katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ノアさんの依頼作品の張り終わり

2019-12-05 05:24:00 | モザイク作家
今日はこれで終わりにしよう・・・って決めたノアさんの依頼作品。流石にもう出来る事は無く、ただ最後の最後にもう一度資料を確認をして、取り組むもやっては中断、やっては中断みたいになって・・・その合間に下地のニスやペンキ塗り、紐付けなどをして・・・。


これでひとまずお教室下地に付いては、ひとまず終わって・・・ただそれでも中断になるのなら・・・と、アトリエの階段のペンキ塗りなんかやったりして・・・そんな中、とうとう張り終わったのね。ただ、何年掛かったんだろうか?何だか随分時間が掛かってしまったのね・・・。

勿論、昔と違って頼まれてすぐ取り掛かる事は出来なくなり、お教室やイベントなどもあると、以前と変わって来た事はある。でもそれだけじゃ無くて、頼まれたスペースの中で作ろうとした事が、余りにも膨大過ぎてその中に収める事が大変だったりして。確かに以前から姿勢は、

余り変わっていないけれど、あれこれと詰め込み方が半端無い感じはするのね。感じとしては、最低でも先日のオードリーの90cm越えの作品の大きさが欲しい内容ではあったと思うのだけれど、我ながら良く詰め込んだな・・思ったりするのね。しかも、昔と違ってノンストップって、

感じでは無いので、何度も何度も遠のいたりすると、以前どんな気持ちで作っていたか?を引き継ぐ時に、例え自分の作品であっても、これは何を意味していたんだっけ?って事になったりもする。それが続けてやった場合、一切そう言う事は無く、追い詰められたように作っていたのね。

ただ逆に追い詰められた感じにはならないが、今度は先延ばししたくなる気持ちになり、明日にしよう・・・また明日・・・みたいに、制作から遠のくと、やろうとした時に大きい壁のようなモノがある気持ちにさせられるのね。それはコツコツやっていたら果てしなさはあっても

いつかは終わる・・・みたいに進められたし、けれど、それも今と違って立ち止まる事をせず、思い付きで進めたりもした。それが今の気分を表す時には、臨場感とでも言うのだろうが、逆に追い込まれた気分では、これで良いのか?と立ち止まれず、勢いみたいな制作でもあった。

それが良い悪いでは無く、勢いには勢いの良さはあるし、迷いや立ち止まりの少ない分、割と短期間に仕上がったりもした。でもいつしか、やる事が多くなると、色々と削られる部分もあり、逆にその間(ま)が、立ち止まりとなり、本当にそれで良いのか?と登るのか?下山なのか?みたいに、

考える事が多くなった。それが続けてだと、その時その時の短い時間の中での考えだし、逆に長ければ長い程、色んな事が考えられる。こう入れると、短いよりも長い方が考えられる・・と安易に考えてしまいそうだけれど、例としては例えばウチのペットみたいな作品だったとする。

これを勢いのまま続けて制作するなら、モチベーションとして家族なんて扱いで制作意欲も沸く。その時にただウチのペットと言うのなら、似ているか?似ていないか?だけを重視し、後はバック・・・とペットの事以外考えない。バックにしても単にクラッシュ、余計な事は考えない。

こうすればペットだけに集中出来る。考える事は似ているか?似ていないか?その後、そのペットに被らない色を選択すれば、後はクラッシュ。これで考える事は絞られる。それをもしあの思い出の場所をバックにしたい・・・とか、素敵な模様をとか、もっともっとと増やせば増やす程

ペットに集中所か、それにあったあれもこれもとなれば、それにもあれにも被らないように・・・とまるで地雷でも避けるように用心しないとならなくなるのね。当然さっきよりも時間が掛かるし、考える事も多くなると思うように行かなくもなる・・・。しかも更に言えば、ペットは

上手く行っていたら?最初はペットだけだったのに・・・なんて後ろ向きになればなるほど、何でこんな事になっちゃったんだろう?なんて考えたりもする。そうなると、進まなくなるわ、考えた所で良い案も出ないし・・となり、向き合い疲れになる。ただこれは序曲であって、本当は

そこでは無くて、そんな思いでどちらを選んでも最後までやれば完成する。まずは続けての場合、数か月で完成するだろうから、その人がその1作の中で簡単に上手くなるはずも無いから、恐らく最初と最後の腕はほぼ同じ状態で終わる。けれど、逆に何年も掛かると、あの時の腕で無く

進歩してしまうから、最初の頃のパーツが気になって仕方が無くなったりもする。また悩み事が増えた・・・。ただそれは1作品が余りにも長く掛かった事でその作品の中で進歩してしまった事から起こった事で消して悪い事では無いのね。これは掛けた時間の長さの違いなのね。

そしてこれに寄って、一番気になるのは、全てペットが生きている前提の楽しさであり、死んでしまった時もそこにある・・・そんなものになるのね。しかもウチのペットと言うモチーフは、これいる?って簡単には譲れないし、捨てる事も難しい。飾り続けられる?って事なのね。

しかもただ似ているだけでも、それを見るダメージは大きいのに、その上、思い入れの強い作品は重厚感が半端じゃない。更に上手ければ上手い程、当然その重さは増す。おっと、話は戻して・・・。そんな比較の元に、いつしかどちらの道を選んでも切る上手さは付いて来る。そして

ある程度、腕が確立すると、別にその1作品の中で急激に成長する事は無いから、技術としては左程変わらない。所が考えるって部分はまだ発展途上なので、時間があればあるほど、あの頃よりも色んな事を考えられる。けれどただ似せるだけなら、考える必要はほぼ無い。

つまり似せるだけなら、ずっと色選びと切り方のみを追求すれば良いし、時間も常に早く終われる。がしかし、その腕を持ってして何を作る?と進歩しようとした時、一番必要になるのは、考える事になる。構想。それこそがオリジナルの大事な部分であり、けれどどんなに素晴らしい事

が浮かんでも腕が無いと作れないし、ここは一体にならないといけない部分だけれど・・・。そんな事を踏まえた時、依頼作品の内容を膨らませて思い描くものを下絵にした時に、もう大きさに限界があるんだろうね・・・押し込めるには。みんなの大作って言うのは、こんな気分なのか?と感じた作品でもあったのね・・・こんなに長く掛かった作品は初めてだと思うんだけれど・・・。また勉強になった。




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