒的に師匠の凄さに弟子の尊敬は尋常じゃ無く、
それはそれであそこまで俺とかぐやの差は無いし、それを求める事は今は不自然だけれど、本当にその日が来た時にどう見えるか?はローマが1日で出来ない事と一緒でそこにたどり着く為に何をしていたか?・・・・が問われるだけであって、作品作りと一緒で、サンプルが無い以上、生き方も
答えがありきで進むのでは無くて、試行錯誤であって、こんなやり取りも必ず何かの足しになる。それが今、仮に答えが出なくても、考えていた事、向き合った事が必ず後々、役に立つ時が来るのね。それは昔聞いた歌に関する評価・・・みたいな話で、若い時には判らなかった良さが、今の
経験値を持って考えると、内容があの時よりもはっきり判って、その良さが良く理解出来たりするのね。それは自分の成長でもあったりする。そんな事を踏まえると、明らかに作品は自分自身って言う事が立証された瞬間でもあったりするのね。いすれにせよ、何かお互い勉強した感じがしたのね・・・。感じ取る・・・って事は向き合う気持ちさえあれば、いついかなる場合でも出来る・・・そんな話。
って終わろうとしたら、かぐやから画像が送られていたわっ・・・・
そんな事もあって、こんなゆっくり話せるのは久し振りで、そんな中、かぐやの作品を久し振りに見せて貰ったのね。それはそれは凄い作品だったのね・・・そうね、それを見て思ったのは、かぐや以外の人達とかぐやとの差は大きいが、かぐやと俺の差って言うものは左程感じない・・・。
それを見る限りかぐやに教える事は特に無いし、かぐや自身もそう思っていると思うのね。本人はそうじゃない・・・とは言うけれどね。ただもし大きく違う事があるとしたら?・・・それはきっとお金のプレッシャーみたいなものがあるかもね。ただ自分の好きなものを自分の気ままに作るのと、
お客さんのお題とお代の中で何を作るか?の葛藤は、加減を間違えると生活が出来ない程追い込まれるし、逆に余裕を持って終えたとすると、それは楽をしただけの事であって、仮にその作品を自慢されても、作品は残るだけに生き恥をさらす事にもなり兼ねない・・・。
恐らくそこに大きな差はあるとは思うけれど、それはいずれ金額が大きくなる時の為の練習だと思っていたりするが、もしそれが一理ある事だとしたら、何も発生していない状況の中で、それだけの作品を作れると言うのは、見事だと思うのね。
そもそもが1人でそれをやる・・・って言うのは、かぐやの他にもいるけれど、いかに大変か?となると、ワンちゃんのようにここでの指導を参考にする人もいるが、それはとても俺の指導に影響される訳で。かぐやはそこを参考にしないように・・・みたいな感じなのね。
そうね・・・ほぼそれは孤独な作り方だったりして・・・作家さんと同じ感じでもあるのね。まぁだからこそ弟子ではあるけれど、ライバルでもある・・・と認めたんだけれどね。いずれにせよ、近いうちに久しぶりにかぐやの作品を見せられると思うのね・・・途中ではあるけれど。
まぁしかし、久し振りに良い話も出来て、刺激にもなって、そんな中での制作はこんなもんかな・・・って前進。

それはそうと最近、プロレスの内藤さんって人の特集を見たんだけれど、憧れの選手を追い掛けていた頃、ファンも自分もあの人の後は俺だ・・・と思えたし、思って貰えている手応えも感じていたらしいのね。しかしながら、後から出て来た若手の選手に大きく差を付けられて、その座は奪われる
・・・更にその上、怪我までして・・・そんな中、海外に身を置くと、そこでは選手が伸び伸びやっていて・・・各々が楽しくプロレスをしている。それは入門当時の自分を見るようだったようで、自分らしさを見付けるきっかけを掴んで帰国したのだが、ファンは自分を求めていない・・・。
そんなアウェイの中、勝つ事が出来て、それからは快進撃。人気も2年連続で1位になる。憧れの選手を追い掛けていた時は届かずに、誰の目も気にしなくなって、ファンが後から付いて来る・・・しかしながら、その間も腐る事無く努力を惜しまず、誰よりもプロレスを愛している姿に共感を覚える
人達も多かったのだろう。こんな事も考えさせられる材料の1つで、俺は当てはまるものだろうか?かぐやは?・・・みたいな気持ちになる。そうかと思えば、昭和元禄落語心中ってドラマだと、師匠と弟子の関係などを考えさせられる。そこは圧倒的に師匠の凄さに弟子の尊敬は尋常じゃ無く、
それはそれであそこまで俺とかぐやの差は無いし、それを求める事は今は不自然だけれど、本当にその日が来た時にどう見えるか?はローマが1日で出来ない事と一緒でそこにたどり着く為に何をしていたか?・・・・が問われるだけであって、作品作りと一緒で、サンプルが無い以上、生き方も
答えがありきで進むのでは無くて、試行錯誤であって、こんなやり取りも必ず何かの足しになる。それが今、仮に答えが出なくても、考えていた事、向き合った事が必ず後々、役に立つ時が来るのね。それは昔聞いた歌に関する評価・・・みたいな話で、若い時には判らなかった良さが、今の
経験値を持って考えると、内容があの時よりもはっきり判って、その良さが良く理解出来たりするのね。それは自分の成長でもあったりする。そんな事を踏まえると、明らかに作品は自分自身って言う事が立証された瞬間でもあったりするのね。いすれにせよ、何かお互い勉強した感じがしたのね・・・。感じ取る・・・って事は向き合う気持ちさえあれば、いついかなる場合でも出来る・・・そんな話。
って終わろうとしたら、かぐやから画像が送られていたわっ・・・・
