今日もかぐやと、コーナンでしながわ水族館用イベント追加分の下地彫り。かぐやは下絵のハンコ押しで、俺は彫り。
やっぱり蓄積疲労かなぁ・・・残り後5回って所まで来ているんだけれど、何しろ普段でも休んでいないのに、年末年始も休んでいないのに、60歳・・・連投に次ぐ連投って感じなのね。
まるで昭和の大投手なみの登板回数なのね。それをどう自分を騙すかなのね・・・自分の脳が休んでない・・・とか、辛いとか、思っちゃうのを、何か休んでいるとか、大変でも無いなぁ・・・
って気分で出来るようにしないと、脳がそう思ってしまうと、完全に体も動かなくなるものなのね。そもそも意識無く出来るのなら、それも良いが、大抵は楽しいからやる、つまらないから
やりたくない・・・なんてもんなのね。意識が無いってのは、自覚が無いって事だからね。例えば、楽しそうだからやる・・・この意識の無さってのは、子供脳みたいな感覚なのね。
この子供脳ってのは、厄介でその場合は、後ろ盾するパトロンがいるか、お金を持っていないと駄目なのね。あっこれやりたいぃぃ・・・まずこの気持ちだけで良いのね。でも2500円です・・・
ただ本人は出す気は一切無いからね。つまりパトロンがいないと成立しないのね。しかも仮にパトロンがいたとしても、やりたいと思っただけなのね。ここにお金を出していないから責任が無い。
つまりやったら面白い・・・って人は問題が無いけれど、何か大変って思った瞬間、心は簡単に折れるのね。これが大人の場合、お金を出した・・・ってプレッシャーがある。責任がね。
だから、やらなきゃ・・・って感じに簡単には折れないけれど、思ったように行かない・・・つまりもっと簡単に思っていた・・・って場合、アシストが必要になるのね。これがワークショップ。
それが倍の5000円となるアトリエの個人レッスンの場合なら、倍のプレッシャーが掛かる。つまりそれ相応の結果が欲しくなるものなのね。例えば焼き肉食べ放題。いっぱい食べるぞぉ〜って、
思うでしょ?でもそこは食べるだけ。こんな意識の場合は、色んなものを沢山って感じになるのね。所が気に入ったものだけ・・・って事になると、同じもののの繰り返しになったりする。
意識が変わるだけで、食べ方が変わるし、高そうなもの・・・って意識なら、鳥よりも牛になるし・・・これが食べる意識なら、作る意識って言うと、色んな色をあるだけ全部って言うのも、
あるし、意識して好きな色だけ・・・いや、何かこの下地がいっぱい張れるとか・・・考え方1つなのね。同じ下地でもね。これはお客さん側サイドの目線で、逆の立場、例えば下地を作るって
お母さんみたいなのね。何か食わしておきゃ良いや・・・って言うなら、腹いっぱいになりゃ良いじゃない?でもひとたび、栄養とか、偏らないとか、昨日何食べた?とか、あらゆる配慮があると、
まるで無免許ながら栄養士さんみたいなのね。色々と考えてあるのね。所が、食べる方は作っている労力なんて全く考えていないから、頂きますって言って数分で完食なんて事は多々ある。
これが成立するのは愛情のみ。これは母性で成立するものだから、他の何か?が無いと、中々続けるってのは難しいものなのね。しかもプロは結果が全てだから、5位入賞なんて甘ったれたものは
無いのね。みんな金、みんな優勝を目指すのね。でもこのワークショップの金や優勝って何?って事になるんだけれど、これが生徒に常に言っている、成功は判らなくても失敗は判るのね。
簡単に言えば去年を上回る・・・これは数字で簡単判るのね。そう考えると、今の所安心ゾーンに入った感じがあるから、ここまでまずまずとなると、最高にするには・・・って予想もしていたのね。
そうで無いと、規定数が終わったぁ・・・って油断するから、えっ?また・・・って言う、ストップ・アンド・ゴーって言うのはきついのね。それは片付けてしまった後に、またご飯って・・・
作っている最中なら、追加なんて勢いなのね。でも、一旦終わってしまうと、釜の熱だけで無く、作り手の熱も下がっちゃうのね。それを防ぐ為の予熱・・・こんな意識が無いと、気持ちが折れる
のね。勿論、予熱は用意してあったし、後この位は、大成功なら・・・って心も準備してあった所に、仁科さんが来週は空いてるよ・・・って保険も付けば余裕も出来たし。こうなると、後は
日常のデイ・サービスの下地とサンプル・・・まぁ次々やる事はあって・・。いずれにせよ、俺の釜が冷える事は無いのね。
やっぱり蓄積疲労かなぁ・・・残り後5回って所まで来ているんだけれど、何しろ普段でも休んでいないのに、年末年始も休んでいないのに、60歳・・・連投に次ぐ連投って感じなのね。
まるで昭和の大投手なみの登板回数なのね。それをどう自分を騙すかなのね・・・自分の脳が休んでない・・・とか、辛いとか、思っちゃうのを、何か休んでいるとか、大変でも無いなぁ・・・
って気分で出来るようにしないと、脳がそう思ってしまうと、完全に体も動かなくなるものなのね。そもそも意識無く出来るのなら、それも良いが、大抵は楽しいからやる、つまらないから
やりたくない・・・なんてもんなのね。意識が無いってのは、自覚が無いって事だからね。例えば、楽しそうだからやる・・・この意識の無さってのは、子供脳みたいな感覚なのね。
この子供脳ってのは、厄介でその場合は、後ろ盾するパトロンがいるか、お金を持っていないと駄目なのね。あっこれやりたいぃぃ・・・まずこの気持ちだけで良いのね。でも2500円です・・・
ただ本人は出す気は一切無いからね。つまりパトロンがいないと成立しないのね。しかも仮にパトロンがいたとしても、やりたいと思っただけなのね。ここにお金を出していないから責任が無い。
つまりやったら面白い・・・って人は問題が無いけれど、何か大変って思った瞬間、心は簡単に折れるのね。これが大人の場合、お金を出した・・・ってプレッシャーがある。責任がね。
だから、やらなきゃ・・・って感じに簡単には折れないけれど、思ったように行かない・・・つまりもっと簡単に思っていた・・・って場合、アシストが必要になるのね。これがワークショップ。
それが倍の5000円となるアトリエの個人レッスンの場合なら、倍のプレッシャーが掛かる。つまりそれ相応の結果が欲しくなるものなのね。例えば焼き肉食べ放題。いっぱい食べるぞぉ〜って、
思うでしょ?でもそこは食べるだけ。こんな意識の場合は、色んなものを沢山って感じになるのね。所が気に入ったものだけ・・・って事になると、同じもののの繰り返しになったりする。
意識が変わるだけで、食べ方が変わるし、高そうなもの・・・って意識なら、鳥よりも牛になるし・・・これが食べる意識なら、作る意識って言うと、色んな色をあるだけ全部って言うのも、
あるし、意識して好きな色だけ・・・いや、何かこの下地がいっぱい張れるとか・・・考え方1つなのね。同じ下地でもね。これはお客さん側サイドの目線で、逆の立場、例えば下地を作るって
お母さんみたいなのね。何か食わしておきゃ良いや・・・って言うなら、腹いっぱいになりゃ良いじゃない?でもひとたび、栄養とか、偏らないとか、昨日何食べた?とか、あらゆる配慮があると、
まるで無免許ながら栄養士さんみたいなのね。色々と考えてあるのね。所が、食べる方は作っている労力なんて全く考えていないから、頂きますって言って数分で完食なんて事は多々ある。
これが成立するのは愛情のみ。これは母性で成立するものだから、他の何か?が無いと、中々続けるってのは難しいものなのね。しかもプロは結果が全てだから、5位入賞なんて甘ったれたものは
無いのね。みんな金、みんな優勝を目指すのね。でもこのワークショップの金や優勝って何?って事になるんだけれど、これが生徒に常に言っている、成功は判らなくても失敗は判るのね。
簡単に言えば去年を上回る・・・これは数字で簡単判るのね。そう考えると、今の所安心ゾーンに入った感じがあるから、ここまでまずまずとなると、最高にするには・・・って予想もしていたのね。
そうで無いと、規定数が終わったぁ・・・って油断するから、えっ?また・・・って言う、ストップ・アンド・ゴーって言うのはきついのね。それは片付けてしまった後に、またご飯って・・・
作っている最中なら、追加なんて勢いなのね。でも、一旦終わってしまうと、釜の熱だけで無く、作り手の熱も下がっちゃうのね。それを防ぐ為の予熱・・・こんな意識が無いと、気持ちが折れる
のね。勿論、予熱は用意してあったし、後この位は、大成功なら・・・って心も準備してあった所に、仁科さんが来週は空いてるよ・・・って保険も付けば余裕も出来たし。こうなると、後は
日常のデイ・サービスの下地とサンプル・・・まぁ次々やる事はあって・・。いずれにせよ、俺の釜が冷える事は無いのね。