地元の大先輩である玉麻秀一さんが「自省古稀」という本を出版しました。
玉麻さんは、大分合同新聞「読者の声」に常に地元のことを考えた思いを投稿しています。
ふるさとのことを真に想う気持ちに尊敬をします。存在感の大きな方です。
先日、出版した本を贈って下さいました。
そして、今日は、出版のお礼ということで、葉書が届いていました。
本の中に発刊の「お祝いの言葉」を書かせていただきました。
「「自塾古稀」採択小論集へのお祝いの言葉
このたびは、「自祝古稀」採択小論集のご刊行おめでとうございます。
わたしが玉麻秀一さんを知ったのは、今から50年前の中学校時代です。
当時、玉麻コーチが率いる耶馬溪中学校男子ソフトテニス部は、大分県のチャンピオンでした。
コートの外から見るソフトテニス部の同級生の活動は輝いていて、玉麻コーチの指導力の素晴らしさを感じていました。
玉麻さんは、子どもたちに関わっていくだけではなく、耶馬溪町役場・中津市役所の職員として、多くの課に所属し、耶馬溪の活性化のために尽力してきました。
そのことは、住民の方々が熟知しています。
退職後は、耶馬溪公民館長として、社会教育の最前線で活躍されました。
館長さん当時、わたしは、耶馬溪中学校の校長として在職していました。
玉麻さんは、ふるさとの子どもたちを大切にされる人でした。
公民館活動の中に、学校との連携を取り入れてくれました。
「スクスクプロジェクト」という活動があります。
効果的に地域の方を指導者として送り込んでいただき、「生きる力」の源を子どもたちに根付かせてくれました。
また、学校行事の中でも生徒たちが大切にしている「合唱祭」に、耶馬溪高年大学の方々の来校を企画してくれました。
中学校行事の中に、組織的に活動をしている地域の方々が来ていただけるのは、稀なことであると思います。
その活動の成果として、地域と学校との距離が短いものとなりました。
「おかげでなあ、今日は、亡くなったお父さんも連れてきましたよ。子どもさんたちの歌で元気が出ました。」
と話しておられた地域の方もいました。
玉麻さんは、演出などにこだわりを持つ方でもあり、
「ステージの電気で、歌っている子どもたちの顔が逆光になるんですよね。」
と演出上のアドバイスもいただくことができました。
的確にものごとをとらえます。
次の年には、スポットライトを公民館から借りて、子どもたちの顔が鮮明になるように映し出しました。
玉麻さんは、体験と実践を通して考え蓄積された思いを、大分合同新聞「読者の声」に投稿そして掲載されています。
一つひとつの投稿に、耶馬溪に対する「情熱」と「愛」が存在することを感じます。
最近は、自然災害が多くなっています。
「耶馬溪が何か寂しくなってきた。」
という言葉が聞かれる中で、玉麻さんが投稿された文章から、住民の一人として、勇気をもらうことができます。
今後においても「耶馬溪」の牽引者としての「玉麻秀一」さんの活躍を御祈念申し上げます。」
私自身は、玉麻さんとは形は違いますが、教員になってから、学級・学年・学校だよりを日々綴ってきています。
現在も毎日、学級・学校の子どもたちの様子を通して、子どもたちの顔を思い浮かべながら、思いを掲載してきています。
綴る楽しさを感じています。
綴ることの意味はいろいろとありますが、私自身は、子どもたちをポジティブに見ることができます。
通信は、子どもたちのよさを発信していくために、常に子どもたちの良いところを見ることが自然に体得できると思っています。
A4の毎日の日記も数十年続いています。
その一部をブログに載せています。いつか書いたように、これは、五木寛之さんの語りが大きな力となっています。
玉麻さんの「自省古稀」を読んで、ふるさとに対するこだわりの愛情を感じるとともに、玉麻さんの文章から、勇気と静かに湧いてくるエネルギーをもらうことができました。
感謝をしています。
玉麻さんは、大分合同新聞「読者の声」に常に地元のことを考えた思いを投稿しています。
ふるさとのことを真に想う気持ちに尊敬をします。存在感の大きな方です。
先日、出版した本を贈って下さいました。
そして、今日は、出版のお礼ということで、葉書が届いていました。
本の中に発刊の「お祝いの言葉」を書かせていただきました。
「「自塾古稀」採択小論集へのお祝いの言葉
このたびは、「自祝古稀」採択小論集のご刊行おめでとうございます。
わたしが玉麻秀一さんを知ったのは、今から50年前の中学校時代です。
当時、玉麻コーチが率いる耶馬溪中学校男子ソフトテニス部は、大分県のチャンピオンでした。
コートの外から見るソフトテニス部の同級生の活動は輝いていて、玉麻コーチの指導力の素晴らしさを感じていました。
玉麻さんは、子どもたちに関わっていくだけではなく、耶馬溪町役場・中津市役所の職員として、多くの課に所属し、耶馬溪の活性化のために尽力してきました。
そのことは、住民の方々が熟知しています。
退職後は、耶馬溪公民館長として、社会教育の最前線で活躍されました。
館長さん当時、わたしは、耶馬溪中学校の校長として在職していました。
玉麻さんは、ふるさとの子どもたちを大切にされる人でした。
公民館活動の中に、学校との連携を取り入れてくれました。
「スクスクプロジェクト」という活動があります。
効果的に地域の方を指導者として送り込んでいただき、「生きる力」の源を子どもたちに根付かせてくれました。
また、学校行事の中でも生徒たちが大切にしている「合唱祭」に、耶馬溪高年大学の方々の来校を企画してくれました。
中学校行事の中に、組織的に活動をしている地域の方々が来ていただけるのは、稀なことであると思います。
その活動の成果として、地域と学校との距離が短いものとなりました。
「おかげでなあ、今日は、亡くなったお父さんも連れてきましたよ。子どもさんたちの歌で元気が出ました。」
と話しておられた地域の方もいました。
玉麻さんは、演出などにこだわりを持つ方でもあり、
「ステージの電気で、歌っている子どもたちの顔が逆光になるんですよね。」
と演出上のアドバイスもいただくことができました。
的確にものごとをとらえます。
次の年には、スポットライトを公民館から借りて、子どもたちの顔が鮮明になるように映し出しました。
玉麻さんは、体験と実践を通して考え蓄積された思いを、大分合同新聞「読者の声」に投稿そして掲載されています。
一つひとつの投稿に、耶馬溪に対する「情熱」と「愛」が存在することを感じます。
最近は、自然災害が多くなっています。
「耶馬溪が何か寂しくなってきた。」
という言葉が聞かれる中で、玉麻さんが投稿された文章から、住民の一人として、勇気をもらうことができます。
今後においても「耶馬溪」の牽引者としての「玉麻秀一」さんの活躍を御祈念申し上げます。」
私自身は、玉麻さんとは形は違いますが、教員になってから、学級・学年・学校だよりを日々綴ってきています。
現在も毎日、学級・学校の子どもたちの様子を通して、子どもたちの顔を思い浮かべながら、思いを掲載してきています。
綴る楽しさを感じています。
綴ることの意味はいろいろとありますが、私自身は、子どもたちをポジティブに見ることができます。
通信は、子どもたちのよさを発信していくために、常に子どもたちの良いところを見ることが自然に体得できると思っています。
A4の毎日の日記も数十年続いています。
その一部をブログに載せています。いつか書いたように、これは、五木寛之さんの語りが大きな力となっています。
玉麻さんの「自省古稀」を読んで、ふるさとに対するこだわりの愛情を感じるとともに、玉麻さんの文章から、勇気と静かに湧いてくるエネルギーをもらうことができました。
感謝をしています。