katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とアオリイカのモザイク

2021-08-21 07:23:15 | モザイク教室

今日はキウイ教室。特に広がる話は無いが、先日、甥っ子が体験をした事で、共通の話題が出来た事と、思いのほか楽しかったようで、結構気に入ったものが作れたようなのね。ちょっとした話題提供になれば何よりだったのね。

そんな中、モザイクはともかく、下地について、これもkatsuさんが作っているの?って話が上がったらしく、それも凄いって言ってた・・・って話があったらしいが、キウイとは付き合いも古くなったから、今までの下地を結構見て来ているのね。

何しろ彫るって下地は随分前からやっているのだけれど、紆余曲折あって、あれこれと木の種類を変えたりしたのね。何しろ最初は、木に詳しく無かったし、反るなんて事が起こるなんて思わなかったり、当然予算の中で・・・になると、限られたものしか使えないし・・・

所が年々DIYが流行して来ると、試したい木も出て来て・・・しかしながら、ホームセンターで彫るって事が次々に禁止になったり、場所代が値上がりしたりして、ここまで来るのに色々あったのね。それらを見て来たキウイが今の下地を見ると、

どんな反応になるか?の目は結構大事で、しかも容赦無い意見も聞けたりする。以前から木の厚みが厚過ぎるとか、フックが欲しいとか、お客さん目線でもあり、こっちサイドの目だったりして、良く知った上での意見だったりしたのね。

そんな中で、最近のさんまの塩焼きや、オオハシと言った下地は、自分が欲しいかどうか?は別にして、面白いって言ってたのは、期待値が上がった気分になるし、かぐやでは無いが、以前よりもグッと垢抜けて来ているってセリフは、手ごたえはあるのね。

ただここまではずっと見続けて来た、目の肥えた人達の目であって、初期の頃から見て来た分、比較するものが沢山あるって事なのね。この目での感想は技術点まで見て貰える事になる。ただ、ただなのね。その分、新鮮さは失っているのね。

要するに初めて見た頃の目じゃ無いのね。良く親に段々なって行く・・・なんて事を聞くが、腕も同じで、最初なんて頑張っているだけでへっぼこなのね。何しろ同じ土俵に上がった所で、ベテランの方が上手いに決まっているのね。

それを毎日繰り返して、場数を踏んで、段々と上手くなって行く・・・となると、俺の下地作りもそうした目によって、随分と垢抜けて来たんだろう。が、必ず何でも得るものがあると、失うものがあって、見ていた側も、作っている俺も、

新鮮さってものが無くなって、洗練って方向になっているんだとしたら・・・洗練はしたとしても、初めて見た時の、あっ・・・って感じが無くなった人へ、どうしたらあの時のような感じになるんだろうか?になるのね。

今、初めて見た人は、その下地をすんなり始める事が出来るのは、手作りに見えない位の精度になったとも言えるのね。つまりあの頃の下地はまだへっぽこだったけど、見ていた人の目も今ほどじゃ無かった。けれど、その繰り返しで今の下地になった。

そのあの頃よりも洗練された下地で、あの頃のように初めての人がやる・・・昔は頑張ったへっぽこの下地で、初めての人がやってくれた・・・こんなバランスの違いがあって、このバランスを元に戻そうとすると・・・。

簡単な話、洗練した腕でふざけた下地・・・このふざけた感が以前のへっぽこ感になるんじゃ無いのかな?って考えたりもして・・・それがさんまの塩焼きだったりしたのね。これはアイデアとしてふざけた。言葉にすると、突拍子もないとか、

奇想天外的に、まさかの体験のような一回完結の場所で、モザイクが初めてのような人に、さんまの塩焼きぃぃって。これはモチーフとしてのアイデアだから、それがウケるなら、またそんな事を探せば良い事になる。探せば・・・ね。

それを冬にオオハシとなると、趣旨が奇想天外になる。まさかの冬に・・・俳句なら夏の季語になりそうなモチーフを・・・ってね。両方とも攻めた結果なんで、集客としての結果は終わってからなんだけれど・・・。

そうね、最近インスタで、俺のような下地でお教室をしている海外の人を発見したんだけれど、それだとモチーフ違いだけで、そうなるとデザインの上手さなんて比較もあったりする。まぁそれについては、美術の学校を出ている訳じゃないから、

基礎的に今更追い付ける事は無いだろうし、地味にしか上がっては行かないだろうから、勝ち目のある所はアイデアって部分だろうし・・・知恵しか勝負にならんだろうしね・・・。ただそこは付け入る隙はあると思っているのね。

知恵は学校では教われないからね・・・基礎は教えて貰っても。

段々それなりにアオリイカにはなって来ているが、こんなに時間が掛かっては、大作の作り方であって、もう少しお手軽に作りたかったのね・・・まっ次はこんな事にならないように・・・これじゃやり過ぎなのね。


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中学生教室とアオリイカのモザイク

2021-08-20 07:30:32 | モザイク教室

今日は午後から中学生教室。それまではアオリイカのモザイク。

どうしても、アオリイカをお寿司でしか見た事の無い人は、えっ?イカ・・・って思うんだろうけど、普通の人が思い浮かべるのは、頭がシュとして尖っている、あんな姿だと思うのね。これは良くある話で、例えば金魚って言ったら、普通は

お祭りの金魚すくいの・・・って、正式には和金って言う、フナの形だとか、太っちょの琉金、黒い出目金なんて言うのが、思い浮かんだり、トカゲと言うと、茂みからチョロチョロ・・・ってあれ、でも茶色っぽいのは、トカゲじゃ無くて

カナヘビって名前のものだったりして、ちなみにトカゲって言うのは、ちょっぴり緑がかったキラキラしている感じなのね。これらを、例えば好きな人達なら、金魚はランチュウじゃないが、頭がボコっとしてたり、一般の人とは違うものだったり、

トカゲもヒョウモントカゲモドキだったりすると、もはや尻尾が見た事の無い、ランチュウの頭くらい、違和感を覚えるものだったりする。そう考えると、スルメイカみたいなものでは無いのね、アオリイカは。そっち側なのかな?

それがいつか半透明っぽいものを作る時に、使おうと温存していたビンテージもののタイルがあったのね。それがまさにイカ色なのね。以前、アワビの時も、まるでアワビの為のタイル・・・なんて言うのがあったけれど、今回はイカ。

その昔は今の何倍も色数があったのね。ここでは、そのビンテージもののタイルは、その半透明のものと、右から二番目の足に使っている、紺のマーブルな模様の二つを使っているんだけど、まぁ見事なのね・・・何しろ凄いのね。

こんなタイル、何処の誰が、どんな所に使ったんだろう・・・って。ただね、思うのは、儲かっている成長期なら、いくらでも投資がてらに、新製品は作れるけれど、そうで無いと、在庫は抱えられないし、縮小してしまう。

失礼な話だが、例えば国技的に考えても、柔道、剣道、相撲・・・これらの道具を作っている会社と、野球、サッカー、テニス、スキー、スノボー・・・こんな誰もが知っているし、やった事のあるスポーツとなると、もし製造する側だったとしたら?

後者の方が売れるかな・・・と思えたりする。そしたら毎年新製品が出そうだけれど、前者だとね・・・。ずっと同じものな気がするのね。勿論個人の見解ね。つまり1cmタイルだって同じ事なんだと思うのね・・・。

だから誰かが使う事で、またその繰り返しが次に繋がると思うのね。でも単純に二つあって、一つは底辺拡張だから、みんなが手軽に張るだけでも使うって方向と、凄い・・って欲しくなるとか憧れるような方向。

それがオリンピックのメダリストなんかのセリフに良く聞く事で、ここが始まりで、これからも是非見て下さい的な・・あれね。活躍する人がいれば、知られなかった分野は、光が当たる。その時は賑わっても、その国際舞台では無い、平場

の試合では、放映も無いし、それでは一過性のものになる。所がそれを見てやりたい・・・って人が出て来て、中には目指すなんて人も出て来る。その繰り返しの人数の多い分野が生き残っているって話なのね。

そしてその分野の道具や材料で生きている人達もいる。この人達が漁師なら、俺は板前。さばく事は出来ても、魚は捕れない。これが餅は餅屋な話。つまり昇格するなら、板前では無く花板なんだろうね。そこは人寄せパンダ役だから、

いかに興味を持って貰えるか?になる。そしてここにもやっぱり役目が二つあって、底辺拡張の為の誰もが真似出来る、簡単な方向の伝道師と、憧れるような目指したいとか、届かないような凄さの伝道師のような・・・。

それは職人でも、大工として一般住宅を建てる人と、宮大工って言う、神社仏閣のように守り続ける為の人。同じ大工でも、方向性が全く違う・・・まぁどちらも簡単では無いが、ひとまずタイル屋は20年やったし、でもモザイクも20年。

そこそこキャリアだけはカッコが付いて来た・・・そんな感じ。おっと長くなった、ではお教室。先日話した、点と線の話の続きのような話になるが、今日もまた線の話になるのね。要するに光のようなものは、点・・・つまり1パーツでは、

完結しないのね。だから何枚も繋ぎ合わせて1つのパーツにするから、この繋ぎ合わせるって感覚が、繋がったじゃんってくらいなら、それもそれで良いが、それでは仕上がりが、じゃん・・・位なのね。簡単な話、文字の通りなのね。

それをきちんと繋ぐ・・・なんて言うと、このきちんと・・・のきちんとをどう解釈するか?なのね。そもそもそこが理解出来るか?出来ないか?で上手くなるかどうか?が決まるって言っても過言じゃ無いのね。例えばバトンを繋ぐとか、

タスキを繋ぐ。どちらも走る事に出て来る言葉だけど、タスキを繋ぐって駅伝で使うが、どう渡している?別にどちらの手で渡さないと・・・とか、何か決まりがあるように見える?どちらかと言うと、渡したよ・・・頼むよって感じだよね。

それは渡すまでの時間が長く、情緒すら感じるからだと思うのね。こう言う場合なら、どんな形で渡そうと、何しろ気持ちみたいな感覚を繋げるように思えるのね。でもバトンを繋ぐとなると、一瞬の出来事。いかに相手に取りやすく渡せるか・・・

みたいな、瞬殺な感じがする。ここには後から振り返って情緒は感じても、その一瞬は単なる一瞬で、きちんと渡すって行為の意味が変わって来る感じがするのね。じゃこんなに表現が変わっているものを、モザイクにしてとなると・・・。

これを見たまま、写真のまま作るなら、どっちも同じで、そこにはきちんと真似て描くしか無いのね。きちんとね。つまり結果は似ているか?似てないか?になる。所がもし、自分なりの解釈で作るって言う形なら、何も見たまま作る必要は無いのね。

つまりいかに感じ取るか?になる。そこにどんな意味があるのか?ってね。そもそもさっきのアオリイカなら、実際にいるものなのだから、良く見て真似をすれば良いが、光ってどんな感じ?なのね。ほらそう言う抽象的なものは、描きづらい。

ただグーグル先生には、いくらでも出て来る。その中に自分が思っていたものに近いものがあったら、それが仮押さえの真似をする見本ぽいものになる。それを自分なりの解釈で変えて行く・・・でも、そこに感じるものが無いと、単なる真似になる。

ちまたで言うリスペクトなんてのは、単に真似の事じゃ無いと思うのね。つまり同じ繋ぐってワードでも、タスキなのか?バトンなのか?でニュアンスが変わるのなら、光って言葉一つで作るのは難しいのね。この場合は、どんな?プラスする。

どんな光にしたいのか?その時に単純に色を言う人がいるが、それでは絵画と違って色を作る事が出来ないモザイクでは、それが正解なら、今後もただ色を選ぶだけなんで、上手くはならないのね。そうじゃ無くて、暗闇を突き刺した時の光とか、

後光のような・・・とか、もっと言えば、希望の光とか・・・こうして文字にした時、例えば暗闇って言ってるのに、ブルーなんて選ばないでしょ?だから黒とかになる。その黒に一番目立って合う色は何?って言う感じに探すのね。

勿論、そう表現したものの、あっ暗闇じゃ無くて、夕闇くらいだった・・・と言うのなら、ちょっと紺とか入れとく?とか、もうちょっと明るい?なんて、餃子のラー油の分量みたいな話になるのね。微妙なさじ加減の・・・。

それが後光のような・・・になると、青空ってのは下界な感じだから、やっぱ白かな?そんで光はパール?みたいに、勝手にイメージしやすくなる。では希望の光って言うと?それをただ光って言葉の一文字で、作ろうって言うのは薄っぺらになるでしょ?

創作って言うのは、こんな事なのね。しかも、ここに労作展では制作日誌なるものが必要になる。それを光を作りました・・・はいおしまいになる。全く広がらないのね。だから、何枚張ったとか、難しかったとか、写真で誤魔化すとか、

おーーーーい、慶応だぞぉって言いたくなる。そんな説明はどうでも良いのね。それは誰でも答えられるから。それは魚喰っても、肉喰っても、美味しかった、まずかった・・・とか、普通っってこんな表現しかないって事になるのね。

果たして労作展の制作日誌って意味を理解しているのかな?って気がするのね。そこに入った時点でエリートなんだから、やっぱ普通以上に見えないと・・・しかも習いに来ているって事になると、こっちもお金頂いているしね。

ただ、だからって、必要以上に上手くやれ・・・って言っているんじゃ無いのね。そう言う意識があるのと、無いのとでは、後々変わって来るものなのね。重みが・・・最初は技術なんて上手いはずが無いのね。だから下手でもOK。

上手く行かなくて当たり前。だから目指すは光っぽいもの・・・でもただ光っぽいでは下手の前に、安いのね。どんな光って言うのを、希望の光とか、夢とか、未来とか、何か前に付けていたとすると、同じそれっぽいにしか作れなくても、

本体の一部なのだから、全てが完成した時に、その光の重みが変わって来るのね。当然、その重みの言葉は制作日誌としての文章に広がりを見せるはず。これで後はバック・・・って話になった。


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リピーターさん教室とアオリイカのモザイク。

2021-08-19 07:39:44 | モザイク教室

今日はリピーターさん教室。仕事場用の駐輪禁止の看板を作っているのね。この方のスタイルは、アトリエで習った事を自宅で進める・・・って感じなのね。はぁ?普通じゃんって思いそうだけれど、極端に言えば、やり方をメモして、その場で

数枚切って・・・みたいに、アトリエでは全く進まなくても、諸注意と材料の調達みたいなスタイルなのね。まっ、簡単に言えば、労作展の子達と一緒で、アトリエでやる時間よりも自宅の時間の方が遥かに長いって事なのね。

例えばアトリエで月に一回3時間で、自宅でも3時間やるとする。ちなみに今日はかごをやったんだけど、これで2時間掛かっているのね。その時に教えた事を自宅でやろうとすると、もう自転車のかごは終わっちゃったのね・・・。

例えばこれが赤の禁止部分なら、5㎝分位教えたら、後は自宅で・・・ってなると、全く意味が変わって来るのね。要するに前者は教えた事は自宅では出来ないから、違う場所をやらなきゃならなくなるのね。けれど後者は、教えた事を繰り返しする事になるのね。

これが労作展の子達なら、大作だから大きいので、その繰り返しがとてつも無く多くなるのね。つまり3時間で10倍分とかね。でももしこれが教えた事が終わっていて、教えていない事に手を出せば、教えていないのだから、失敗にも繋がる。

しかも大作だから、スペースは多いし、そこを進める事だけを考えれば、時間を掛ければ掛けるほど、教えてない部分が多くなる。これでは質が下がってしまう率が高くなる。こう説明すると、このリピーターさんがダメに聞こえる人もいるが、

そこが大きく違うのは、労作展は子供と言えど、展覧会であって、当然質が問われるのね。しかも掛ける時間が軽く100時間以上になる。これは月に一回の人の3年分に相当する。そんな果てしない時間に失敗はさせられないでしょ?

また更にこう説明すると、じゃ月に一回の人は失敗しても良いのか・・・って言う話になりそうなんで、説明すると、まず方や展覧会であり、方や趣味ってスタートしたもの。当然、見せる前提、良いものが作りたいとなれば、厳しい事も

言わないとならない。恐らく今まで一度も聞いた事の無い話を聞かされていると思うのね。例えば判りやすい話なら、どんなに今が素晴らしくても、終わらなきゃ提出出来ないから0点。評価の対象にはならない。つまり強制にも近い。

ただ強制では無く、自分の決めたモチーフで自分の決めた内容。終わるも終わらないも自分次第。しかももっと言えば、やりたい事が壮大過ぎると、終わらないと判断した時点で足切りモチーフもあったりする。

それよりも何よりも、今までクリエーターの人達のものを買っていたお客さん側のみだったものが、今度は自分が裁かれる番になる・・・って教えているのね。どんなに時間が掛かっていても、見ている人には技術なんて判らない。

そして好みなんてもんで判断もされる。自分達がそうして来たように・・・このゲーム詰まんない、こんな歌ダセぇ、何だあのプレーへたっぴ、前の方が良かったじゃん・・・こうした罵声と、最高だよなぁ、メチャ面白い、ナイスプレー

なんて褒められたりする。人に見られるって事は、こうした事を言われる所に身を置く事になる。しかもやった事の無い人から、その人の好みで、何だこれ・・・とか、凄いとか、ある意味技術なんて何も判らないのに、判断される。

もっと言えば、好きでやっているのならともかく、宿題って強制の上でね。大変なのね・・・子供と言えど。しかも、その宿題を教えてお金を貰う・・・まぁ因果な仕事だし、喜ばれたりもする。いずれにせよ、8月も後半なら、今までみたいな優しい言い方では無くなる。

結局終わってなんぼなんでね。逆にリピーターさんの場合、ご自分で趣味と言ってたし、更にまだ始めたばかり。今は出来て嬉しいな・・・を楽しんで貰いたいが、4.50cmもあるのと、見知らぬ人が見るって事も踏まえると、労作展の子達と、

似た状況ではあるけれど、時間の強制は無く、提出日なんか無い。ただ難しいのは、人は時間を掛けると上手くなっちゃうのね。はぁ上手くなって何が悪いの?って聞こえそうだけれど、例えば3時間教えて、1時間自宅でやったとする。

教えた事が下手だったら、3分の1下手な事をやって来た・・・になるが、教えた事が良いとするなら、同グレード3分の1進んだ事になる。では3時間で30時間やったら?同グレードを何時間分出来ていると思う?逆に何時間分失敗していると思う?

だから、アトリエと同じ事を繰り返しなのね。習った事を繰り返す。これが本来復習の意味なのね。これなら失敗が少なく、反復する事で身に付く。その時にその30時間をどう、捻出したか?なのね。ただ大抵は10日以内に来るから、

教えてから10日以内にやった事になる。味も風化しないし、鉄は熱いうちに打て的な話になる。所が強制の無い場合、いつやるかは判らないのね。次に来る1か月の中でやるのだから・・・忘れてしまう事だって多いのね。

もっと言えばやって無いかも知れない。別に強制じゃないのだから。だから趣味なのだから。その時に、例えば点と線の例えの指導だとすると、サドルのような一つのパーツで完成なんて場合、丸とか三角、四角みたいな形が、きちんと切れれば、

後はどんな形でも狙ってきちんと切る。こんな話なんで、練習すれば一番簡単な技術なのね。これを点とするなら、線は、タイヤのようにグルっと回った時、幅も形も均等だと綺麗に見えるが、一つでもボコっとしたら、台無しなのね。

まっ、ソロと団体競技みたいなもん。難易度がこうして上がるのね。ただその上が、野菜が上手く繊細に切れても、味が上手いとは限らないのね。つまりサドルもタイヤも一色なら、上手く丁寧に切れれば良いだけなのね。

味付けって言うのは、例えば空や海。空も海も水色一色なの?空も海も同じパーツなの?ほら人それぞれ・・・それが味付け。所が料理も、音楽も、スポーツも、車も家も・・・プロなら何でも一緒じゃんって言わないでしょ?

そして何が良いか?って自分で決めるでしょ・・・とは言え、習いに来ている人は、ある程度その自分の理想に近づく為には?・・・って話になるから、持ち時間の中で出来そうな事を何通りか説明する役回りと考えているのね。

だから大波なのか?小波なのか?雲はあるのか?風があるか?・・・みんな違うのね。でも自転車の作りは質感は色以外はほとんど一緒なのね。つまり好きな色を選んで、きちんと切るの繰り返し。ある意味、次のクラッシュ・・・つまり好きに

切って良い部分はバックだから、それまでは規定演技が続くから大変なのね。そんな中、労作展の子の作品を見て、刺激になったかも知れないのね・・・カゴ上手く出来たのね。大変そうだったけど。そんな後はアオリイカ。

不気味感とか、気持ち悪さが良い感じになって来たのね。ただ時間が掛かり過ぎて、リーズナブルでは無くなって来た・・・趣旨から離れてしまったのね。

 


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車検と埼玉のコープみらい用のサンプル作り・・・オオハシ

2021-08-18 01:11:49 | 出張教室

今日は朝イチ、車検なんで車を持って行き、代車で出勤。その後、中学生の下地の追加をやって・・・そんな中、かぐやから埼玉のコープみらい用のサンプルを・・・って事になり、ただここ数日検討はしていて、その続きでまとめに入ったのね。

冬に開催予定で大人教室。普通に考えたら、12月初めならクリスマス・・・ってのが順当だと思うのね。ただ担当者さんとの出会いの中に、ばえる・・・なんてワードが出て来たのね。そんな中、コロナになり、開催の延期が続いたのね。

当初は子供教室でタツノオトシゴをやって見たい・・・なんて事があって、先日に至ったのだけれど、その間も、大人教室を何回かさせて頂いたが、ばえたか?となると、攻め切れたとは言えなかった感じはするのね・・・。

確かにハリネズミの鍋敷きは、流行りのモチーフであり、しかも彫った下地って言うのは、俺らしい感はあったが、モザイクとしてのアピール感は少なかった感じもするし、もっと言えば、ばえるってワードには届いていなかった感じはする。

そう言うばえるってワードに適したものは何か?・・・って所から考えて・・・始まったのだけれど、そんな中、東京のコープみらいの例が上がって・・・それは、クリスマスの時期に以前作った、ペンギンの鍵掛けで・・・って話があって、

かぐやも俺も何で?・・・って気持ちがあって、先日開催された出張教室の時に、その旨を担当者さんに聞くと、シーズンものは、そのシーズンしか飾れないけれど、これなら夏でも飾れるから・・・って。ん・・・まぁ確かにそうは言えるが。

そんな考え方もあるんだな・・・こう言う話が、ウイルスとワクチンの話なのね。要するに自分達の中にその考え方は無かった・・・つまりウイルス。それを受け入れた時に、上手く行くとワクチンになる。駄目だとウイルスにやられる。

そもそも自分の中にそのウイルスは出来ないのだから、良くも悪くも反応の出方次第になる。ではこの考えを受け入れたとすると、埼玉でもその考え方をしたとして、季節感で無いものって何だ?になったのね。

それがここの所良く出て来るハワイアン的なモチーフ。そのきっかけも大家さんがヤシの木を買って、庭がハワイ化して来て・・・更に奥さんもそんな雰囲気が好きらしく、そんなこんなで玄関床にモンステラを作らせて貰ったのね。

ちなみに大家さんは昔、ウインドサーフィンをやってて、時間があると浦安でやってたような人なのね。奥さんもその庭にプルメリアを置くくらいだから、共通な趣味趣向だったりしたのだろう。確かに旦那さんがサーファーって事だと、

ハワイなんて匂いはするし、奥さんのプルメリアなんてのも、例えばフラをやっていたりすると、こっちもハワイの匂いがする。そこにモンステラなら、お互いの共通項になったりする。まぁ図としては、最小公倍数とか最大公約数とか、

丸二つの真ん中に当てはまるもの探し・・・こんな事がきっかけになったんだけれど。ただその場合は、作品依頼としてだから、自分達の趣味趣向にあった話だったけれど、お教室の提案サンプルとなると、それを見て集めるって事になる。

だからニュアンスが変わって来るのね。そうすると、普通は万人受けしたくなるもので、そうね、言葉通りに普通を狙いたくなる。そうなると季節もので、クリスマス、ハロウィンなんてのは鉄板行事になる。

それが豆まきの鬼だとか、団子とか、夏でひまわりとか・・・同じ季節ものでも、力の弱い月とか行事とかがあるのね。それと例えば花だとして、バラってどんな作り方をしても王様感あるのね。何しろ一輪でも絵になる。

しかしアジサイなんて事になると、粒々を何個最低作るとアジサイに見える?となると、相当作らないと見えないなんて感じの花だと、時間内に作れるか?となると、時間が掛かる割に初心者には難しいかぁ・・・ってな事があったりする。

こうやって考えると、クリスマス時期にクリスマスのモチーフを避けるって、かなりの冒険だと思うでしょ?そこにペンギンって言うのだから、東京の担当者さんは相当攻めてる感じがするのね。って事は逆に、クリスマスで行くって言うのは、相当な守りになる。

何しろ普通だからね・・・良くも悪くもばえるなんて事は、もっと攻めるべきなんだろうな・・・そこで冬にハワイアンって事にしたのね。コンセプト的には、きっとコロナでまだ海外旅行なんて難しいだろうし・・・。そこで・・・

ハワイアン雑貨でも作りませんか?って感じ。出来れば、民芸品っぽいの・・・ハワイで売ってそうな雑貨。もっと言えば、本土より島っぽく・・・流石にトーテムポールって訳には行かないけれど・・・そこでまた安心安全なんて言うと、

ハワイアン雑貨と言うと、ヤシの木、ホヌ、ハイビスカス、プルメリア、モンステラ、波・・・俺でもすぐ思い浮かぶ。だからそれらじゃないもの・・・所が、大家さんご夫婦の話には、おまけがあって、奥さんが玄関に木彫りの今あげた、

モチーフを買ったのね。それは大家さんも同意するんだけれど、奥さんがヤモリを買ったら、はぁ?意味判んないって、そこは否定するのね。ちなみにゲコーって言えば、ハワイでは定番のモチーフだから、雰囲気は壊していないのね。

もっと言えば、俺的にはバッチリに見えるんだけど・・・ここね。旦那さんと奥さんが同じハワイ好きでもモチーフを上げても、男の人がヤモリが良くて、女の人が嫌なら普通だけれど、その逆な事が起きる・・・普通なんてあるようで無いのね。

つまり攻めるってのは、ここら辺りの話なのね。丸二つの真ん中になるような共通って部分じゃ無くて、突如として裏切られる・・・そこ。確かにいつもならヤモリって言うのも悪くない気もするが、正月時期にも引っ掛かる・・・。

つまり家族が一緒にいる時間が長くなるのに、嫌いな人が見る時間が多くなる・・・って考えると、やり過ぎにも感じる。だからそこまで嫌われない微妙なもの・・・それがこのオオハシ。それとモザイクファーストで考えると、

色んな色を選べるから、各々個性が出せそうだし・・・こんな理由からここに至ったんだけれどね。まぁハワイアン雑貨っぽくはなったし、今までに無いモチーフだし、仮にヤモリだとしたら?また・・・って事にもなるし。見慣れているからね。

ここでの皆さんは・・・冬のお教室にオオハシなんて、結構攻めてるって思ってくれると思うが・・・。


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デイ・サービス、今日は9人

2021-08-17 03:09:01 | デイ・サービス

今日はデイ・サービスの日。参加は9名。今回は張るだけなんで、恐らく何も無いと思うんだけど・・・。ちなみにサンプルは青っぽくしてあったんだけれど、色数を増やして、どうしようかな?って悩んで貰おうと多めにしたのね。

そう言う点では、青じゃ無いのも使って・・・って感じで、トップの画像なんか良い感じだとは思うのね。ただ目地幅が若干狭いかな?と思うけれど、ここを見ている人には良い勉強になるから説明すると、常に目地幅って言うのは、適正な幅があるのね。

それと同時に常に言っている、良い事と悪い事は背中合わせやら、逆も真なりみたいな話も一緒に考えて見ると・・・

この方の場合は、目地幅が太目なのね。ではどんな風に見えるか?となると、色だけにこだわる見方をすると、青と赤の2色で作られている・・・ってだけを見てしまうのね。所がさっきの目地幅の細目とこの太目の違いは?と比較すると、

目地幅が狭いと目地の色に左右されないから、タイルの色合いのみに見えるから、張った時のままに見えるのね。所が目地幅が広いと、目地の白がとても目立つように見えるのね。それによってタイルの色合いが薄まって、2色だったものが、

3色になったようにも思えたりするのね。

この方の場合、恐らくこれが適正な目地幅かな?と思われるのね。そして今度は前の2つと大きく違うのが、四角くないいびつな形が含まれている事で、きちんと四角の2つとは明らかに違う雰囲気があるのね。これが色だけに頼らないって例。

それによってポップな感じになるのね。例えばトップの画像の場合には、大きい四角で統一してあると同時に、目地幅が狭いとなると、タイルがより大きく見えて、色合いもしっかりして見える分、ドンって感じになるのね。

それを二人目になると、下の方を大きめにして、上に小さくなって行くって考えてあるし、しかも縦に長く使ってある事で、スーってして見えるようになっているのね。ただ目地幅が広い分、薄味になっているのね。

そんな風に見て行くと、3人目は絶妙なポップ感なのね。きちんと決まったルールが無い分、一見適当な感じがあるように見えるのね。最初の2人のように決まり事が無さそうだからね。所がそうじゃ無いのね。この方、相当考えているのね。

一見ルールが無い様に見えているのは、形についてなのね。所が色になると、これが相当仕組まれているのね。まず紺をまんべんに入れる事で、紺だけ見るときちんと平均的に入れてあるのね。しかもその紺が縦横に偏らないようになってて、

その紺が他のタイルの中で一番濃いのね。だからそれがあっちこっちにいて、しかも立ってたり、寝っ転がってたりに見えるから、ルーズに見えるのね。そうやって他の色も見て行くと、どの色も均等に入っているのね。

つまり形こそバラバラに見える癖に、色が統一している。この3人ともにどれもこうして分析すると、本人は何と無くやっていたようだけれど、実はきちんと本人は無意識でやっていたのね。ただそう言う意識が無いから、置いて見て、何か違う・・・って繰り返して決めたんだろうね。

そうやって見て行くと、この方は3人目の人とかなり似ているんだけれど、紺が少なく、その分水色を多くした事で、さわやかな雰囲気になる予定なんだけれど、赤の数が多い分、きつめな感じになるのね。しかも色数も増えていて、黄色も2色、そこに紺と青ってやはり2色、それで賑やかになった事で、水色の爽やかさよりも、賑やかが強くなったのね。

この方の場合、今までに無いパターンで、赤を主体にしてあって、それによって貝殻の薄味がしっかり見えているのね。ある意味、紺と水色の2枚以外は同化している感じで、赤を主体に使っているから、一見派手になるかな?と思いきや、

赤の主張を邪魔する色が青系の2枚だけで、しかも小さくなんで、それほど気にならず、それによって貝殻とプルメリアが目立つ分、今までの中では、赤を使っているのに爽やかな感じに見えるのね。

この方は前半の花付近までは、割と均等だったのに、後半疲れちゃったのかな?目地幅が大きく変わっちゃった所があったり、斜めになっている所があるね。色んな形を入れて、真っすぐにならなくなって、困っちゃったのかな?

でもこれはこれで面白いのね。

この方の色合いも中々変わっているのね。ランダムにせずに、同じ色を固めているのね。しかも青と赤の主張組を下の方に固めて、左下隅から右上に段々薄くしているんだろうね。そこに小さな赤・・・面白いのね。

この方のは爽やかなのね。ただもう一工夫って言うのであれば、タイルの形がみんな同じ大きさで、これを大小さまざまなんて事になると、上の紺はもう少し小さくて良いし、縦向きばかりで安定感はあるけれど、リップル特有のランダム感を生かすのなら、

大小さまざまやら、いびつな形に手を出していると、この爽やかさにポップ感が加わったと思うのね。

この方は最初の方に出て来た、満遍なく均等にしてあり、大きさも形も様々であって、ポップな仕上がりの見本のような感じなのね。こうして、切っていない張るだけでも、十分に個性的ではあるのね。その時にサンプルとは違うものにするには、

最初にコンセプトらしきものが必要なのね。まっ単純に言えば、月並みなんだけれど、切らない以上、素材の良さを生かす事になるのね。ではその素材って言うのは、リップルってタイルは、いびつでガタガタなのね。

しかも大きさもマチマチ。これが1cmタイルのようにしっかり四角なら、しっかり・・・って言葉がきちんとって言う言葉を連想させるのね。なら曲がる事は厳禁なのね。きちんと目地幅を揃え、均等に・・・って感じになるでしょ?

所がリップルはその逆。多少曲がるのはOK。だってガタガタなんだもの。ただね、そこを、とは言うものの・・・って経験者が揃えようとすると、きちんと揃えても曲がって見える・・・って言うのと、どうせ曲がるんだから、まっ良いか。

では大きく仕上がりが変わるのね。でもここはデイ・サービスだから、楽しんで貰うのが一番で、何しろ完成する事なのね。それをアトリエ教室の個人レッスンならば、今説明した事をお知らせしないとならないのね。ここが大きな違いね。

そんな事を踏まえて、どうしますか?だから。そんな事を踏まえると、ただ張るだけ・・・とか、デイ・サービスだから・・・なんて言う事は一切無く、こう言う経験値は常に次の指導に繋がるサンプル体験なのね。

ほぉそんな事になるのか・・・みたいな事が探すといっぱいあるのね。それを見逃すか?気が付くか?で違って来るのね。そうね、相棒の右京さんじゃないが、小さい事が気になってしょうがないのね。まっそれを必要な人もいるんでね。

そんな中、次回のさんまの塩焼きのサンプルを見せると、面白いぃぃって声が上がったので、まぁ何よりだったのね。ただ、今回と違って大変なんだけれど・・・・。


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キウイの甥っ子とキウイ教室

2021-08-15 23:14:46 | モザイク教室

今日はキウイが甥っ子と下の娘さんと一緒に・・・。ただ下の娘さんは見学。まぁ幼稚園の頃からやっているから、珍しいものでも無いし、かと言って体験で楽しめるって腕でも無いのね。これが結構上手いのね。そんな中、もう働いている甥っ子は男だし、大人だし、ホントに?って感じだけれど、

彼も結構何度も会ってて、顔馴染みでね、ご無沙汰してますkatsuさん・・・って感じで、こっちも下の名前で気軽に呼べる位なのね。ただモザイクをするなんて機会は無かったから、今日が初めてなのね。

そんな訳なんで、もう額縁の中って感じのキウイは、ほっといても大丈夫なんで、

彼に専念となるのだけれど、仕上がりを見て判るように、かなり繊細にこだわってやってたのね。本来これは、木自体の大きさはそこそこあっても、それは見栄えの確保って言う意味もあって、スペースとしてはイベントのオーナメントの大きさなのね。

つまり、30分位で終われる人もいるけれど、5時間掛かっちゃうなんて、決して大袈裟じゃないのね。そもそも物つくりってのはそう言うもの。そんな話の中、娘さんがこんな事を言ってたのね。きっと私がやると、結構時間が掛かっちゃって・・・。

つまり何を作ってもこだわるんだろうね、そのこだわり方が尋常じゃないと、自分の許容範囲すらも超えてしまう。そんな物の作り方を今まで何度と無く、やって来たから、軽い気持ちで手は出せないんだろうね。

ただ当然、結果は凄いな・・・って事にはなるんだけれど、そもそも体験の下地なんてものは、何しろ楽しくってスタイルなもんなのね。そこを大人げなくこだわると、ビックリするような仕上がりになっても、何倍時間が掛かってんだよ。

ってな事になり兼ねないのね。こんな人は本気な作品・・・つまり大作向きなんだけれど、そこはね、本人の問題なのね。ただ簡単に言えば、短距離走と長距離走の違いみたいなもので、向き不向きがあったりする。

モザイクに限らず、自分の好きになった分野の物つくりに没頭出来れば、血筋は良いと思うんだけれどね。後は古典と新作落語みたいに道が分かれて、伝統なんて事を継承するのか?はたまた新作を作り続けるオリジナルへ行くのか?

作るって分野が決まっても、伝統側に行けば自己主張では無く、先人の受け継ぎな感覚になるだろうし、オリジナル側に行けば、常に自分自身の書き換え・・・常に新作を求める事になる。まぁどちらが向いているか?なんだけれど、これが更に難しいのね。

まぁこれは、良く自分の事は自分が良く知っている・・・なんて事を言う人の場合、仮にファッションで例えると、ヘアースタイル、化粧、洋服・・・こんなものは何十年と向き合っているのだから、自己演出は得意なはず。

でも一流の分野の人達に掛かると、みんなが驚くほど綺麗に見えたり、もっと言えば、その人のご家族も驚いていたりする番組があったりする。そんな場合、自分が似合っていると思っていた事よりも上があった事になる。

つまりもしかすると、思い込みと自己流に頼っていただけなのかも知れないのね。それが勉強をして来た一流の人達は、その人の良さを引き出すプロフェッショナルだったりすると、自己流ではそう簡単に結果は出せなかったりする。

つまりもしかすると、自分の事をまだ良く知らなかったんでは無いのか?ってな事になる。それがファッションならまぁ別に大した話にはならないけれど、仕事や生き方と言った事になったりすると、結構な問題になってしまうのね。

ただね、仮にもし彼女が物つくりに長けているから、仕事に・・・となると、今度は結果を求められると、売るって事になり、ただ上手いだけとか、時間の掛け放題って言うのは、プロの仕事って事にはならなくなるのね。

勿論、何をやっても楽なものは無いけれど、それでもやって見たい・・・って思うきっかけがあるか?無いか?みたいなもので、そんな出会いなんてものがあると、血筋としては良いものがある・・・って言うkatsuハンコは押せるんだけど。

まぁ今の俺の立ち位置のハンコじゃ、安い感じはするけれどね・・・。さて話は戻して、男の人には珍しく、ずっと、じっとして黙々と進める・・・こんな事の前に、もっと言えば、こんな時間を男の人で出来るって言うのは、それだけでも結構珍しいのね。

作品を見るからに、几帳面さは良く出ていて、なおかつ、まっ良いか・・・って体験では良くあるセリフがあるんだけれど、こんな事も言わないし、何しろ周りの会話にも流されずに黙々って感じだったのね。お疲れ様でした。

初めて・・・なんて体験には見えない、お見事でしたなのね。やはり夏の中学生や今日の2人のような若者と接する機会はそう無いんで、若さとか流行とか、考え方だったり、なんでも良いから吸い取る気持ちで、聞き逃さないようになのね。

何とも刺激的な話が多いし、これが親だったり姉妹では日常な事でも、こちらにして見れば、知らない事を知っていて、それは新しい事ばかりで・・・こっちは年齢的にも忘れやすいのに、新品な話は刺激的だし、何でも吸収しないとね。

歳取って忘れる事ばかりでは、無くす事ばかりでストレスになっちゃうのね。こんな時はその分補填しないとね。

 


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中学生教室二組

2021-08-15 01:44:28 | モザイク教室

今日は午前午後と中学生教室。それでは1人目。こちらは経験者な事、今回の宿題でほぼメインのモチーフが終わった事を考えると、着地の仕方の問題なのね。だから、良く出て来る、後はバック・・・こんな仕上げ方の場合、メインに全力的な考え方になる。

例えば、学生さんなら、英語だ数学だみたいな事をメインと考えるなら、体育だの音楽なんて言うのは、付け合わせの小鉢みたいな感覚だから、それでも無しってのは寂しいから、取り合えず参加・・・って感じになる。

それをそんな事は無い・・・全て全力です的になるのなら、メインだろうが、バックだろうが、時間の掛け方は変わらなくなる。つまり小鉢とて料理は料理となるから、日々の家庭料理では無く、小料理屋や割烹って感じになると思うのね。

しかも更にと言うのなら、それじゃ授業としての学科は全力でも、素行だ提出物、遅刻なんて別に学科の点数には何ら関係ないって考えれば、点数の付くものには力を惜しまない・・・って感じになる。つまり労作展は提出しとけば・・・。

こんな考え方にもなっても良いだろうが、しかしなのね。要するに残りのスペースをどんな気持ちを持ってやるか?になると思うのね。これが一年生なら、後はバックなんて言ったとしても、それはそれで良くここまで頑張ったね・・・でも良いと思うのね。

しかし、もし賞を取った事があるとなった場合、果たしてそれが通るだろうか?と考えると、ハードルが上がった感じがしないかな?それが先生だったり、クラスメイトだったり、場合に寄っては、その作品のインパクトさ加減で、他のクラスの人やそのご家族にも覚えられている事もある。

そして更にその反響を耳にしていた場合、自分自身としても去年の作品の経験値と、その作品の重みをしている分、やればやっただけ大変なのも知っているし、手間を掛けたら凄くなるのも知っている。そんな事を知った上でどうする?なのね。

こちらとしては、やれとも言うつもりは無いし、やるなとも言いづらい。ただそこは先生として、残り時間と他の宿題などを考えた上で、やり過ぎとやらな過ぎの極端な例だけは注意する・・・そんな感じになるのね。

それを踏まえて、バックがぺきぺきな事もあって、もう一工夫考えても良いかもね・・・大事のモチーフを増やすんではなくて、ちょっとしたアイデア・・・それでただのクラッシュって感じにならないと、おぉって感じになるんじゃないのかな?

そんなアドバイスで終了。さて一体どんな事になるのかな?そして午後からの子は初めてなのね。そうなるとね、そろそろ無理しない着地の仕方の方向になるのね。だから、良くばらせないように・・・。

こちらはやっとバックの方向性が決まって、始まったんだけど、何しろ初めて・・・だからどうなるか?まだ油断は出来ないし、とは言うものの、リップルのような硬いタイルでいきなり立体なんて事をやり切った経験値は期待出来る。

まぁ最後はぺきぺきで締めようと思っているんで、ここら辺りを逃げ切ってくれれば、何とかなる方向なのね。どちらも着地の方向になって来たのね。そんなこんな後、この子の額の材料が決まったんで、ホームセンターに・・・。

カットの時間には間に合わなかったが、何とかゲットしたんで、まぁ何とかするしか無いかな・・・。

 

 

 


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プチっとアトリエ片付けとプチっとアオリイカのモザイク

2021-08-14 01:48:55 | 休み?

今日は流石にアトリエが・・・って・・・苦手な片付け。 何しろ大作をいっぱい預かっているので、いつもよりもかなり狭くなって来ていて・・・更にタイルなんて事になると、流石に俺でもこれでは・・・と思って、今日は片付けぇって事に。

良く掃除や片付けの上手な人が、物を床に置かないように・・・とか、棚に収納するとか言うから、まずはそこを・・・と、俺なりに何とかやっては見たものの、お昼抜きでも3時となると、明日はお教室だし、何とかしないと・・・になり、

ひとまず何もしなかったよりはマシ・・・位にはなったと思う、嫌思いたい・・・だったら良いな・・・いずれにせよ、このままおしまい・・・って訳にも行かないので、アオリイカで気分転換しようと思ったが、軽くないのね・・・この作品。

ハワイアンの小物や焼き魚みたいに、気楽では無くてね・・・単純にぺきぺきと1cmタイルの違いと言ってしまえば、それはそうなんだけれど、仮にヤモリと比べても、アオリイカのが新鮮だけど、難しいのね。

新鮮だから気分としては緊張感があって、それはそれで良いんだけど・・・確かにやる前から、どうしようかな? と悩んだのね、やろうか? やるまいか? とね。 でも、ちょっとやって見たい・・・なんて気持ちが勝っちゃったのね。

まぁそれでも足が終われば、いくらか何とかメドが立つかな? ・・・・と、こっちも思いたい・・・だったら良いな・・・。


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フェルメールのリピーターさん教室とアオリイカのモザイク

2021-08-13 08:02:40 | モザイク教室

今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室。午前中はちょっと野暮用だったのね。そんな中、今日誕生日でね、モザイクを始めて20年経ったのね。中々、こうした感覚を感じる事が出来ないのね・・・家族が無いからね。

例えば子供が二十歳って事になると、感慨深い感じもするし、結婚して20年って言うと、随分経ったって言う事を共有出来たりして、その時間の振り返りって事で、一瞬、一時、時間が止まったように、フラッシュバックなんかしたりする。

あんな事あったな・・・こんな事あったな・・・って。その時は常に必死に過ごしていたから、振り返る事なんて余り無かっただろうし、記念日的なものや、振り返りの区切りみたいなもので言うと、10年みたいな単位の、下一桁が0だったりすると、

重みがどんどんと増したり、学校のように、3年区切りで、小、中、高のように進級する事で、格が上がったような・・・それが、幼稚園や保育園のような場合、その最初の1回目なんで、はじめてのおつかいじゃ無いけれど、これまた感慨深いだろうし。

何しろランドセルがヤドカリみたいに見えて、よちよち歩けば、ここまで育った、育てたってお母さん冥利に尽きるだろうから、振り返りとしては最高だと思うのね。こうして家族がいると、自分で感じられない時間を体験する事になる。

所が俺の場合、それが無いから、自分の誕生日や年末のように、誰もが持っている事でしか振り返る事は中々無いのね。更に言えば、それすら、モザイクを始めて・・・って仕事に結び付ける事ばかりなのね。

ただ、今回ちょっといつもとニュアンスが違って、自分の事で振り返っちゃったのね・・・例えば50になる時、ちょっと開き直って、信用を得られるとか、舐められない歳になる・・・そんな感覚で、嫌だなって気持ちより、それも良いじゃんって思えた。

しかし今回は60がちょっとだけ見える58になって、振り返りが後ろ向きっぽくなり、もう60になっちゃうのかぁ・・・とちょっと焦りにも似た感覚を覚えたのね。こんな事を20年も続けて来たのかぁ・・・って言う気持ちと、後2年やると、

60かぁ・・・とっくに後戻りなんて気持ちは無くなったけれど、結果が欲しいって焦りにも似た感じになったのね。まぁとは言え、そうは思った所で、こっちもある程度の経験値があるんで、はいはいそれまで、切り替えて行こうぜって、

自分に言い聞かせて、辞める選択は無いんだから、やれることを拾い集めるしか無かろう・・・って。そんな感じ。さてそんなこんなのお教室はと言うと、そろそろやりますか?って話になったのね・・・口。

正直、目や口って言うのは主張する場所であって、顔の中のパーツでも大事なのね。こう言うと、じゃ何で早々と目はやったのか?になるんだけれど、それは簡単で痛みを知らない時に、勢いで乗り切ったって感じなのね。

例えば、これを作りたい・・・って気持ちの最初は、作りたい気持ちが大きく、やる気満々って感じだと思うのね。しかもある程度モザイクを知った上での大作だから、不安もあるけれど、いつか終わるから・・・と覚悟も出来た。

そんな中、始まると、体験のように一回完結って時間では終わらないから、果てしなさが襲って来る。これだけかぁ・・・またこれだけ・・・このまたこれだけを何回か続けると、またこれだけか・・・の繰り返しに慣れて来るのね。

冒頭の枕の話に似てない?そこで進級とかになるのね。勿論、これだけかぁ・・・に慣れたから、慣れた封じって言う言い方もあるけれど、その慣れた実績で、そろそろ・・・って事で、新展開の目に入る訳ね。進級そこで緊張するのね。

またこれだけ・・・って言うのは慣れたのなら、目なんてそうは進まない。何しろこだわりだらけのパーツになるのだから。いつもよりも進まなくなる。だから、またこれだけ・・・に慣れて貰っていたのね。もっと進まなくなるから。

幼稚園から小学校も同じで、お母さんと一緒から、お母さんから離れる練習、そして離れられたら学習に専念みたいな段階を経てだと思うのね。つまり、またこれだけ・・・に慣れて、それがいつか、進む事よりも美しさの方に移行出来ると、

帰り際に進んだだけの表現の、これだけか・・・では無く、総合的な美しさを維持出来たか?どうか?の見方になると思うのね。話を戻すと、これだけか・・・を繰り返した事で、ある程度モザイクとは?大作とは?って感覚として、体験の1回で完結とは違う事を、

より感じたと思うのね。それによって、これだけか・・・に慣れた事は、忍耐的に時間に耐える事に慣れたと思うのね。しかし繰り返しって言うのは、日常の繰り返しみたいなもので、慣れると退屈なんて事にもなってしまうのね。

だから非日常が必要になる。つまり刺激。これだけか・・・になってしまった気分を、目だよ・・になる事で、緊張感を生む。やった事の無い場所・・・未熟ながら大事な場所って事は感じる事は出来たりする・・・これだけか・・・を忘れる。

実は反復練習と言うのは、体に覚えこませる事で、脳でいちいち考える前に、手が足が、勝手に動く癖を付けているようなもので、だから反復の時に基礎を叩き込むって言うのが一般的なんだと思うのね。

更に言えば、この反復に意識を持ってやるのと、無意識な感覚でやるのとでは、全く違う事になったりするのね。例えば、これをやる意味・・・なんて説明をして、理解した上で、やろうとした時、取扱説明書が苦手な人は、このブログを

見るのと同じように飽きてしまうと思うのね。そんな人には無意識で進みたい所を進んで貰えば良いと思うのね。だって自分の好きに進みたいだろうから。逆にどうしたら良いか?自分の好きに進むなんて、自分勝手になってしまうから、

結果が上手く行かないんじゃないか?と思うような人は、さっきとは逆に安心する為の説明が欲しくなる。この2つのパターンだけでも、もし同じものを作る体験だったとすると、方や目を丸く切りたい・・・なんて積極的な人もいれば、

目は難しそうだから・・・と後に残したとする。あくまで体験の話ね。ではどうなるか?簡単な話で、何と無く丸く切れたとすると、後はクラッシュ・・・って言えば、丸以外はランダムな形なんで、何と無くの丸は、かなり丸く見える。

逆に丸を外してクラッシュから進んだは良いけれど、周りを張り込んだ後に残したスペースに丸を後から入れる・・・こんな事は相当上手くなった人がやる事なのね。つまり入らないから無理やり入れる事になる・・・もはや丸くない。

こんな事が起こったりもする。ただどちらにしても、器用な人って場合は例外で、どちらでもこなしてしまうから、うっかり器用な人の隣に座ると、ペースは速いわ、余計な事をするわ、その上、完成度が高いなんて事になる。

その横に、もし不器用な人が座ったとしたら?あぁする方が良いのかな?とか、あんなに進んでいる・・・随分と私は遅れていると焦ったり、迷わせられる事ばかりになる。でももし我関せずの姿勢で、順番に進めば、結果は後から付いて来るんだけれど、

何しろ器用な人って言うのは、あれこれとやりたくなるのね・・・だから不器用な人を迷わせる。この話も一緒で、これだけかぁ・・・ってそそのかす自分がいる。つまり今の話は器用と不器用の2人がいる話だけれど、実は大作って言うのは

自分の中にそいつらが潜んでいる・・・と考える事なのね。だって、最初はやったぁ・・って思えたのに、いつしか繰り返すと、これだけかぁ・・・に変わる。それは慣れたから・・・慣れてどうなった?自信が付いたから、もっと進みたかった、そんな自分がいる。既に変わってしまった同じ自分の中に。

そんな感じなんだろうね。でも自信は過信になり、おごりにもなる。つまり油断は禁物なんだけれど、ついつい慣れるって言うのは、緊張感が無くなるのね。最初の出来た・・・って言う気持ちは、大作をやるんだ・・・の気持ちのままで、

素直に謙虚に出来たと喜べたのね。ただ作り手って言うのは、強欲なものなのね。何しろ上手くなりたいのね。そこで間違えちゃうのは、上手くなると早くなると思っちゃうのね。違う違う、上手くなるって言うのは、綺麗に出来るって事。

仮に時間が掛かっても美しい見栄えであって、多少変でも良いかっ・・・って進む事重視じゃ無いのね。こんな繰り返しをすると、顔がどんどんと終わって来た。あの未熟だった時の目の時よりも、今は上手くなっているはずなのね。

そして結果として、ここまでは成功している気分でいるし、誰もがフェルメールに見えている。ほら条件が揃った・・・あの頃よりも上手くなっている、フェルメールに見えている、じゃ口やっちゃえば良いじゃん。

って実は、これが目に見えない事で、プレッシャーなのね。そもそも、未熟な時の目なら、上手くなった腕で作る口なんだから、あの頃よりも上手い口が出来て、よりフェルメールに見えるはずでしょ?そう理屈ではね。

でもそうとは限らないのね。痛みの知らなかった未熟な自分が勢いで乗り切った目は、思わぬ良い結果を生んだ。当然今はもっと上手くなっているとは思うけれど・・・けれどね、結果を出したいのね。良い結果を。ほらプレッシャー。

だから経験値が増えて、色んな事を知ってしまって、未熟な頃の私のような勢いだけでは進めない自分がいる。そんな気分になるって言うのは、上手くなった証拠なのね。これはビビリでは無く武者震い。やる気はあるからこうして出来た。

きっと最初の頃のように夢中でやっただろうね・・・必死に。きっと口を作っている意識なんか無く、ここは赤、ここはエンジ・・・みたいに、色や形を気にして、こんなパーツかな?って組み合わせたんだろうね。

終わった後、ヘトヘトって言ってたのね。こんな言葉を言う人に油断なんてある訳が無いのね。しかも今までやって来た実績がある。それなら条件は揃っているのだから、結果はきちんと付いて来る・・・そう見えない?

もう慌てないで、その内に終わる・・・って思えれば、もう心配するような事は起きないと思うのね。そんな後は、ちょっとだけアオリイカのモザイク。

いつも思う事だけれど、先生として教えている事が自分にも当てはまったりもする。しかも今日は振り返りをするにはしやすい日だったので、良い意味でも悪い意味でも、勉強になったのね。


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子供体験と、中学生教室

2021-08-12 07:33:39 | モザイク教室

今日は午後から中学生教室だったんだけれど、外の看板を見て、孫がその日に来るんで・・・って話を先日聞いて、それでは・・・と通常10時から午前中は受けるんだけれど、2人って事もあって、前倒しの9時からにしたのね。

それがお孫さんを連れてご夫婦でいらしたんだけれど、お姉さんは低学年、弟さんは未就学って感じだったんだけれど、そんな事もあってか、両方に付き添いがいる事で、ペースが思ったよりも早くて・・・ちょっとビックリだったのね。

ちなみに金魚がお姉さんなんだけれど、こうしたご姉弟の場合、上の人のプライドを守りたいし、下の子のやる気を最後まで継続する事に気を使うのね。例えば今回の場合、帰ってからご両親に見せたりするでしょ?その時に、いくらかの差が欲しいのね。

当然と言えば当然なんだけれど・・・何しろテレビの番組じゃ無いが、小さい子は出来ただけでも感激される。その幼いながらポイントは、お姉ちゃんと同じ事を出来た・・・って褒めて貰えたり、凄いね・・・って言われたりもする。

そこでやっぱりお姉ちゃんだね・・・のテクニックや、見栄えを上げるポイントを教えたりもする。その事をご両親に伝えて貰えれば、違いを判って貰えるように・・・と。それを踏まえて見て貰うと、違いが判って貰えると思うのね。

弟さんは未就学なんで、タイルを切って張っただけでも十分評価されるのね。しかも目が無くてもクワガタに見えるから、小さなパーツを必要としなくて済むのね。ただつわものなのは、体が偶然にも3分割されているのね。

これでもし、羽を半分に分けてあったら、完璧だったと思うのね。このクラッシュのみでの仕上がりとしてはね。しかも色んな色を被らないように、隣には同じ色を入れないなんて、かなり意識してやっているのね。

こんな上級に見える未就学の弟と比較されるとなると、折角金魚なんで、目を丸く切って見よう・・・になる。当然そんなこだわったパーツを切れば、その1枚の間に、弟くんはどんどん進んでしまう・・・ここの判断は難しいんだけど、

お姉ちゃんとして、弟くんが心配だから見ているのか?はたまた、自分との差を気にしているのか?流石に初見では難しいが、いずれにしても、慌てないで・・・って言うのと、その丸の方を優先的に見る事になる。当然そうなると、弟くんは

えー、俺は?って感じになるんだけれど、きちんとサポートする人がいらっしゃるから、誰にも構われない時間帯が無いんで、そこを乗り切っていてくれれば、何とかしのげる・・・ってな感じなのね。

それと、テクニックの差って言う事になると、体と、ヒレや尻尾のラインをしっかり取ると、より金魚に見えるのね。

更に言えば、全部ランダムにするよりも、ヒレや尻尾の色を統一させると、全部ランダムにするよりも、ちょっと大人っぽくなる。それと泡。もう1回経験しているから、自信を持って2つ丸を追加・・・ここが大きな差の部分なのね。

ここに気が付いて貰えると、2つ並べた時に、やっぱりお姉ちゃんだわ・・・と、よく頑張ったねの弟くんって評価に繋がって行くと良いんだけれど・・・。いずれにせよ、2人とも頑張っていたし、中々の出来栄えなのね。

そんな後は、中学生教室。先日の扉にペンキを塗って、乾いた後に、9.5mmのタイルで縁取りして行く感じなんだけど、よくありがちなのは、ただ張るだけじゃん・・・この感覚ね。確かに切るって言うのは技術って感じに見える。

だから逆に張るって言うのは、つい、・・・だけじゃんって評価に繋がりやすいのね。例えばフィギュアだと、4回転半を5回転したとしたら?好きでも無くても凄く感じやすい。でもステップとか、ただ滑っているだけじゃんって思ったりする。

かと思うと、ホームランは凄くて、バントなんて当たり前だったり、ゴルフの飛距離は凄く感じるけれど、1mくらいのパットなんて入れて当たり前みたいに、やった事の無い人の判断って言うのは、こんな感じが多かったりするのね。

実はこのまま一生やらなければ、そのままでも良いんだけれど、こうして教わっている状況だとそうは行かないのね。それが油断になるから。そして大きな失敗や、思わぬ展開になって行くものなのね・・・。

まぁ簡単な話、初めてやる事に簡単な事など無い。って思うようなタイプ・・・ここで良く使う、謙虚が卑屈にもなるような場合、まっ俺はこっち側ね。そんな場合、何しろ自分が一番信用ならない・・・って感じだから、出来なかったらどうしよう・・・なのね。

つまり守ろうとする。じゃこの場合、どうなるか?になると、当然やりもしない事を丸投げする訳が無いのね。だから、宿題にする前に、一応やって見て貰い、その目地幅の感覚で・・・って教えた事を守ろうとする。つまり練習の反復をしようとするのね。

だから、大丈夫かな?大丈夫かな?と何度も教わった事と比較をするから、進みが悪くなり、当然ながら人よりも時間が掛かってしまう展開になる。よもすれば終わらなかったりするが、直される失敗はほぼ無い。こんな感じがこっち側のタイプ。

この逆に、自信が過信になりおごりになる・・・こんなタイプは、何しろ出来る前提で事が運ばれて行くのね。だから、練習の時に出来た事は、本番でも・・・になる。それが上手く行けば、緊張感を持たずに練習通りの結果が出る。

これが上手く行った場合ね。所が実はその練習の時は、先生が横にいて、判断をしていたからの結果の上って事だったから、それを見れば大きく外す事は無いのだけれど、一度出来た事と、張るだけって安心した事で、振り返らなかった。

こんな場合の2つのパターンは、距離が長くなればなるほど、張るだけって言うのは安定感が必要なのね。まっキャベツの千切りだと思えば簡単で、家族の分なら、まぁまぁ均等なら何とか見栄えとしては成り立つけれど、100人分となると、

後半段々雑になってしまう・・・疲れたみたいになる。こんな場合、均等の目地幅はキープ出来ない。そうかと思うと、まだ大丈夫・・・みたいな感じで進むと、最初の太さが正しい幅かどうか?の確認を怠ってしまっているのね。

それで進めた時、前半は広めに、後半は入らなくなり狭くなんて事になったりする。これが逆のパターンだと、ピッタリくっつけた方が綺麗なんじゃないか?って思い違いをして、前半ピッタリ目で、後半になり入らなくなった時、どうしよう?みたいな感じ。

勿論、全て持ち時間なんてもんが影響するのね。例えば、間に合わない・・・間に合わす。こんな言葉、美しさからは縁遠いのね。いつも一定って言うのは、調子が良かろうが、悪かろうが、大体一緒なのね。つまり今日は進んだ、今日は進まない・・・こんな事は、同じ事の繰り返しの中では起こらないのね。

だから、急に進んだ・・・と思った時は、何かおかしい?って疑って見直すのも良いだろうし、逆に進まないなんて場合、気にし過ぎかな?なんて思って肩の力を抜くなんてのも良いかも知れない。勿論、リピーターさん以上になると、

大作だったりすると、その場所の難易度で進み具合は大きく変わるから、自分の気持ち1つで、やる場所を決めるなんて手もある。いずれにせよ、張るだけ・・・って気持ちじゃ無くなれば、恐らく大きく失敗は無いとは思うが・・・。

午前中の体験教室のように、何しろ楽しく・・・でも、楽しくするには?となると、結果も欲しくなる。しかも子供・・・気は抜けないし、子供だから・・・なんて安心も無い。けれど何しろ楽しく・・・に力は入れる。

逆に中学生のように、時間を掛けるって言うのは、お金も掛かっているって事になるから、当然それなりの結果は求められる。体験のように楽しいだけじゃ済まないのね。責任の重みが大きく変わって来る。

当然、厳しい事も言わないとならない時もあって・・・しかも8月中盤となると、他の宿題の事も考えたりすると、のん気に和気あいあいって感じでも無くなって来る。いずれにせよ、同じお教室でも、気の使い方が大きく違うのね・・・。

そんなこんな後は、アオリイカのモザイク・・・

流石にそんなには進まなかったのね。しかも一応ワクチン接種後・・・無理するのも何だしって事で。


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