かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

インフルエンザの猛威

2009年11月12日 | Weblog
いったい、いつになったら、インフルエンザが収束をするんだろう。まったく、勢いは衰えもしません。ちょっと静まるかなあと思いきや再び復活してきます。
 
今日、大分県でもかなりの学校で学校閉鎖の措置をとっているところがあります。また中津市でも10学級をこえる数のクラスが閉鎖となっています。猛威をふるっています。



 中津の小学校の先生は、
「今度、韓国との交流会があるんだけど、中止になりました。」
日田の知り合いの先生からは、
「文化祭が延期になりました。」
などの声が聞こえてきます。学校行事にも大きな影響を与えています。



 勤務する学校においても、まず、修学旅行で影響を与えました。出発はなんとかできました。しかし、京都に行って罹患する生徒が出てきました。途中、お家の方が迎えに行って帰ってくるケースがありました。その生徒にとっては、どんな思いだったでしょう。生徒会行事などでものびのびになっているものがあります。またPTA行事などにも影響が出ています。




 さあ、やろうかというときに、出鼻をくじかれます。



 でもここで、インフルエンザなんぞに負けてはなりません。いろんな行事を企画しているのに、延期・・・決断がいります。いろんな意見がでます。でも、そこで、この猛威が身体的だけのものではなく、人と人との関係をも崩されることがあっては、悲しく感じます。インフルエンザの流行があっても、家族が、仲間が・・・お互いがお互いを大切にしあう心を持ち続けたい、結びつきを大事にしたいとふと思うこともあります。




 明日、大分県の中学校駅伝競技大会の開会式が午後からあります。そして、あさっては、駅伝大会です。大会を前にして、罹患した生徒もいます。しかし、回復して練習に参加をしています。みんなが体調万全のなかで、力を発揮して欲しいと願っています。開会式はおそらくどこの学校もマスク着用となるでしょう。


 一日も早く流行しているインフルエンザがおさまることを祈っています。 

秋の深まりにふれた一日

2009年11月08日 | Weblog
 このところ、休みにもいろんなことがあって、学校に出たりすることがありました。今日は、久しぶりに母のいる老人施設に行きました。最近、母のことは、連れ合いにまかせっぱなしでした。母の手を握りながら、いろんなことを話しました。



うっすらと目を開けて、かける言葉になんとか母なりに返答をしてくれました。お菓子を食べさせながら、「おいしい?」と聞くと、「おいしいね。」と母なりの気配りをしてくれました。



 昨年だったでしょうか、母が自分の名前を呼んでくれました。それ以来は、話はするけれど、名前を呼んでくれることはありませんでした。でも、あのとき、せめて呼んでくれた出来事は、決して忘れていません。今日、連れあいと母に話しかけていました。しばらくして、突然、思い出したかのように、
「かーたかさん・・・。」
と声をかけてくれました。母の話はそれから先は、続きませんでしたが、もうないだろう、あの日の出来事は大切にしておこうと思っていただけにびっくりしました。母の顔を見ながら、涙が出ました。母とのいろんな思い出が浮かんできました。背中に冬物の服を整理してくれていた連れ合いがいたので、気づかれないように涙をぬぐいました。しあわせな空気が流れました。




「おかあさん、もみじがきれいよ。」
と連れ合いが日差しが入ってくるので、閉めていたカーテンを開けてくれました。
 老いていく母ですが、いてくれるだけでその存在の大きさを感じます。



 何となく心が潤った中で、午後から大分市で講演会があるので、メイプルファームロードを通って、深耶馬渓に抜けました。耶馬溪から裏耶馬渓の伊福を通って、深耶馬溪に抜ける道は、隠れたメイプルのスポットです。カメラを抱えた人たちがいたるところにいました。秋の深まりを、車窓から見える赤く染まった山々を見ながら感じました。




 ファームロードに入る前の少年旅行村の前のもみじ木のところで秋の写真をとりました。母との会話、そして、秋の美しさといい時間をすごしました。





 今日、初めて気づいたのですが、少年旅行村から深耶馬溪に抜けるときに、いろんな奇岩を見ることができます。紅葉の中の奇岩ですてきな景観です。岩の名前を道路の脇に書いています。



 その中に「合格奇岩」という岩がありました。すごいネーミング。受験生には、ご利益があるかも。裏耶馬渓伊福からながーい、深耶馬溪トンネルまでの間は、今は、すごく綺麗で、この季節、大好きな場所です。是非、お薦めです。深耶馬渓は、人だかりでしたが、ちょっとした隠れスポットです。




 今日は、心が心地よく揺れた一日でした。写真、きれいでしょう?

小学校での授業をみました

2009年11月07日 | Weblog
 金曜日の昼から、三光地区にある小学校にへき地教育研究大会に行きました。子どもたちが意欲的に学習にのぞんでいました。なんとなくあったかな雰囲気の中で学校生活を送っていて、笑顔もとてもいい感じでした。「あっ、かったか先生。」中学校にきょうだいがいる子どもたちから声をかけられました。



 かったかくんも2校目に赴任した小学校がへき地校でした。今は、廃校になっている小学校です。最初に赴任したのが、大規模校でした。1500人の学校で、一学年が6クラスでした。マンモス学校です。

 その後、分離しました。そして、次の赴任した小学校が全校生徒50人の小学校でした。新任地のことしか知らなかったので、人数の少なさにしばらくは、とまどいました。まして、4,5年生の複式学級を担当したのです。

 わたり授業?なんのこと?AB方式の授業?!聞く言葉が理解できない・・・。カルチャーショック気味でした。今では、そのときのお家の方や、生徒たちと家族のようにつきあっています。しかし、赴任した直後は、複雑な思いでした。すぐに地域のあたたかさに触れ溶け込むことができました。



 わたりの授業。2つの学年で、こっちの学年を教えているときは、もう一つの学年は、プリント学習や作業。あっちいき、こっちいき。でも、それでも授業は、楽しかったです。

 AB方式の授業・・・国語科や理科などで行われていました。国語科では、言語活動は、別にしますが、同じ学年で同じ教材を使って授業をします。それで良かったかどうかは、わかりませんが、4年生が終わるときは、5年生の理科の授業は終わっていました。4年生が5年生になったときは、複式が解消されたので、5年生では、すでに理科はならっていたので、6年生の授業を進めました。今では、考えられないけど。





 魚釣り大会、ゼンマイを集めての「ぜんまい文庫」、しじみとり、ウォークラリー大会、いちごとり、いも料理大会・・・全校でも学年でも毎月のようにいろんな楽しい行事がありました。と言っても学習は、きちんとしていた(させていた?)ので、ゆとりと学習の両立がありました。今生徒たちは、社会の一線や家庭の中で奮闘・活躍をしています。




 三光の小学校に行き、授業にそして、授業が終わったあとの子どもたちの姿は、とても素朴でさわやかな雰囲気がありました。小学校で育ったその姿を中学校で失わせてはいけないという責任を感じました。

年に一度のソフトボール

2009年11月07日 | Weblog
先生になって、まもなく30周年記念を迎えようとしています。この間こそ、新採用として、中津の小学校に赴任をしたと思っていたのに、もうすぐ、30年です。まさに時代は速く動いています。



 この季節になると、毎年、大分県の教職員のソフトボール大会が大分市で開催をされます。新採用の時から、ほぼ完璧に出席です。中津の先生たちでチームを作り、参加をしています。新採用勤務が終わり、勤務地の関係で1回だけチームは変わりました。大分市でその日結婚式があり、ユニフォームの上に、背広を出て、披露宴が終わってからすぐに日岡の方の球場まで駆けつけたこともあります。




 なんどか優勝もしています。
 今のチームは、この大会に2つに分けて出ています。勝つことを目的としているチームと、勝っても負けてもいいチームです。かったかくんは、最近は、後者のチームで出ています。それは、年齢??前泊をするので、それが目的??プレッシャーもなく試合ができます。



 試合会場もたくさんあるのですが、我がチームは、坂の市中学校で行われました。対戦も坂の市中学校単独チームです。我がチームは、平均年齢の高さはどこにも負けません。相手は、見るからに、若さが違います。ピッチャーの球にも勢いがあります。



 試合は、予想通り、相手のペースです。なんと、初回に4点入れられました。でも、予想を裏切る動きで、4点を入れ返し同点。おおやるじゃないか。



 それもつかの間、徐々に点を入れられ、11対4で最終回を迎えました。中津への帰り方もベンチで話をしていました。
「どこか寄る?」「まっすぐ帰る?」
すると、ランナーがでるでる。そして、ヒットが続きます。


11対8となりました。まったく予想外の展開です。なんと、2アウト満塁で打席がまわってきました。
「かったかちゃん、ホームランでサヨナラで。」
おっ、ちょっとプレッシャーじゃあないか。今回は、4番ですが、それまでの打席であまり打ててなかったので、自信もなし。



 こうなれば、行くしかない。初球、来た球を打ちました。なんと右中間を抜けるかどうかの予期もせぬ鋭いあたり。もしかして・・・。ホームラン?!えっ?!サヨナラ?!



 でも、センターが球に追いついて処理をしました。結局2塁打でした。でもランナーが2人帰って、11対10までになりました。すごい試合。さらにランナー2、3塁。次のバッターに期待。しかし、そこは、勝っても負けても誰もが気にしない月見草チーム。期待に応えて、そこまででした。



 年に一度の大会です。年々、こういった行事も少なくなっている中で、いろんな学校の先生たちと同じチームで和気藹々と楽しむことができました。

 ちなみに写真は自分ではありません。

おめでとう!全国大会へ

2009年11月06日 | Weblog
「先生、ぼくは、高校で駅伝をしてみたい。」と前の中学校勤務の時の生徒。

夕方職員室に来て話をしているときのことでした。生徒は、バスケットボールの選手でした。長距離などを本格的にしたことはありません。バスケットボールを引退してから、体育の先生とがんばって日田市の駅伝大会に向けて走り込んでいたくらいです。



しかし、市の駅伝大会で爆発をしました。思いもかけず、1区で区間賞をとりました。そこで、生徒は自信をつけました。


駅伝の強い知り合いの高校の先生が自分の学校の入学を勧めてくれました。貧血などで故障を続けていましたが、回復。思いもかけませんでしたが、なんと、2年生でレギュラーの座をとりました。努力の結果でしょう。




 家に電話をかけると、おばあちゃんが出ました。喜んでいました。夢の都大路を走ることができます。目に見えないところで故郷を離れ、つらいことも多かったでしょう。


本当におめでとう。当時の担任の先生ともメールで喜び合いました。

すきばさみの購入

2009年11月04日 | Weblog
最近、家の2台のパソコンの状態が悪いので、ずっと気になっていました。1台は、画面が黒くなって、作業をするのに、見にくいのです。しばらくそれでも我慢して使っていると、機嫌がいいときは、いつの間にかよくなります。でもたいがいはそのままです。この字はなんと書いているのかなあと判読するのが難しいときが多かったのです。



もう1台は、パソコンの中のファンが故障していて、回らなくなっています。それで、パソコンが熱くなったら、ぶちっと切れます。あらら・・・作業中なのにと思っても遅い。だから、このパソコンを使うときは、寒くてもファンのかわりに、扇風機で空気を入れ込みます。夏はいいけど、最近は寒くなっているので、たまらなくなっていました。




「SOS」教えた生徒が見に来てくれました。


 1台は、ディスプレイを貸してくれました。すぐに見えるようになりました。「このディスプレイプレゼントしてくれてもいいけど。」「それじゃあ、自分が仕事ができなくなるよ。」あっさり断られました。そりゃそうだ。もう1台は、修理に持って帰ってくれました。




 話は変わりますが、教えた生徒くんが家に来てくれるちょっと前に、最近、髪が伸びたなあと思い、すきばさみで切ろうとしました。ない・・・すきばさみが・・・もう完全に髪の毛を切る体制になっているのに。



「これつかえばどう・?」と連れ合い。カッターが入ったくしです。「おっ、よく切れる。」気持ちよく、切っていました。バシッ・・・前の毛をきりすぎたあ。毛がなくなった・・・。そしてまもなく生徒くん。



「先生、病気ですか。」
なんと。
「前の毛がえらい薄くなっているよ。」
愕然。



 あれやこれや説明をしました。「そうなんすか。」
 


今日は、学校に行くのが嫌だった。朝、ある先生に言われる前に先制を放つために説明をしました。



「いや、そうでもないですよ。切るのがうまいですなあ。」
「本当ですか。」
しばらくして、その先生の近くに行って話すことがありました。
「さっきは遠かったけれど、近くから見ると、おかしいですなあ。」
「・・・・・・・。」



今日、早速すきばさみを購入しました。パソコンは、壊れるは髪の毛はなくなるわで、日々災難状態です。

見えないところでの心配り

2009年11月04日 | Weblog
中津市では、学校の常駐の職員として学校環境を整えて下さる方がいます。いろんなところに気配りをしてくれます。これまでもしてくれるのか・・・というくらい学校全般のことを気にかけてくれます。 



 校庭、グランド、グランドの斜面の草。三光中学校は敷地面積が広いので、夏場は、何日かかけて刈り終わったかと思えば、もう一番最初に刈ったところは、かなり草が生えてきている・・・といった感じで、夏場の暑いときは、特に大変です。朝の6時くらいから、早いときには暑さも考えて5時台から仕事を始めています。



 たいがいかったかくんは、7時に学校に着くのですが、着いて間もなくして、一度戻ってこられます。汗が体から吹き出している中、その方が仕事前にみんなに作ってくれているコーヒーを飲みます。

「先生、ちょっとこの仕事を手伝ってくれませんか。」



と待っていたとばかり、一人では、危険な、又は、持つことができないような仕事を頼まれます。でもそれが、二人のコミュニケーションです。



 先日、
「この間、2年生の掃除箱が壊れていたので、修繕したですよね。それで、2年生が、自分のところにやってきて、「ありがとうございました。」とお礼の言葉を言っていたんですよ。担任の先生が伝えたのかもしれないけど、うれしかったですね。」
という言葉を聞きました。



 そのくらい、細かに学校の全体を見てくれています。
 最近、ずっと桜の葉が落ちていました。毎日、生徒たちが通学してくるところにたくさん絨毯のように敷かれていました。それを毎日朝、はわいてくれていました。



先日の職員会議の中で、生徒の話と毎日校庭の周りをみんなが来る前にはわいてくれたりして環境を整備してくれていることを私たち先生たちも、しっかりと生徒たちに伝えていくことが大切ではないかということを話題に出しました。



学校の環境がきれいなのは、自然にそうなっているんではなく・・・あたりまえではなく・・・かげでみんなの環境を整えてくれている人がいるんだということを伝え、感謝の気持ちを持たせるのは、教える側の使命だと思うのです。



生徒たちの周りには、見えないところでたくさんの人が関わっている、支援をしてくれています。そんなところには、ちょっと目がいくことができる生徒たちに育てたいものだと感じています。



環境を整備してくれている方の生き方や話を見たり聞いたりしながら、たくさんのことを学びます。人生の先輩です。


 前にこの中学校にいたときと合わせて出会って、6年目になります。出会えたことに感謝をしています。

いろんな思い出を残した修学旅行

2009年11月03日 | Weblog
11月1日(日曜日)に修学旅行生が帰ってきました。インフルエンザ流行しているときの旅行だっただけに、いろいろ心配をしました。


 まず、みんなが修学旅行にいけるようにしようと、いろんな配慮から始まりました。旅行前日には、他学年からインフルエンザの生徒が出たので、2年生は早く帰宅させました。みんなインフルエンザをかいくぐるように、出発をすることができました。その間、他学年では、学級閉鎖などが出ました。



 旅行中も心配をしました。しかし、2名、京都でインフルエンザに。残念。ここまできたのに・・・。罹患した生徒の気持ちを考えると、たまらなくなります。修学旅行は、本当に中学校生活最大の行事です。着いてすぐに、発症。マニュアルでは、お家の方に迎えに来てもらうということになっていました。今は、保険でお家の方の交通費は出るようになっています。




 帰ってきた生徒に電話をしました。気持ちは、複雑だっただろうけど、お家の方のいろんな配慮があって、しっかりと応対をしてくれて少し安心しました。



 旅行中は、担当の先生から、現地での写真をメールで学校に送ってもらっていました。それを学校のホームページに掲載をしていました。先生も大変だったと思いますが、それでもアクセス数が速いテンポであがっていたので、お家の方も見てくれていたのでしょう。



 写真を見ながら、こちらも修学旅行に行っているような気がしました。


 修学旅行に際して、お家の方、教育委員会や三光教育センターの方々に本当にご支援をいただきました。感謝をしています。先生が写真をまとめてくれていました。ちょっとその写真を使いながら、旅行の生徒の表情を残しておきます。

メールでの懐かしい再会

2009年11月01日 | Weblog
 何となくあわただしい中に、うれしいことがあります。

 中津の方向に車を進ませたときに、懐かしい場所があります。初めて先生になったときに、受け持った生徒のたけしくんの家のところです。たけしくんの家は、仏壇店を営んでいました。家庭訪問は、その店を訪問していました。いろんな縁があって、たけしくんのお父さんとは、同じソフトボールのチームでした。中津市でも強いチームで、いろんなところに一緒に試合に行っていました。


 たけしくんもよく、家に遊びに来ていました。一度友だちと泊まりに来たときに、一緒に英彦山にのぼりました。いろんな思い出がよみがえります。



 小学校4年生のときです。社会の時間に、地名を覚えるのに、時刻表調べをしたことがあります。「鹿児島まで普通列車で行ってみよう。」「特急と普通列車を使って、静岡まで行ってみよう。」など班対抗で競ったりしていました。たぶん、そのときの生徒たちは、○○本線や県名、都市名などは強いと思います。担任をしていたある日、愛知県の豊田市に行く機会がありました。


「先生、ぼくが調べてあげる。」


と言って、行きは、寝台車「富士」と普通列車で豊田市に。帰りは新幹線で帰り、一日の休みですみました。全部、ノートに日程、時間と金額まで書いてくれました。


 でも困ったこともありました。


「先生、うちの子どもは、休みになると、子どもたちだけで、列車に乗るんですよ。日豊本線、久大線、日田彦山線などを使って、帰ってくるんです。子どもだけでいいんでしょうか。」
 好きなのは、わかるけど・・・うーん・・・でも好きなんだからね。事故さえ注意すれば、そんな子どもがこだわることも大切にしたいですよね。




 たけしくんも高校を出て、大学に入りました。かったかくんの家の仏壇を変えるときに、たけしくんのところに頼みました。たけしくんは、ちょうど休み中だったので、たけしくんとたけしくんのお父さんが持ってきてくれました。いろいろお父さんがお世話をしてくれました。久しぶりに会うたけしくんは、さらに頼もしくなっていました。


「先生、大学をやめました。でも勉強をして東京の大学にまた入学しました。」
 しばらくして、お家の方も店をたたんで、遠くのお母さんの実家に移りました。それ以来、連絡も途絶えていました。
「どうしているんだろうなあ。」
と思っていました。年賀状を教えた生徒に出していますが、たけしくんには出すことができずにいました。パソコンで名前の検索をかけました。すると、出てきました。まあ、写真を見ると、間違いないと思い、たけしくんのホームページからメールを送りました。
 半年以上たった昨日、返信がありました。





「大変ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
メールを頂いたころはアメリカにおり拝見できませんでした。大変失礼しました。保存されていた大量のメールを処理していたら、先生からのメールを見つけびっくりして急いで返信している次第です。



2007年7月からアメリカの大学のロースクールに1年間留学し、その後ワシントンDCの法律事務所で1年間働いて、今年の8月に日本に戻って参りました。



小学校、中学、高校が一緒だった8歳後輩の方が、ペンシルベニア大学ロースクールの同級生で、これもとんでもない偶然でびっくりしましたが。



現在は下記の連絡先の通り、法律事務所で働いております。
確か、私が大学3年ごろ(1994年)に先生のご自宅に父と配達をさせて頂いた記憶がありますが、それ以来でしょうか。



その後、私の両親は母の故郷に移り住んでおり、元気に暮らしております。ですので、社会人になってからは中津に帰ることはなくなってしまいました。
東京から石川空港へ1時間で、空港から車で15分のところに家があり、中津に帰るのと比べると大変便利ではあります。また、有名な温泉もすぐそばにあるため良い療養にもなります。



もっとも、中津は私の生まれて18年間育った町であり、先生にご指導頂いた時期も含めてやはり心の中に大事な思い出として今でも残っております。
2002年に結婚し、6歳になる娘がおります。妻も働いており、娘が風邪をひいたときは、妻の実家から義母に来てもらったり、私の母に来てもらったりして、何とかやりくりしておりました。



つい、最近も娘がインフルエンザにかかったため、母に来てもらっておりました。
中津には2006年に出張で福岡に行ったときに少しだけ立ち寄りましたが、それ以来行っておりません。



娘も大きくなってきましたので、そろそろ私の生まれ育った町に連れて行く良い時期だと思っております。その際には、必ず先生にご連絡し、先生の家を訪問したいと思います。
ところで先生は今どちらの中学にお勤めなのでしょうか?
・・・・・(略)・・・・・」



 うれしいうれしいメールでした。声を聞いているわけでもないのですが、たけしくんとつながりが切れなかったのが感激でした。弁護士として法曹界でがんばっています。列車の先生としても健在なのかな。また会える日を楽しみにしています。