金曜日の昼から、三光地区にある小学校にへき地教育研究大会に行きました。子どもたちが意欲的に学習にのぞんでいました。なんとなくあったかな雰囲気の中で学校生活を送っていて、笑顔もとてもいい感じでした。「あっ、かったか先生。」中学校にきょうだいがいる子どもたちから声をかけられました。
かったかくんも2校目に赴任した小学校がへき地校でした。今は、廃校になっている小学校です。最初に赴任したのが、大規模校でした。1500人の学校で、一学年が6クラスでした。マンモス学校です。
その後、分離しました。そして、次の赴任した小学校が全校生徒50人の小学校でした。新任地のことしか知らなかったので、人数の少なさにしばらくは、とまどいました。まして、4,5年生の複式学級を担当したのです。
わたり授業?なんのこと?AB方式の授業?!聞く言葉が理解できない・・・。カルチャーショック気味でした。今では、そのときのお家の方や、生徒たちと家族のようにつきあっています。しかし、赴任した直後は、複雑な思いでした。すぐに地域のあたたかさに触れ溶け込むことができました。
わたりの授業。2つの学年で、こっちの学年を教えているときは、もう一つの学年は、プリント学習や作業。あっちいき、こっちいき。でも、それでも授業は、楽しかったです。
AB方式の授業・・・国語科や理科などで行われていました。国語科では、言語活動は、別にしますが、同じ学年で同じ教材を使って授業をします。それで良かったかどうかは、わかりませんが、4年生が終わるときは、5年生の理科の授業は終わっていました。4年生が5年生になったときは、複式が解消されたので、5年生では、すでに理科はならっていたので、6年生の授業を進めました。今では、考えられないけど。
魚釣り大会、ゼンマイを集めての「ぜんまい文庫」、しじみとり、ウォークラリー大会、いちごとり、いも料理大会・・・全校でも学年でも毎月のようにいろんな楽しい行事がありました。と言っても学習は、きちんとしていた(させていた?)ので、ゆとりと学習の両立がありました。今生徒たちは、社会の一線や家庭の中で奮闘・活躍をしています。
三光の小学校に行き、授業にそして、授業が終わったあとの子どもたちの姿は、とても素朴でさわやかな雰囲気がありました。小学校で育ったその姿を中学校で失わせてはいけないという責任を感じました。
かったかくんも2校目に赴任した小学校がへき地校でした。今は、廃校になっている小学校です。最初に赴任したのが、大規模校でした。1500人の学校で、一学年が6クラスでした。マンモス学校です。
その後、分離しました。そして、次の赴任した小学校が全校生徒50人の小学校でした。新任地のことしか知らなかったので、人数の少なさにしばらくは、とまどいました。まして、4,5年生の複式学級を担当したのです。
わたり授業?なんのこと?AB方式の授業?!聞く言葉が理解できない・・・。カルチャーショック気味でした。今では、そのときのお家の方や、生徒たちと家族のようにつきあっています。しかし、赴任した直後は、複雑な思いでした。すぐに地域のあたたかさに触れ溶け込むことができました。
わたりの授業。2つの学年で、こっちの学年を教えているときは、もう一つの学年は、プリント学習や作業。あっちいき、こっちいき。でも、それでも授業は、楽しかったです。
AB方式の授業・・・国語科や理科などで行われていました。国語科では、言語活動は、別にしますが、同じ学年で同じ教材を使って授業をします。それで良かったかどうかは、わかりませんが、4年生が終わるときは、5年生の理科の授業は終わっていました。4年生が5年生になったときは、複式が解消されたので、5年生では、すでに理科はならっていたので、6年生の授業を進めました。今では、考えられないけど。
魚釣り大会、ゼンマイを集めての「ぜんまい文庫」、しじみとり、ウォークラリー大会、いちごとり、いも料理大会・・・全校でも学年でも毎月のようにいろんな楽しい行事がありました。と言っても学習は、きちんとしていた(させていた?)ので、ゆとりと学習の両立がありました。今生徒たちは、社会の一線や家庭の中で奮闘・活躍をしています。
三光の小学校に行き、授業にそして、授業が終わったあとの子どもたちの姿は、とても素朴でさわやかな雰囲気がありました。小学校で育ったその姿を中学校で失わせてはいけないという責任を感じました。