川本ちょっとメモ

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<歴史と病気・伝染病 5> 転戦する軍隊 軍隊の過密が加速した伝染病 ――『緑の世界史・下』から

2020-05-08 04:59:49 | Weblog

本は、読み始めると一気に読み上げるのが本筋だとは思いますが、私の場合はもう一つの読み方もしています。それは、気になる本を買って、この本にはどんなことが書いてあるのかがわかるていどに、読み流したり、飛ばし読みしたりするだけで、次に読みたいという必要やタイミングが来るまで本棚でお休み、というものです。

今のコロナ禍に出会って、取り出した『緑の世界史』はこうして本棚で長く休んでいた本です。
    朝日選書 『緑の世界史』 上下2冊
    クライブ・ポンティング著、石 弘之 京都大学環境史研究会訳。
    1994.6.25.第1刷、2005.4.30.第5刷、

たぶん2005年か2006年ごろに買ったものと思います。「緑」とあるように、人類の活動と環境への影響といった観点に立つ歴史書で、この中に病気・伝染病に関する短い章があります。これを何回かに分けて転載紹介いたします。

 
 (注) 「伝染病」と「感染症」
  1999年(平成11年)まで上掲書出版当時も、明治以来の「伝染病」ということばが使われていました。1999年(平成11年)、感染症法が新しく施行されると同時に、1897年(明治30)以来の伝染病予防法が廃止されて、それ以後替わって「感染症」ということばが使われるようになりました。
 

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【転戦する軍隊 軍隊の過密が加速した伝染病】
         「緑の世界史・下」 14ページ~16ページ

 新しい世代が免疫を穫得し、壊滅的な被害を与えた病気による死亡率が感染率の低い典型的な地方病程度にまで減少するにつれて、世界中で新しい病気の伝染による惨事はあまり見られなくなっていった。

 こうした状況のもとで、感染率と死亡率は多くの環境要因の影響を受けて大きく変動した。

 1659年~1840年の間のイギリスでは、夏の湿度が平年より1度低ければ、年間の死亡率は4%ほど減少したと推定されている。これは、バクテリアは湿度が低いと繁殖できないものが多く、人々の腸内感染率が下がるためである。しかし、乏しい食糧、過密な都市生活、飲み水の汚染、公衆衛生の欠如や不備などの要因も病気の感染率に大きな影響を与えていた。

 発疹チフスは、1490年にスペインの兵隊がキプロスから西ヨーロッパに持ち帰った。
 シラミが媒介することから考えても、本質的には過密と貧困のもたらす病気である。

 ただし、多数の死者が出たものの、発疹チフスではペストのように人口が大きく変動するような事態にはならなかった。

 軍隊の環境は非常に過密で非衛生的であり、多くの感染者を生み出しただけでなく、国中を移動しながら病気を広める役割も演じた。20世紀になるまで、ほとんどの軍隊では戦闘による死者よりも病死者の方が多かった。

 クリミア戦争(1853年~1856年)では、ロシア人に殺された兵隊の10倍ものイギリス兵が赤痢で死んだという。

 アメリカの南北戦争でも状況は同じようなものだったし、19世紀末に南アフリカで起きたボーア戦争では、イギリス兵は戦死するよりも赤痢で死ぬものが5倍も多かった。

 また、日本軍も日露戦争(1904年~1905年)のときになってようやく衛生状態が改善され、病死者が戦死者の4分の1に減ったが、それ以前は同じような状況だった。

 発疹チフスを媒介するシラミの役割が初めて明らかにされたのは1910年ごろで、その結果シラミの駆除法が確立して、第一次世界大戦の塹壕戦ではほぼ全軍隊がチフスの大発生を抑えることができた。

 第一次、第二次大戦イギリス軍でもっとも発生率の高かった病気は梅毒だった。

 19世紀初頭になっても交流や都市化の進行、劣悪な衛生状態によって、世界中に新しい伝染病が広がることがあった。人間の排泄物の混入した水を飲むことで広がるコレラは、インドのベンガル地方の風土病だったが、しばしば近接地域にも流行した。

 これが、イギリス軍によって1817年にカルカッタからインド北部に、その後東南アジアへ運ばれ、1821年にはオマーンのマスカットから東アフリカへ広がった。1826年にロシア兵の間に流行し、1831年にはバルト海沿岸に達した。

 そこから西ヨーロッパの都市に広がり、1830年代初期にはアメリカ合衆国メキシコにまで拡大した。コレラの死亡率は高く(1831年のカイロでは13%だった)、ヨーロッパに恐慌を引き起こした。

 ヨーロッパでは、給水設備と公衆衛生が遅れていたために、コレラが急激に流行し、とくに貧しい地域では著しかった。公衆衛生が徐々に改善され、19世紀も終わりになってコレラはようやく下火になった。  <次回につづく>

(2020.5.12.追加記事)
ロシア、第二次世界大戦対ドイツ戦勝式典 延期
軍事パレードリハーサル 軍に感染拡大か

2020/05/12 04:39時事通信

【モスクワ時事】新型コロナウイルスの感染者が累計20万人を超えたロシアで、プーチン政権がこだわった対ドイツ戦勝を祝う軍事パレードが感染を拡大させた疑いが浮上している。独立系メディア「プラエクト」は11日、政権が9日に実施を予定していたパレードのリハーサルに参加した士官学校学生ら少なくとも370人以上が感染していたと報じた

国内での感染拡大を受け、プーチン大統領は4月16日にパレードの延期を発表したが、ぎりぎりまで開催に固執したために感染が広がった可能性が疑われている。プラエクトは「(延期を)長く決めかね、この間に数千人もの軍関係者が感染防止措置を取らないまま、リハーサルに参加した」と批判した。

各地の軍関係者を集めたリハーサルはモスクワ郊外で3月下旬に始まった。ロシアでは3月末に全土で経済活動が制限され、4月には感染者が増加していたが、プーチン氏の延期発表までリハーサルは続いた。

ロシア国防省は4月初め「軍に感染者はいない」と発表。しかし、パレード延期が発表された4月16日、初めて軍の感染者を公表した。軍関係者の感染は以後3週間余りで約1700人に増えている。




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