川本ちょっとメモ

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<歴史と病気・伝染病 2> 定住化がもたらした伝染病 ――『緑の世界史・下』から

2020-05-05 18:30:00 | Weblog

本は、読み始めると一気に読み上げるのが本筋だとは思いますが、私の場合はもう一つの読み方もしています。それは、気になる本を買って、この本にはどんなことが書いてあるのかがわかるていどに、読み流したり、飛ばし読みしたりするだけで、次に読みたいという必要やタイミングが来るまで本棚でお休み、というものです。

今のコロナ禍に出会って、取り出した『緑の世界史』はこうして本棚で長く休んでいた本です。
    朝日選書 『緑の世界史』 上下2冊
    クライブ・ポンティング著、石 弘之 京都大学環境史研究会訳。
    1994.6.25.第1刷、2005.4.30.第5刷、

たぶん2005年か2006年ごろに買ったものと思います。「緑」とあるように、人類の活動と環境への影響といった観点に立つ歴史書で、この中に病気・伝染病に関する短い章があります。これを何回かに分けて転載紹介いたします。


 (注) 「伝染病」と「感染症」
  1999年(平成11年)まで上掲書出版当時も、明治以来の「伝染病」ということばが使われていました。1999年(平成11年)、感染症法が新しく施行されると同時に、1897年(明治30)以来の伝染病予防法が廃止されて、それ以後替わって「感染症」ということばが使われるようになりました。
 

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【定住化がもたらした伝染病】 「緑の世界史・下」 5ページ~8ページ 

 農業の開始とともに定住社会に移行するようになって、人類はこれまで経験しなかったさまざまな病気にさらされるようになった。

 これ以後、人類は健康悪化の大問題を抱えることになる。定住社会の発達で近接して生活する人口が増え、人と人との接触の機会は以前より増し、このことが身近な環境や健康状態に甚大な影響を与えたのである。

 この結果、伝染病に感染する機会は格段に増大し、こうした伝染病の大流行が世界のほとんどの地域で複雑な社会の進化をうながす背景ともなってきた。

 人類の生活の変化に関係している病気は驚くほど多い。家畜の飼育によって人間と動物がしばしば同じ家で密接に暮らすようになると、すでに家畜が感染していたさまざまな病気にさらされるようになった。

 動物の病原菌の中には人間を新しい宿主として適応し、人体という新しい環境のもとで繁殖するものもいたし、また少し性質を変えただけで人間に特異的な病原菌となったものもいた。

 普通に見られる人間の病気の多くは、動物の病気と近縁関係にある。

 たとえば、天然痘は牛痘に大変近いし、
 ハシカは牛の別の病気である午疫や犬のジステンパーと類縁関係にある。
 結核とジフテリアも牛の病気に起源をもつ。
 インフルエンザは人と豚とに共通であり、
 普通の風邪は明らかに馬に由来する。
 ハンセン病はもともと水牛の病気だ。

 数万年にわたって動物と密接な関係を持ち続けてきたことで、
 人間は今では65種類もの病気を犬と共有し、
 同様に50種類の病気を牛と、
 46種類の病気を羊と、
 そして、42種類の病気を豚と共有している。

 こうした病気は、それぞれ異なった場所や時期に人間の病気として根を下ろし、その後は人間同士の接触を通じてゆっくりと新たな地域に広がっていった。この伝播の速さや時期によって、その影響も大きく異なる。

 とくに、家畜がいなかった南北アメリカ大陸では、
 他の大陸のように動物から病気をうつされることがなく、
 ハシカや天然痘などの伝染病は、16世紀にヨーロッパ人が持ち込むまで存在しなかった。だから、ひとたび持ち込まれるや、免疫のなかった人々に壊滅的な打撃を与えたのである。

 定住社会が発達して人口の集中が進むにつれて、ありとあらゆる新しい伝染病にさらされるようになった。人口数千人の都市に住んでいる多くの人々だけでなく、人口数百人の村でさえ排泄物処理という大きな問題を抱えていた。

 人間の排泄物が飲み水に混入しないようにできた社会は初期にはほとんどなく、大部分は同じ水路が双方の目的のために共有されていた。
   ※人間が生きていくうえで、水問題、とりわけ上水道は、電気・原油などとくら
    べて段違いに大切です。

 飲み水に混入した排泄物によって、腸内寄生虫がはびこり、コレラや赤痢などが蔓延することにもなった。

 人口が次第に増え、集落密度が高くなったこと(単にある場所での密度ではなく、メソポタミアの都市国家のようにひんばんに接触していた複数の地域全体の密度も含めて)で、多くの新たな病気がはびこる条件が整った。

 水が媒介するコレラや生物が運ぶマラリアとは異なり、
 人から人へと直接伝染するハシカ、おたふく風邪、天然痘などの病気は、
 病原菌が生き残るために一定数以上の集団が必要だ。
 ※ハシカ、おたふく風邪、天然痘はウイルス感染でコロナもウイルス感染です。

 最近の研究では、ハシカは人口約50万人以下の島では生き長らえないことが分かっているが、最初の定住地城はこの水準を超えていたと見られる。

 農業もまた、新たな病気の流行にはずみをつけた。とくに、ひどい衰弱と無力感を引き起こす住血吸虫症の拡大は、潅漑の発達によるものだ。住血吸虫は成長過程で人と巻き貝を宿主とする巧妙な生活史を営んでいる。灌漑用水路は宿主の巻き貝の大繁殖場となり、そこで働いている人々はつねに感染の危険にさらされることになった。

 住血吸虫症は、大規模灌漑網を作り上げていたメソポタミアやエジプトなどの初期の農耕社会ですでに広がっており、今日でも一億人以上が感染している。

 西アフリカでは、焼畑による森林破壊で、マラリアを媒介する蚊に絶好の環境が生まれた。その結果、農業の導入までほとんど知られていなかったマラリアが深く根を下ろしてしまった。

 中国では、黄河流域から南の長江の稲作地域へ定住地域が拡大するにつれて、マラリア、住血吸虫、デング熱などの新しい病気も広がっていった。

 インドでも同様に、最初の農耕地だったインダス川流域から高湿で雨の多いガンジス川流域へと農業が広がるにつれて、住民はマラリアなどの新しい病気に悩まされるようになった。

 定住社会の進展により、その後数千年間にわたって続くことになる病気のパターンが確立した。

 衛生設備もなく大勢が過密に暮らす都市は、病気が蔓延するきわめて不健康な場所となった。

 ヨーロッパや北アメリカでは、19世紀半ば以降まで(そして、世界の他の多くの地域では現在でも)、都市住民の死亡率が著しく高かったために、絶えず人が流入しないと人口は維持できなかった。

 新しい伝染症が流行した当初は、人々にその病気に対する抵抗力がないために多数の死者を出すのが普通だった。しかし、ときを経るにしたがって病気に対する免疫性が高まり、死者は少なくなっていった。

 古代社会ではふだんは病気にかかる人は少なかったが、ときとして子どもも含めて多数が短期間に死ぬような、悪性の伝染病が突発的に流行する歴史をくりかえした。

 確実な記録が残されていないために、どんな病気でどれだけ多くの死者を出したのかを知るのは難しい。

 現存している記録には、区別なくただ「ペスト」と記載されていることが多い。厳密には、これは六世紀までヨーロッパや中東では流行していなかった腺ペストに対して使われるべき用語である。

 記録に書かれた病状の記載はしばしば漠然としており、ときがたって病気に対する免疫が獲得されるにつれて病状が弱まるために、それが何の病気であったかを同定するのは困難になる。

 結核は紀元前3000年ごろにはすでに存在していたことが確認できる。しかし、死亡率の高い大流行のほとんどは、ハシカなど、現存する子どもの病気の中のとくに悪性のタイプだったと見られている。 <次回につづく>



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