今日は予定としては玄関のモザイクのはずだったが、大家さんが仕事をしていた事に加えて、アトリエ内の床張りの移動で荷物が散乱しているので、それを元に戻す事の方が先決になり、更に雨・・・もう外に出てやる感じでは無くなったのね。所が何しろ片付けが苦手なんで、モタモタ感
満載な俺をよそにかぐやがシャカシャカ片付けて、果てしない片付けが見る見る間に歩く所が出来て・・ただ本当の片付けは自分でやるにして、土曜のお教室が出来るようにする位だよ・・・って感じらしく、それでも丸々1日片付けと掃除で終わってしまうのかな?と思ったので、それを
考えると十分な話で、そんな中、今まで乱雑にしていたり、販売用の作品を壁に吊り下げる為のリフォームもやったりして、単なる片付けや掃除で終わる事は無くなって・・・更に今日の分の挽回と言う事で、夕方には大家さんも雨も片付けも終わり、電気を付けて夜なべで準備になって、

玄関タイルの割り付けと後は張るだけ・・・となる様に、サンダーを使わない、音の立たない切り台で仕込みをして、更に何処にモザイクを入れるか?となるのだけれど・・・正直、今日の1日が凝縮したって時間だったんだけれど、例えばこのモザイクの時間、どっちが主導権?みたいな話。
例えば単なるタイル仕事だとしたら?確実に俺になる。ではモザイク部は?となると、かぐやの実力を知っている人なら、当然実力者であると、さっきのタイルの時のような、おどおどしているかぐやでは無くなる。まぁこんな単純な話では無くて、掃除なら?立場は大逆転。俺は口出し出来る
状況では無くなるし、片付けにしても、全く何をして良いか?判らないから言われたままになる。つまり出来ないか?出来るか?のどちらか?の場合、とても判りやすい関係性も、ではリフォームは?となった時、どちらも明らかに素人・・・どちらかが必ず正解ってものが無い。そうなると、
お互いに思っている事が違って来る。例えば設計士は図面やデザインだけで作れない。大工は建てるだけの人もいるし、図面も引ける人もいる。しかし、果たしてデザインは?となると・・・もっと判りやすくすると、こうしたいってお互いがぶつかる可能性があるのね。でもそれはそれで、
一緒に作るって言う事はあって当たり前なのね。問題はぶつかり方なのね。私はこうしたい・・・俺はこうしたい・・・なら簡単に素敵なデザインの方や、金額に見合ったとか、何かしら折り合いの付く方にすれば良いのだけれど、俺はどうしたい?って聞いたりする方なのね。ここが問題で
苦手な片付け、掃除にどうしたい・・・って事は一切無いから、単なる手元になる。かぐやもタイル張りなら苦手意識があるから、教わりたい気持ちが強いだろうから、お互いであっても、問題は微妙な事の場合、例えばペンキの色1つでも、壁を緑にしたかったのは、緑のペンキがあったり
、それによって床のタイルに緑が入れやすい・・・そんな事もあっての事なんだけれど、余っていたペンキの緑があって・・・ただ、そこは買ってでも・・・って言うかぐやの意見は、流石に俺も塗ってから、これじゃないかぁ・・・って気持ちになり、結果を見ての是正となる。
ただ、下塗りと考えれば、それはそれだったし、大したロスにはならなかったが、例えば木剥き出しの色合いはどうだろうか?って提案されると、そう言うもんかぁ・・・と受け入れる俺は、全て塗れば良いと判断をするから、疑わずに思い込む。しかし、微妙な判断な場合、ここは塗らない
って、何が?どうして?どんな理由?が判らないと、意見が食い違う事になる。つまり責任者になったら、下に付く者にきちんと理解させないと、作られたマニュアル通りに進めてしまうと、微妙なさじ加減の時は、きちんと説明しないと、自動的に進められる事になる・・・。
しかも、それが手慣れれば手慣れる程、進み具合は早く、取返しの付かない状況に進んでしまうのね・・・だからこそ、伝達は大事だし、一歩先を読まないとならなくなるのね。その時に、もし自分の意思とは違う方向になっても、いかにリカバリー出来るか?が問われるし、上の責任
って言うのが問われたり、技量って言う事にも繋がるのね。つまり自分が出来る・・・と判断すると、つい何故出来ない?って言いがちになるもので・・・ただ本人にその意識が無いと、傲慢になるし、しかしそれが気が付かない事がある。一緒に作るって事で言えば、技術の前の事を、
勉強している・・・お互いに。腕は確かに大事だが、名プレヤーが名コーチや名監督になるとは限らない・・・今日の1日はそれが全て。予定通りにならない時、何が出来て、何が出来なくて、どうすれば最善で・・・と。ただ片付けや掃除で折れていたのを救われたのも事実で・・・。
中々良い時間だったと思うのね・・・恐らく一緒に作るって言う意味は十分伝わったと思うそんな1日は短かったような長かったような・・・。