katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今日もまたモンゴルの額装の下地続き

2018-02-09 02:43:07 | モザイク作家
今日もまたモンゴルの額装の額装の下地の続き。昨日追加で買った木に描き写すと予定通りに隙間が出来て、そこに一旦使った模様を重ねて、更に描き写し・・・そんなこんなで今度はそれを今度はカットとなって・・・後4枚分を残しカットは終了。その後は、タイルの色決めと材料拾い。

そんな中、BGMはヒカルの碁のGET OVER。今日はキリの良い所が早目に来たんで10時には帰れたのね。きっと後1日あれば下地カットは終わるだろうから、次は馬の下絵と合体に取り掛かる予定。

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モンゴルの額装の続き

2018-02-08 07:34:41 | モザイク作家
今日もモンゴルの額装の続き。1日ずっと写し続けても全部終わる事は無く、それどころか手違いもあって、夜、追加分の木を買いにunidyへ・・・。何しろ大きいので一筋縄では行かないのね。とは言え、まだ気持ちが削れるようなミスが無いのは助かるが・・・・・。


何とか後4枚って所まで来てはいるんだけれど、この模様が繋がった上に、馬を乗せる感じになる予定なんで、まだまだ下地と下絵は続くのね。絵で描いても実際の大きさにして見ると、大きく見えたり、小さく見えたり・・・って微妙に違って見えたりするのね。

だから模様と馬を別々にしたのね。そんな中、大家さん親子が来て・・・何してるの?大掛かりな感じじゃん?って。そんな訳で軽く説明して・・・何かこれで終わりなのか?と思ったら、これにタイル張るの?・・・それじゃ大変じゃん・・・って。毎晩遅くまでやっているからさ・・・。って。

ただね、ある意味ちょっと違うのは、俺はタイルな人だから、モザイクをする事の方が得意な訳で。この設計やら下絵の方が大変なのね。そもそもが、普通は設計と施工って別物だし、普通は同じ人じゃないのね。ここが本来有り得なかったりするんだけれど・・・。

そうね、例えば昭和の初期の歌の世界なら、作詞、作曲、演奏、歌手・・・のように全て別人。それが、シンガーソングライターって人が出て来るのに何年掛かったか?みたいな話で、それが確立すればいくらでも出て来るから、それが普通になる。普通になればなるほど特化しないと見付らない。

こんな仕組みだったりする。つまり、今までのモザイクって言うのは、学校だったり、駅だったり、一般家庭じゃない場所で行われていて、それを発注すると、建築会社から商社に行き、そこからモザイク会社に・・・って流れがあり、当然設計士のデザインの遂行ってのが常識。

当然、これだけの人を経過すれば値段も莫大な事になるので、一般家庭に・・・なんて事が起こるはずも無かった。所が製造販売する靴屋さんなんてものが出来たり、道の駅で売る食材なんて事の選択肢が増えると、JA共済ばかりに頼らない事例も出て来る。

そこに宣伝広告費なんて事になると、もっとハードルが上がるのだけれど、ネットの充実やら、そう言う人達を集めたイベントがあれこれ出来ると、発表の場が認知度を上げたりする訳で。本来なら、知って貰うにはカルチャー教室の先生なんかで、肩書きを付けたりなんて方法しか無かったのだけれど。

何でもそうだけれど、この方法だけ・・・って昔ながらのやり方のみでは、老舗であっても厳しいはずだし、チャレンジする側は決まりも規則も無いから、やったもん勝ち・・・だから歌の世界も育てるから見つけるに変わったりする。勿論スターを作り出す番組も以前からあったけれど、

それは公のテレビ番組だから、そうでは無くてストリートで見つかるって感じ・・・・ただそれもネットに変わっただけに思えるが、予選も無く、撮ったものをアップすれば誰にでも権利が発生するから、その中で見つかるって言うのは、腕の良し悪し以外の実力も必要になる。

それはどんなに良いものであっても、どんなに上手くても宣伝して知って貰わないと、テレビだのメディアに頼るだけのやり方では限界がある。昔はテレビが1番だったから、みんながそれを信じたけれど、今はネットの威力も相当なもので、当然ずっと同じままではいられないのね。

何の世界も保守と革新みたいな関係で、チャンピオンとチャレンジャーのように、守らなきゃならないものがあるのと、無くすものは何も無しでは戦い方は違うし、チャレンジャーは無くすものが無い・・・なんて安易なだけじゃなく、そこにも大義はあったりする訳で。

ただ、当然革新側で一度は勝ったとしても、今度はその革新を保守したくなるのだから、その時にあの時の保守と戦っていた自分達のような敵と戦う訳で・・・切磋琢磨とは永遠に続く訳で。上へ行くって志を持つと、何処まで行っても楽な事は無いのね。

そう思えば、大変だな・・・と思う事は、それだけ試されている訳で、それを超えると、その結果が事実となり、それを認めて貰えるか?どうか?であり、その為の今・・・そう考えれば、革新側の辛さなら、保守になったら味わえないのだから、今の時間を大切に楽しめる程の余裕は無いが、

なるべく記憶に留められる様な、そんな時間でありたい・・・・そう思ったりする。

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モンゴル国立美術館での美術展の額の下地作り

2018-02-07 00:21:44 | モザイク作家
今日は引き続きモンゴルの額の下絵&下地作り。四隅の下絵の描き直しをして、ようやく下地に取り掛かる事になるのだが、組み立て家具のように分割出来ないとならず、しかも分割する場所を勝手に・・・って訳じゃないので、そこも考慮の上の下絵にしないとならないし・・・。

そんなこんなで下絵を終えた後は、今度は一体何枚の板を買う事になるのか?どうカットすれば良いのか?も考えないとならないのね・・・unidyで買うとカードを持っているから10カットは無料なんで、こんな場合はunidyで・・・と決まっているのね。ただ、どうカットするか?加工室で頼む時に、図面的な

ものを書かされるのね。だから、こんなに何カットもしないとならない時は、事前に描いて置かないと、現地で考えていたんじゃ、時間も掛かるしね。下手に切ってしまうと、端材ばかりが増えてもね・・・1枚多く買うのも馬鹿馬鹿しいし・・・。

そんなこんなで何とかかんとか、カット図面も書けたんで、unidyへ行って・・・・こんな明るい時間に行く事は滅多に無いんで、混んでなきゃ良いんだけれど・・・これが空いていてラッキー。そんなだから、待つ事無くすんなり。それからアトリエに戻って・・・下地に絵を写すんだけれど・・・・。

やった事がある人は判るんだけれど、単に写すだけなんだけれど、シュールに時間が掛かるのね・・・そんで何だかんだ10時過ぎまでやって、4枚で終了・・・そんな中、久しぶりのヒカルの碁のエンディングテーマ・・・Get Overを何度も繰り返し。それを聴いていたかぐやが懐かしいね・・・って。

そうね、作品作りの時って、昔はその作品のテーマソングみたいなもんがあって、それを何度も繰り返しして聴いていたのね。それがヒカルの碁のエンディグテーマは、ここ一番なんて時に多用していて、そもそもが趣味趣向でもあったのね。ただ、最近は聴かなくなっていたんだけれどね・・・。

このアニメ自体を人生のバイブルなんて事も言ってたんだけれどね・・・・ただかぐやにも言ったんだけれど、いつしかこれに頼らなくても、強くなったんじゃないの?・・・すると、私も良くお世話になった・・・って。そうね、かぐやにもCDあげたからなぁ・・・。

そんなだから、2人してこれ聴くと懐かしいぃぃって言うより、身が引き締まる感じとか、やらなきゃ・・とか、気合いとか入る感じなのね。それ位、聴き込んでいるのね・・・。お陰で2人久しぶりに共有出来た感じで・・・今月末、急きょかぐやが来る事が決まったんで、それまでにタイルが張れるよう

にしとかないと・・・。それにはまだ色々とやる事があるのね・・・。まっ、それにしてもここまでの心のダメージは思ったよりも少なくて済んでいる。それだけでも、心の余裕にもなるのね。

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棟梁とリピーターさんの相席教室とモンゴルの額の下絵の続き

2018-02-06 00:39:38 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさん教室。この2人は自宅でもやっているので、進み具合も良く日に日に完成へ向かっている感じなのね。


そんな中、当然なんだけれど、進み具合が良い・・・って事が良いって事は、それと引き換えのものがあるのね。それが肥える眼だと思うのね。要するに味覚なら舌が肥えるなんて言い方があるように、目が肥えるなんて事もある。最初は出来ないと思った事が出来た事だけで楽しめた。

しかしながら、キャリアが増せば当然、それだけ身に付く。身に付けば欲が出る・・・こんな単純な仕組みに思いがちだろうけれど、そんな単純なものでは無いのね。人ってのは・・・。これが1か月に1回だけの場合、かなり進み具合は悪くなるから、大作をすれば果てしなさは半端無いのね。

そりゃ誰でも判る。ただ、相席ともなれば人の作品を見る事になる。もし相手が自分より上手い人なら、自分との差を比較しても左程意識は薄く済む。つまり卑下する事無く、眼が肥える事になる。そう眼がね・・・ただ月に1回だったとしたら?眼だけが先行する事になる。

これがリピーターさんの最初の頃の話。最初はkameyaさんの1回だけだった・・・・だから、月に1回の趣味だったのね。それがアトリエにも来るようになって、月に2回となった。これで倍。それなのに、自宅でもやるようになった。もはや最初の頃の何倍もやっている事になる。

これによって当然、切る・・・これを何回もしている事になる。ただ、これだけの作品をやっているので、張らないで・・・と言ってあるので、パーツの仕込みだけで、切るのみの繰り返しになっているのね。これは、1つの特訓でもあるのね。スペシャリスト的な指導と考えると、繰り返しの動作を覚える

事になるのだけれど、これが切る、張ると2つの動作があるとして、張らなくて良い・・・って言うのは、一番重い責任を1つ無くすと言う事なのね。何しろ切る・・・は張っていないから、まだやり直しが利くが、張ってしまっていては、剥がす・・・つまり壊さないとならなくなる。重いでしょ?

つまり切るだけ・・・って言うのは、これで良いのかな?って不安の中で、張るような人には気持ち的に楽になるのね。そもそもこう言う人は、先に進みたい・・・では無くて、やって置けば少し進めるし・・・みたいな人だから。これが逆に、どんどん進みたい人は、失敗する意識はほとんど無いので、

ただ進みたい一心なので、無謀と素直の同居の中で進めるのね。これがハイリスクハイリターンになる。上手く行けば、とんでもなくやってあるし、失敗すれば、取返しが付かない程、やってしまったりして・・・場合に寄っては教えていない部分にも手を出していたりもする。

こんな事を踏まえて、リピーターさんはちょっとでも進められれば・・・側の人なんで、仕込んで来たパーツをここで確認の元、張るのだから張る事に失敗は無いのね。つまり仮に切ったパーツが不揃いがあったら、これは切り直して・・・ってこれだけで済むのね。

所がここが大事で、折角切って来たのに・・・ってダメージを受けたとする。だとすると、もし張っていたとしたら?・・・そのダメージは何倍にもなる。そう思うと、今は切って来たパーツのダメ出しに慣れるだけで十分で、大きな失敗はしないまま進める事にしているのね。

もし今の段階の仕上がりが良く見えていたとするのなら?この方への指導は合っている事になると思うのね。これをクリア―出来たら、外枠の彫った所に入って、今度はここで1つ完成させて、それを見て張って来て・・・に指導は切り替わる予定なのね。

んで、話を戻して、軽い人となりが判ったとして、そんな方が、どうなっているか?って言うと、眼が肥えたってのは、kameyaさんで見られる作品は、かぐやの作品とアトレの時の作品。これが、アトリエに来て、色んな人の作品を見る事になり、刺激を受けたと言う事なんだろうと推測するのは、

誰でも出来るが、そんな単純では無くて、心の中はそんなにザックリじゃないものなのね。例えば、かぐやの作品を見ても感情移入がしずらいものなのね・・・それは上手い人だから・・・と安易に諦められるから。それは棟梁も同じで、この方からすれば棟梁も上手い人になる。

けれど、いつか・・・って思えるか?思えないか?となった時、果てしなさが違って来る。つまりその果てしなさが、棟梁ですら雲の上の人なんて表現をする。じゃ凄く上手いから諦めるとして・・・アトリエに来ると、初めて見る作品が並んでいる・・・1人じゃなくて色んな人の。

ここが分岐点で、かぐや1人を見ていた時は、凄い・・・で済んだのに、色んな人が凄いに変わると、もしかしたら自分も出来るかな?・・・って、思えたりするか?無理無理ぃぃって思うか?なのね。正直、kameyaさんだけの時は、どちらか?と言うと、消極的に見えたのね。

ただ大きく変わったのは、先日のビックサイトのイベントに1人でいらした事。足がお悪い中、結構な距離を歩いて見えたあの姿は、熱意以外の何物でも無く、そこにいた人達と会った事で、作品と作り手の顔も一致して、親近感も沸いたり、特別な人が作っている訳じゃない事も見たと思うのね。

こんなたわいも無い事がぁ?・・・・って思う人もいるだろうが、やる気スイッチなんてそんなもんなのね。私には無理・・・とか、そんなには・・・とか、全ては自分で決めていた事なのね。そのスイッチを、出来るのかな?・・・・に入れた瞬間、人は変わるモノなのね。

そのスイッチが人に寄って違うにせよね。どの場面、どの人、どの作品、環境、状況、何でも良いけれど、そんなきっかけを見逃さなかったか?どうか?であって、そんなのは誰も教えてはくれないからね。ヒカルの碁のsaiのような人は、何処にもいないし、ヨーダがいるのなら、先生に欲しい。

まっ、いずれにせよ、俺自身の見る、この方の人となりと、この方自身の差が少なくなればなるほど、指導はしやすくなるし、距離感が縮まれば、より繊細な指導も出来るのね。そんな事に引っ掛けた話としては、先日また棟梁に根付風味の小物の下地を頼まれたのね。

そこに名前を平仮名で入れるって言うのだけれど、教科書の字みたいな事を言う訳が無いのね。それは判っているのね。それを自分で描いてくりゃ良いのに、丸投げなのね・・・ただ、3文字だし・・・ってのもあって、まっ良いかと思うも、和風が好きなのは知っていたんで、勘亭流とか、江戸文字

風味はどうかな?・・・って書いといたら、そうじゃなくて、スラスラとか、長くて読めない字みたいな・・・はいはい、草書とか、俺の字ね。って、サラッと書いたら、それそれって・・・。大体、お任せってこんなもんなのね。決まっている癖に最初にきちんと伝えないから、こうしてやり直す。

モンタージュみたいなもんだから、こんな感じ?こんな感じ?ときちんと向き合わないと、真実に近づくはずが無いのね。それが、そんな話のやり取りを聞いて、しかもサラッとそれそれってたどり着くのを見て・・・笑っていたが、要するに人となりの話。きちんと向き合っていれば、こうかな?

と判り合えるが、そこに至るまでは色んな話をしている訳で・・・。本当にたわいも無い話を、棟梁ならどう思う?ただこれだけ。けれど、適当に受け答えして、先に進む方が大事・・・って事だと、人となりはいつまでも判らない。判らないからこちらも冒険も出来ないし、受け答えも失敗の無い、

安全安心・・・つまり普通になるか、消極的になる。要するに技術の指導だけが指導では無いのね。みんな同じ言葉で、同じ比喩で、同じ説明って言うのは学校やら、大人数の場所であり、個人やら少人数って言うのは、その人へ・・・のアドバイスがあるものなのね。

そうすりゃ良いじゃん・・・って言うのは、それが出来る人への声掛けであり、出来ない人への声掛けでは無いのね。出来ない人は、それが出来ないから困っていたり、そこに気が付いて無かったりしているからであって、答えを教えてその場を凌ぐのでは無くて、あくまで一人で切り抜ける方法や

逃げ切るすべ、術って言う事なのね。それを、そうすりゃ良いじゃん・・・で出来るのなら、頑張ってぇぇって100回も言えば、誰でも合格、誰でもレギュラー、誰でもプロだわっ・・・って話。そう言う意味では、この2人のバランスはとても良いのね。きっとどちらにも勉強になるはず。

そんな後は、モンゴルの額縁の下絵・・・って言うよりも絵じゃなくて、寸法も考えているから図面も兼ねて・・・。


四隅に来る場所の寸法が合わず・・・こんな事、何回やっているんだか・・・。知識賢者がいれば、何も困らずにすんなり行くのだろうが・・・。ただ俺もこうしている・・・簡単に何でもやっている訳じゃないのね・・・。

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デイ・サービスの来月分のサンプルとリピーターさんの下地にモンゴル・・・

2018-02-04 23:44:59 | モザイク教室
今日はまずは、来月分のデイ・サービスのサンプルと先日いらしたご新規さんに頼まれた下地、それと彫るついでに何個が根付風味の小物。


何しろ明るいうちに彫り終えて、仕上げのニス塗りまでして、時間を置いてタイルを張る・・・って所までやりたいのね。いつもなら彫るだけ彫って・・・ってやると、40個弱は彫れるけど、何しろ今日はサンプルを完成させる・・・って所まで行きたいので、完結させたかったのね。

そんな訳で彫るだけ専念じゃないので、これだけでも結構仕上げに時間が掛かるのね。そんなこんな中、キウイ親子がやって来て・・・差し入れして貰っちゃって・・・お昼をゴチになって・・・まぁ、改めてな話じゃないけれど、何度見ても3歳の頃から知ってるんだけれど、15歳って・・・。

ダッコなんかしてたのに・・・まっ、それでもいくらか受け入れられるようにはなったんだけれど、やっぱりちょっと寂しいやら、大人っぽくなって、ちょっと恥ずかしいやら・・・・何だか眩しいのね。若いって明日がある感じで・・・何だか無くした感は否めないのね。

そんなこんな後に、デイ・サービスのサンプル張りは、これで楽しいって言って貰えるかな?・・・って思ったり、リピーターさんの下地にしろ、2度目でこの文字の細さ・・・厳しくないかな?とも思ったり・・・ただ、そんな事も踏まえて、軽めの木でなるべく大きくは彫ったけれどね・・・。

何度も提案はするものの、これで良しってのはやった人の顔が全てで、彫った時点は出来た・・・最善ではある・・・って仕上がりになっただけで、楽しいか?となると、それはやった人にしか判らないのね。だから、常にこの時点では満足は得られないのね。

そんな中、ニスだの塗って乾かす時間なんて事の繰り返しになるから、並行してモンゴルの下絵の続き・・・・


やっと空欄が埋まっては来たけれど・・・・そんなこんなで、パンダも本来なら、手足は1枚で切りたかったが、そんなサンプルを作ってしまうと、ご年配の人達に負担が掛かるだろうし・・・何か割れたの入れるだけでも平気・・・みたいな感じに見せたかったのね。

それと目のピーナッツみたいな黒はこっちで仕込まないと無理なのね。大きさは手頃なサイズだとは思うんだけれど・・・・。

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キウイ教室とモンゴルの額の下絵

2018-02-04 00:51:54 | モザイク教室
今日は朝からキウイ教室。とは言っても大半は、色んな打ち合わせみたいな話なんだけれど、何しろエースなんでそんなの知らなかったって訳には行かないんで、報告だけでもしないとならないし、実際の大きさでモンゴルの下絵も見せないとね・・・・。

例えば根付風味の小物の画像見て、実際のモノとでの違いは、あぁこんなだったんだ・・・・って、あぁ・・・くらいの誤差だと思うのね。それが、手伝う前提で同じパソコンやら、スマホの画面で見て、実際は5mx2mくらいにある大きさでは迫力も違うし、実際どんな事をするのか?って、知っているのと、

知らないのでは不安も変わって来るのね。ただ、流石に色んな事を経験しているから、特に大きさには驚かないし、あぁこの部分やるんですね・・・何で?・・・1cmねぇ・・・・結構あるなぁ・・・・かぐやさんも来るんですかぁ・・・ってな感じ。このリアクションなら特に問題は無さそうなのね。

って事は、馬頭琴のような馬2匹に専念出来そうな感じであったりして・・・いずれにせよ、俺は下絵を完成させないとね。そんな中、キウイ教室は、スカートなんだけれど、このガラスタイルは非常にもろく難しいんだけれど、当然こうしてスカートに使うとなると、ウエストに向かって細いパーツが必要

だったりするのだけれど、単にそれをクリアーするだけでも難しい所を、更におーがんじぃ?良く判らないんだけれど、そう言う素材のような生地ぽくみたいに、こだわりがあって・・・・千鳥のギャグじゃないけれど、クセが強いんじゃぁぁぁ・・・・みたいな事があるのね。やる事に。

いくら難しいと言っても、綺麗に並べるのなら出来ない事は無いが、わざわざ質感にこだわっているから、折り曲がった雰囲気を作りに行ってるのね。それを難しい、難しいってやっているんだけれど、完全に難しくしているのはキウイなのね。そんな中の注意事項はクネッとばかりしない・・・・。

要するについつい上手くなると、Sの字みたいな形にしたくなるのね・・・それはえぐれるようになるから。そもそも上手く無ければ出来ないから、やれない事が出来る事によって、更にきつい角度も出来たりもして、そうなると、出来るが故に困る事もあったりする。

良く言うさじ加減って言うのと一緒で、ちょっとか?沢山か?は子供でも大人でも、初めてでも、ベテランでも、醤油の入れ方のような感じで、誰にでも同じように権利があったりする場合に起こる事だけれど、技術のさじ加減となると、上手い人に多く起こり得る事だと思うのね。

出来なきゃ困らないのだから。つまり出来るが故にもっと・・・になったりする。上手い人ならではの悩みであって、出来ない人は出来ないから悩む。まっ、いずれにせよ、出来るから深追いなのか?そこで立ち止まるのは、消極的なのか?ここら辺がさじ加減なのね。

そんな時は、モチーフを良く見て、良く考えて、どうなっているか?どう見えるか?であり、見たままを一旦、口で言葉で表現するのね。そうすると、自分の感じている事のきっかけ・・・くらいにはなったりする。その時に難しい表現はいらないのね・・・子供でも判るような言葉で。

それが上手くなったのなら、もっと、もっとと表現を繊細にするだけなのね。勿論、表現が繊細になればなるほど、当然テクニックも繊細にならないといけなくなるけれどね・・・。だから、難しくなる訳で。まっ、そんなこんな中、俺も・・・



端っこの1枚分の違い・・・ただ、この時まではデザインの悩みだったのに、寸法が5cm足りないのが発覚・・・最悪だわっ。





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オンラインショップ開設のお知らせ

2018-02-03 13:39:55 | お知らせ
根付風味の・・・と制作していましたモザイクタイルのバッグチャームの販売を開始しました。
今後、随時販売作品は追加していきますので、ぜひご覧ください。

http://katsutile.com

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先日のお客さんが新築をDIY・・・

2018-02-03 02:51:59 | モザイク教室
今日は朝から寝坊・・・明け方変な時間に起きちゃったのが原因なんだけれど・・・ただ、不幸中の幸いなのは、打ち合わせが午後から・・・。って事で、何事も無く、アトリエへ。そんな中、かぐやと話す事になるが、時間の無い中でやれる事・・・と言う訳で、来月のデイ・サービスの下絵。

1回目は犬の絵馬、2回目は切らずに張る飾り台、そして今月の3回目が梅にウグイス・・・と来て、恐らくだけれど、ここでは彫った下地で、タイルを切る・・・ってスタイルが合っている気がしてね、ただ、常に季節モノにして行くと、何か無理くりなんて事も出て来るし、キャンセルなんて時に、

使い回しが利かないと不利な事もあり、じゃどうする?となり、さて一体どうする?・・・そんなこんなであっと言う間に時間。と言う訳で送迎。
この方は先日、子供さんを泣かしてしまった・・・あのエピソードのお母さん。先日はすいませんでした・・・みたいな感じで、到着するまでの間、

お話していると、何かの話の流れで仙台に住んでいたらしいのね・・・・そこで話を膨らませて、実は仙台で作品を作らせて貰って・・・と言うと、どうやら見た事がある・・・って言うのね。野球場の近くの保育園で・・・と言うと、あの坂道の上って。

良くそれを説明する時に使う話は、読めないが丘公園の前です・・・って言うと、知る人ぞ知る話で、笑い話になったりするのね。まっ、枕みたいな話は置いといて、今日の要件は、新築するに当たってDIYとして作って見たい・・・・って相談。そんな訳で、具体的に場所だったり、㎡数だったり、

タイルの材料だったり・・・何しろそもそもが有り得ない事なのね。大体、普通は大工さんとか、建築会社に頼む事になるのだけれど、当然頼む事になるって事は、あくまでタイル屋さんがやる・・・つまりお金で解決するか、それとも勝手にお客さんが自分でやる・・・の2つに1つ。

ただリフォームならまだしも、新築を自分でモザイクをする・・・なんて、道具は?やり方は?材料の手配は?そして一体いくら掛かるの?ってほぼ無理な話になる。それを建築会社に相談をする・・・なんて事をすれば、どんな事になるか?・・・・そうねぇ、時事ネタ的なら相撲協会的は話かな?

つまり改革したいのなら現状を打破する為に、今までとは違う事をするだろうけれど、保守なら今まで通りが楽だし慣れているでしょ?つまり、大体の場合、ほぼ反対されると思うのね。まっ、反対とまでは言わないが、余り良い反応では無かったりするものなのね。

つまり、恐らく材料は揃えてあげるけれど、ご自分でどうぞ好きに張って下さい・・・これが返答だと思うのね。

それも当然と言えば当然で、やり付けない事は一体見積もりいくら?って事になると、何もかもが前例が無い。これが100歩譲って、お客さんの買ったタイルを入れて下さい・・・って言うのなら、まだしも、自分でやって見たいんですけど、教えて貰えるんですか?って、他の業種で考えれば簡単。

例えば、行き付けの寿司屋さんに、大将ぉぉ、今釣り行って来たんで、これさばいてよ・・・これはギリギリセーフ。何しろ行き付けだからね。じゃ、これを初めての店で通るかな?・・・難しいでしょ?なのに、更に、あのぉ、お寿司握らせて貰えませんか?ちなみにそれっていくら掛かりますか?

完全に無理なのね。多分、お金の問題以前の話なのね。でもね、自宅で一人で握るのは平気。こんな話を受けるのね。だって、誰もやらないし、やれないから。そもそも自分で張る人はいっぱいいる。けれど、教える人っていないのね。そもそもDIYって自分で作りたい人なのね・・・。

けれど、何の知識も経験も無いのに、建築ってどうなの?って話なんだけれど、普通なら無理。けどね、みんなも経験あるだろうけれど、忘れちゃっているのね・・・例えば小学校の卒業記念制作。彫刻家でも陶芸家でも無く、練習もせずに一生残す作品を作ったでしょ?あれあれ。

しかも、専門の先生じゃなくて、学校の先生に習って。でも、楽しかった。そもそもDIYってそんな感じ。だから、最高を目指すんじゃなくて、最低を防ぐのね・・・そもそも初めてなのに最高なんて無理なのね。だから、最低を防ぐ。このグレードよりは落とさない。例え初めてでも・・・ってね。

それには工夫と時間が必要なのね。それはモンゴルの話と一緒で仕込みが全てになるのね。何しろ現場を長引かせれば、俺の日当がかさむ訳で。けれど、職人なら時間の短縮を考えるものなのに、初めての人が張るのに、短縮を考えるのはナンセンス。むしろ時間を取りたいって矛盾が起こる。

こう言う事がご理解されないと、予算の提示は無いまま、あれもこれもやりたくなり、あれもこれも材料を欲しくなる。そう言う考え方をすると、食べ放題の店みたいになるのね・・・寿司屋さんは卵でも、かんぴょうでもマグロでも握るの一緒でしょ?材料代が違うだけで・・・みたいなね。

そこが違うのね。㎡数は変わらずとも、張り方1つで手間は変わって来る。もっと言えば、お客さんがやりたい事をタイル屋さんに頼んだとする。まず、ほぼ出来ないだろうね・・・何故なら今日の打ち合わせでも7.8時間は掛かったのね。そもそも材料探しもしたからね・・・。

何しろ普通は設計屋さんが図面を描き、それを見て見積もりだったり、張り方の指示書があったりするのね。でもお客さんがそんな事が出来る訳が無いから、立ち会って貰ってその都度聞く事になると、当然どうしようかな?・・・・ってストップするのね。大体が感だから。

すると、やっぱりこっちにする・・・ってやり直しになったりして・・・この時点でかなりロスが増えるし、時間も掛かる。そんなこんなであっても、ここまでは時間を取れるがねここからは無理・・・となれば、こちらで仕上げるなんて事になる事もあるのね。それは時間調整。

ただ、ハードルはあるのは当然で、普通は出来ない事だから、比較出来ないし、不思議な事だらけな話なのね。ただね、これだけは言えるのは出来ない事は無いし、グレードが下がった事も無いのね。結果はね。ただ問題はその都度色々ある。それでもやりたいかどうか?になるのね。

まっ保守的な分野だからね。こうしないとならない・・・みたいにね。これが医者とかふぐでもさばくなら、免許が必要だったりして問題はあるだろうし、相撲は神事って場合なら、スポーツじゃないから、免許にも似た格式やルール事は必要だけれどね・・・。

いずれにせよ、前向きな話は出来たし、こちらとしてもお金以外の宣伝って部分もあるので、やらせて貰う事は大事な事として考えているのね。そんなこんなで1回目の打ち合わせは、かなり具体的になったと思うのね。そんな後は、午前中の続き・・・・。


そうそう、子供にも作らせたい・・・って言ってたのね。その時点で情緒が必要・・・それは建築の人達では無理だな。建築は能率効率で質の向上であって、浪花節的な事はいらないし、そして情緒ってのは質の向上では無い。必要なのは下手であっても思い入れ。

そう考えると、デイ・サービスも似たような感じにも思えるのね。季節だから・・・みたいな事は誰でも考えているし、やっているけれど、もし歳を取ると子供に帰る・・・なんてのが本当なら、人気があってワクワクする・・・なんてものもありなのかなぁ?なんて思ったりする。

本来、作家としてなら絶対に手が出ないようなモチーフで、その理由はモチーフ自体の人気が点数になると考えると、ヤモリのように、場合に寄っては、嫌われてしまうようなモチーフは全てが作り手の腕の点数な気がするのね。ただ、先生サイドで考えれば、逆にその点数さえも欲しいのね。

何故なら作り手は技術を求める事の出来ない初心者・・・ならば、モチーフの良さもプラスしたい訳で・・・。これがデイ・サービスの考え方として、何しろ楽しむ時間を過ごして結果もそこそこ・・・1回完結って事ならね。

それが新築のDIYも初心者と言いつつも、そこは質としても金額も時間も掛かる・・・当然質としてアップして見えたいだろうし・・・何処まで満足感を得られる所まで連れて行かれるか?色々と考えたりするのね・・・。

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モンゴル国立美術館の下絵・・・

2018-02-02 08:46:59 | モザイク作家
今日は先日の美術会社さんの企画の話の下絵描き。今までにもモンゴルの大学だったり、ローマの大学で同じような形で、行われて来たものだが、今回は国立美術館で・・・と言う事で、そこに通う学生さんだけで無く、一般の人達も見られる場所になった。そこが大きく変わったと思うのね。

それが今まではモンゴルの場合だと、最初にあくまで額なんだ・・・と言う事で、中身の邪魔をせず・・・けれど、作家としての主張もしたいなんて葛藤の中、色を使わない中で文字を隠したりして工夫をしたのね。すると、同じ場所でまた第2回を開催となり、同じ会場と言う事で、1回目を引き継ぐ形で、

色を使わずに、ただ同じままって事もどうかな?と考えて、今度は文字を隠さずにデザインとして見せ、ベースだけは変えずに作った。その後、ローマの時は、美術、芸術として確立されているような国であり、えっ?なんて驚くような斬新なものがあったりもするものも沢山ある。

つまりかなり責めても大丈夫だろうし、しかも会場が日本語を専攻するような場所・・・そんな事もあって、和風色を出そうと思い、焼き板だったり金魚だったり、随分と主張してモンゴルとは違って日本色を多めに出したのね。そしてサービスとしても、モザイクの主張としても、両方を兼ねて、

モンゴルもローマにも大学の校章のモザイクを作り、社長さんからのプレゼントとして、イベントに花を添えて貰う事と、大学サイドとしては校章なら何処にでも飾りやすいだろうし、こちらとしては遠慮なく忠実に再現するモザイクとして腕を見せられる・・・そんな事を踏まえた校章モザイクだった。

そんな経緯あっての今回、一体どうするか?となった時、一番最初に浮かんだのは、馬頭琴。モンゴル色とモザイクとしても良いかな?って。今までとは違って一般を意識となると、ここに来る外国の人達って事になると、モンゴルに来た・・・って見に来てるとして、ゲルとかチンギスハーンとかって、

色々あるとは思うけれど、モザイクとして完成した時の完成度を考えると、馬頭琴って古き格式もあり、ネックの上に馬の首が付いているなんて形は、何処にも無いだろうし・・・それをメインに額に付けるとして、当然普通って事が欲しくなるのね。ここはお笑いの緊張と緩和とか、ボケと突っ込み。

要するにフォーマルとカジュアルみたいに、着崩し的な考え方で、よりボケるなら厳しく突っ込む。軽くボケるのなら突っ込みも軽く。よりきちんとフォーマルを決めた上で、何処を崩すか?・・・がお洒落だったりする・・・まっ、普通の考え方だろうね。

それを歌を作るようにサビから見付けちゃった・・・・そのサビが馬頭琴。そこから出だしのフレーズとかを膨らませないとならない・・・ってどれもこれも、人の考える事って、クリエーターって作り出す人ってこんな事をしていると思うのね。だから俺もそうする。

ただの思い付きだけじゃ、まとまるもんもまとまらないからね。しかも、地の利を生かすなんて事も考えると、3回もモンゴルに行ったから、生でこんな所だった・・・って見た訳だし、自分なりの情報もある。ただ馬頭琴の馬の部分の馬の部分だけ使うとなると、いくら格式や伝統なんて掲げても、

単なる馬にしか見えないだろうから、もっと真面目に見えるものが欲しいし、安定感とかを出すのなら、繰り返しとシンメトリーかな・・・って思うと、模様なんて事になる。それじや模様探しとなるのだけれど、やはり中国だから、中華丼ぶりのトンカチみたいなマークが存在するのね。

ただあくまで個人的意見でお洒落に見えない。だから他の・・・となった時、自分へのお土産としてバックを買った時の模様がお洒落に見えたのね。その模様が、カザフ模様。よくよく調べると、カザフスタンの模様らしいが、大きく外してはいないらしく、これを使えると何色か使えて便利。

ただまんま使う訳には行かないし、キルビル的に外国人が描いた日本・・・みたいな仕上がりで良いのね。だから少し変えないと・・・。更に言えば、額と言っても5mとかあるもので、家具じゃなくて、組み立て家具的にバラバラで持って行くのね。しかも今回は現地に行かない・・・。

となると、難しい組み立ては無理。しかも現地で組み合わせた隙間にタイルを張らないとならない・・・って複雑な事も避けないとならない。要するにドラマの作り方みたいに引き続き・・・ってやると、前の部分に合わせないとならなくなるが、1話完結だと、同じ素材なら違和感は少ない。

簡単な話、小学校の卒業制作の彫刻みたいなもんで、みんなが各々鶴を彫るってパターンと、1つの絵を分割して、みんなが違う事をしつつ、完成で1つにするパターン。各々なら鶴なら何でも良いが、隣り合わせをきちんと合わせないとならないって言うのは難しいのね。

しかも彫刻は合わせるだけだが、またいだモザイクは現地で張り足さないとならない。つまり逆に言えば、またがないものは分割して見える事になる。そんな事を踏まえると、ただ下絵を描くじゃなくて、何処で切って何処を繋げて、そして美しく見える?って事を考えないとならず・・・

ただでさえ美しいだけでも厄介なのに、そのデザインを組み立て家具にする・・・それが現地に行かれれば、繋ぎ目は俺がやるから問題無くなる分、均等にその絵を割れば良いだけ・・・確実に下ごしらえに時間が掛かっているのね。こんな事は冷凍食品と一緒。

チンして時間の短縮と料理の腕いらずにするには、前の段階をすべて行っていないと、後の人は楽が出来ない・・・って仕組み。ただ上手く行くと、盛り付け1つで何も無かったようになる。その為の悩み事の1日目って話。ってもうとっくにラフ画で動いてはいたが・・・。清書の1日目。

ただここまで来たんだけれど・・・後10cm程度のデザインが足りない・・・って話。さて凍結する前に帰ろう・・・。

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棟梁教室

2018-02-01 00:21:37 | モザイク教室
今日は先日の大雪で中止になった棟梁教室。行き詰った感があるらしく、しばらく大作から離れるらしく・・・それも良いんじゃないのって話。そもそもがここまで順調過ぎる進み方だったのね。確かに下絵から始まるまで2年も掛かった経緯はあるものの、張り始まってからは、バックの花に至るまで、

そんなに困った事も無く順調だったと思うのね。だから、逆に言えばようやく大作の重みやらプレッシャーが掛かったって事で、ある意味良い意味でのハードルなんじゃないのかな?単純な話で、簡単に終わる作品は、気持ちに左右する前に終わる。つまり体験教室のように3時間で完成する場合、その時間は

何も無い事を前提に来ているのだから、誰にも邪魔されないし、その時間に災害や事故が起こらない限り、心に変化は起きない。けれど、大作の場合、何か月、何年と時間が掛かる。その時、始めた時の環境、状況、気分・・・をそのままでいられるか?って話。余程安定感が無いと、同じではいられない。

しかも、安定した腕を習得した場合、今と1年後で切り方、張り方がそう変わるとは思えない。つまり腕の問題じゃなくて、心の問題なのね。心技体とはそんなもの。だから、誰にでも出来そうだけれど、誰にでも出来ないから、最後までたどり着いた場合、結果が凄いのは当然な話。

そんな作品を作っているのだから、この程度の軽い挫折は普通なのね。逆にそう言う気分であっても、こうして他の作品を作っている事自体、凄い事なのね。言い方を変えれば、これだけの作品が箸休めなのだから・・・。しかし、とは言え、これを始めた時と、今とでは時間が経ち過ぎてしまったのね。

そうなると、手持ちのタイルを検証して、あの時の私を探しに出掛けないとならない。一体、自分はどうしようとしていたのか?そしてそのタイルから、それを検証して、今の実力の眼で見た時に同じであれば、その通りに進めば良いし、もし違うのなら、根拠の元進めば良いのね。

その時にその検証のお付き合いするのが、先生としての俺の役目・・・そして一緒にあの時の自分に会いに行く・・・それさえしっかりすれば、腕は確かであるから、あれだけの大作に向き合っている。それからすれば、それ程、悩み事が増える作品では無い。つまりそこさえしっかりすれば問題無し。

そもそもここまで進めたのは、そう言う構想の元だったのだから。まっ、そんな中での指導って言うのなら、もう葉っぱが終わるまで放置で良いのね。教える事は全て教えたから。まっ、それもこれも心乱さず・・・ただそれだけ。

そんなお教室の後、しばらくするとキウイがやって来て、かぐやと繋がっていて3人でちょこっと話をしたのね。勿論、仕事の事もあるけれど、一番引っ掛かった話は、東京のオリンピックの話・・・それが、2人共に折角なんだから見て見たいって言うのね。えっ?2人共・・・。

正直、俺にはそんな選択は無い。そもそもが何処でやろうが、地上波ならどれもが見られる。しかし生で見られる可能性が高い。ただ、かぐやの情報では人気の競技は値段が高いらしい・・・高いってどの位?・・・要するにここね。オリンピックが生で見たい・・・と言うのなら、人気の少ない競技なら、

安く見られる。けれど、見たい・・・って意気込みの人は、人気がある競技を出来れば良い位置で見たいのね。しかも、それには多少のチケット代も覚悟だったりする・・・つまりね、これをそのまま変換すれば、ただ体験をして見たいだけなら、格安のイベントのワークショップって事になる。

それが目的意識が高ければ高い程、それに見合う場所やら、先生を選びたいんじゃないのかな?・・・それが病気なら、命が掛かっているから、相当なハードルをも乗り越えようとするだろうね・・・これが、人の心理。どれだけ本気なのか?そして、自分の中でどんな順位なのか?ただそれだけ。

俺には単なるお茶吞み話が、そう聞こえたって話。そんなこんなで、更にその後、いよいよ具体的にモンゴルの下絵に取り掛かったのだけれど、そんな中、かぐやに再放送の救命病棟24時を見る事を進められたのね・・・あいつはまた、そこから何かを学べとでも言うのかな?・・・。

そんな1話は見たので、簡単なあらすじだが、阪神大震災の後に東京が震災に合うって話を描いたもので、その後に東北の震災が起きた・・・って、言うような時期にやっていたらしいのね。何しろそんなテーマ・・・普通ならナーバスな話題なんで、何もそれを題材にしなくても・・・。

と普通は思ったりするだろうね。今なら炎上必死って覚悟を持たないと、本気で描いたとしてもクレーム処理の方が多いんじゃないかな?ってしり込みしてしまうかもね。そんな中のご英断。人気のあったドラマではあるから、見る人に投げ掛けた問題だったんだろうね。

ただ俺は見逃していたんだけれどね。それをかぐやに指摘され是非と言うので、俺に何かを吸収させよう・・・って言う何か?があるんだろうなと見たのね。そうね・・・感想としては、日々の変わりの無い生活なら、どんな選択をしてもたかが知れている。しかし震災なんて大きな問題の場合、

選択の間違いは命取りになる。しかも、責任者って言うのはその責任は重い。何をどう判断するか?で何もかもが変わって来る。人間が問われる場面なんだろうね・・・このドラマはかぐやに上に立つ者は・・・と、教わる指導書のようなものであって、それに伴う心を強く持たないと・・・。って、

言われているようなもので、それと一緒に歩く者も同じ気持ちで取り組まないと、心が乱れるとダースベーダーになる・・・そんな気持ちにさせられる。しかし、何をどう選択しようと、誰も責められないし、止められない。しかし、果たして何も無かったように振舞えるのか?と問われると・・・

正直、そこまで大人では無いが、助からないものに時間を掛ける事が正しいのか?助けられるものが優先なのか?は、瞬時に見極められる技量が問われる。それは慶應の子供達にも習った事・・・出来ない問題にいつまでも構っているのでは無く、出来る問題を瞬時に判断して解く。

そうしないと、助かる問題も助けられない。時に残酷で無いと、救命は普通の医療では解決出来ない。ここから学ぶものは、日常と非日常な出来事をいつもと同じ対応では対処出来ない・・・と言う事。ただねぇ・・・こんな時間に考えるんじゃ、休めないね・・・。だから、ちょっと休んで・・・


月食ね・・・同じ月を見た人がいるんだろうな・・・ならば、いつか同じ所に行く人もいるんだろうな・・・。まだ見ぬ場所へ。

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