過ぎ去った60年の年月に
故郷降り立ち思い出偲ぶ
土曜日の午前中のことです。雨も降りはじめました。ちょっと出かけをする前・・・ごろりとうたた寝をしていました。
「トントントン・・」
とガラス窓をたたく音。見ると、カメラを抱えた高齢の方が外にたたずんでいました。不審者?外に出ました。
「○○さんのお宅は、どうなっていますか。」
東京から来たという高齢の方からいろいろ話を聞きました。
○○さんのところに疎開してきていたそうです。
少し時間があったので、一緒に地区を回りました。カメラを服の裾で雨で濡れることを避けながら、当時残っているものを懐かしそうに見ていました。
「この辺りには、水車があったんですよ。」
確かに。幼いころ、その水路には水車がまだ残っていました。
水路には川魚が泳いでいたり、うなぎをとったりしていました。川を見て、
「あそこは、さんじゅうさんぴろと言っていましたね。よく泳いだもんだ。」
「さんじゅうさんぴろ」懐かしい言葉。今でもそこは、「さんぴろ」と呼ばれている渕です。しかし、今は、川に行く人も少なくなってきているので、この場所の言葉も使われなくなってきています。「さんじゅうさんぴろ」と言うのは、33幅ということだと思います。33幅深さが、この渕の名前の由来だと思います。本当に33幅あるかどうかはわかりませんが、とにかくとても水深があります。
子どもの頃は、「ここで泳いではいけない。」と小学生は水泳禁止になっていました。中学生が泳いでいる姿を見て、羨ましく思っていました。それでも年齢に達してそこで泳ぐとき、潜って川底に手を付けるなどは、至難の技でしたし、耳がつーんとしていました。
「この家にいたんですよ。」
もうそこは、空家になっています。今回の水害では大きな被害を受けています。その家の軒下でいろいろ話が出てきました。また地区のいろんな方の名前が出てきましたが、すでにお亡くなりになっている方ばかりでした。
「そうですか。亡くなっているんですか。」と少し寂しそうにしていました。「何年ぶりに来られたんですか。」と聞くと、「60年ぶり」という答えが返ってきました。
60年ぶり。この60年で地区の風景も人も様変わりになっています。きっとこの方にとっては、戦時中の地区と平成の地区とでは、「浦島太郎」的な再訪ではなかったかと思います。もう二度と来ることはないかも知れません。
たたずんで、当時の幼きころのいろんな賑やかな声が聞こえてきたかも知れません。どのような思いでここの風景を見つめたことでしょう。
お孫さんなのでしょう。レンタカーを借りて、車で待ってあげていました。「いろいろありがとうございました。」とお礼を告げて、車に乗って去って行かれました。
故郷降り立ち思い出偲ぶ
土曜日の午前中のことです。雨も降りはじめました。ちょっと出かけをする前・・・ごろりとうたた寝をしていました。
「トントントン・・」
とガラス窓をたたく音。見ると、カメラを抱えた高齢の方が外にたたずんでいました。不審者?外に出ました。
「○○さんのお宅は、どうなっていますか。」
東京から来たという高齢の方からいろいろ話を聞きました。
○○さんのところに疎開してきていたそうです。
少し時間があったので、一緒に地区を回りました。カメラを服の裾で雨で濡れることを避けながら、当時残っているものを懐かしそうに見ていました。
「この辺りには、水車があったんですよ。」
確かに。幼いころ、その水路には水車がまだ残っていました。
水路には川魚が泳いでいたり、うなぎをとったりしていました。川を見て、
「あそこは、さんじゅうさんぴろと言っていましたね。よく泳いだもんだ。」
「さんじゅうさんぴろ」懐かしい言葉。今でもそこは、「さんぴろ」と呼ばれている渕です。しかし、今は、川に行く人も少なくなってきているので、この場所の言葉も使われなくなってきています。「さんじゅうさんぴろ」と言うのは、33幅ということだと思います。33幅深さが、この渕の名前の由来だと思います。本当に33幅あるかどうかはわかりませんが、とにかくとても水深があります。
子どもの頃は、「ここで泳いではいけない。」と小学生は水泳禁止になっていました。中学生が泳いでいる姿を見て、羨ましく思っていました。それでも年齢に達してそこで泳ぐとき、潜って川底に手を付けるなどは、至難の技でしたし、耳がつーんとしていました。
「この家にいたんですよ。」
もうそこは、空家になっています。今回の水害では大きな被害を受けています。その家の軒下でいろいろ話が出てきました。また地区のいろんな方の名前が出てきましたが、すでにお亡くなりになっている方ばかりでした。
「そうですか。亡くなっているんですか。」と少し寂しそうにしていました。「何年ぶりに来られたんですか。」と聞くと、「60年ぶり」という答えが返ってきました。
60年ぶり。この60年で地区の風景も人も様変わりになっています。きっとこの方にとっては、戦時中の地区と平成の地区とでは、「浦島太郎」的な再訪ではなかったかと思います。もう二度と来ることはないかも知れません。
たたずんで、当時の幼きころのいろんな賑やかな声が聞こえてきたかも知れません。どのような思いでここの風景を見つめたことでしょう。
お孫さんなのでしょう。レンタカーを借りて、車で待ってあげていました。「いろいろありがとうございました。」とお礼を告げて、車に乗って去って行かれました。