【小説・経営コンサルタント竹根の起業日記】は、10年のサラリーマン生活をしてきた竹根好助35歳の経営コンサルタントとしての独立起業日記です。
これから経営コンサルタントとして独立起業しようと考えている人の参考となることを願い、経営コンサルタントとしての実践を経験的に語るつもりです。
経営コンサルタント起業日記を読むポイント
日記の主であります私(竹根)は、35歳の商社マンです。産業機械部第一課課長、2013年4月1日に経営コンサルタントという職業に関心を持ちました。
最近、部長とぶつかることが多い竹根である。商社の限界を感じたり、経営コンサルティング業による社会貢献のすばらしさがわかってきたり、ついにはヘッドハンターからコンタクトがあったりと揺れ動く竹根。サラリーマンを辞めるのでしょうか、それとも、別な道があるのでしょうか。
迷った挙げ句の決断は??
毎日20時30分頃発信しています。ただし、一部は翌朝の発行となることもあります。
【 注 】
ここに記載されていることは実在の企業とは何ら関係ありません。
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10月第4週 総集編
十一月三日(日) どのような経営コンサルタント
土曜日のチュータリングサービスのホームタスクは、どのような経営士・コンサルタントになりたいのかであった。午前中の妻の買い出し支援が終わると、早速この作業に取りかかり始めた。
しかし、どのように進めたら良いのかわからない。
ひらめいたのが、日本経営士協会理事長が書いている「クリティカル・シンキングのポイントが解る本」の第五章に「進路決定に利用しよう」という項があり、クリティカル・シンキングを利用して取り組むことにした。
十一月四日(月) 文化の日の振替休日
三日の文化の日が日曜日のために今日は振替休日である。来月からコンサルティング・ファームにお世話になるが、労働状況がわからないので、今のうちに家族サービスをやっておこうと考えた。
新宿御苑の菊花展に妻が行きたいというので、一時間半を掛けて自宅から向かった。
休日でもあるために、菊花展の会場にたどり着くまでのゾロゾロであったが、会場ではなかなか進まないばかりか、肝心の菊は頭越しでなければ見えない。四歳の息子が潰されるのではないかと心配で、何を見たのか記憶にない。
日本庭園のはずれにある茶屋の隣の空き地に、菊が飾られていて、それはゆっくりと見られた。特別な菊ではなく、普通の菊であるが、娘はようやくゆっくりと見られたと満足したようである。
肝心の妻は、疲れて、口もろくに利かない。
新宿駅の南口の方向に向かった。南東口という新しい入口ができ、二〇年も前に鳴るか、ハルクや高島屋ができた後の変化に驚いた。
十一月五日(火) スペシャルマシン
退社まで残り一か月を切っているので、これまでお世話になった仕入れ先やお得意先の挨拶回りを始めた。お世辞であろうが、どの会社でも退社を惜しんでくれる。それがリップサービスであっても嬉しいし、申し訳なくも思う。
顧客としてはあまり実績はないが、スペシャルマシン社にも挨拶に行った。幸いS社長は在社していた。会社を辞めるのなら、うちの会社に来ないかと誘われた。独立起業するのではなくコンサルティング・ファーム勤務であるので、それはできないと断ると、時間を取れるときだけで良いから顧問として協力してくれないかと求められた。もちろん、きっぱりと断った。でも、何となくもったいない気もした。
十一月六日(水) 明和大学リバティアカデミー営業講座
昨日に続き、得意先関連に退社挨拶に回った。
夜は、明大講座「企業経営を斬る」に参加した。「営業(渉外担当)とその上司を斬る」というタイトルで、営業関連の系コンサルタントが講師である。
http://info.jmca.or.jp/seminar/301/detail/2013_2_meiji.htm
「昨今、消費者の眼が肥えてきています。店舗運営に関して一緒に考え不要な営業担当取締役を斬り捨てます」と講師が凜として始めに言った。
パワーポイントを使った講義は、イラストが入るなどして工夫をしている。始めは大きかった声も次第に口の中でしゃべるようになり、語尾もはっきりしなくなってしまった。折角盛り上がったのに、残念な気がする。それとともに、講師のあり方として、反面教師という学びもあった。
十一月七日(木) 顕微鏡メーカー
火曜日に、取引先の一つであるセント光学の手島社長からアポ取りの電話があり、約束の十時に来社された。セント光学は、学校向けの顕微鏡メーカーとしては日本ではトップクラスである。わが社では、同社のステレオ顕微鏡を部品検査用に販売要請を受けてきたが、それほど台数が出る商品ではないこともあり、取引はない。
どこから聞いてきたのか、私の退社のことを知っていた。同社は、竹之下経営が組織しているフライアップ会の会員である。手島社長の来社目的は、私が担当してくれれば、竹之下経営と契約をしても良いが、取りはからってもらえないかというのである。
竹之下経営で、度のような業務に就くのか皆目わからないので、お断りしたかったが、その熱意から、つい「入社してから上司に話してみます」と言ってしまった。入社したばかりのものに耳を貸してくれるとは思えない。
十一月八日(金) 引き継ぎ書
この会社にいるのも、あと三週間強である。平素から、課長としての自分向けのマニュアルを作成していたので、取り立てて時間を掛けて引き継ぎ書を作成する必要もない。部下達も、業務マニュアルを作成しているから、部下各員の業務についての説明のための引き継ぎ書も不要である。
どのような場合には、どのマニュアルを参照すれば良いのか、そのガイドを引き継ぎ書とすれば良いと考えています。今日は、外出も来客も予定されていないので、その作成に時間を費やすことにした。
マニュアルというとアメリカ式のマニュアルで、融通が利かない、与えられたことしかやらない人間を作るものという悪いイメージが強い。しかし、かつてアメリカで仕事をしていた時に学んだことは、最低限、これだけやれば、ある一定のレベルの業務はできる”あたり前”の基準としての価値を、私は学んだ。
十一月九日(土) 迷い
昨日、引き継ぎ書を書いていて、ふと思ったのは、自分はコンサルティング・ファームで経営コンサルタントをやるという人生いでよいのだろうかということである。少なくても、現在は出世街道を同期ではトップを走っていると言える。私の後ろから走ってくるものから見ると、もったいないことなのかもしれない。
そんな思いをしたので、経営士・コンサルタントのバイブルを引っ張り出してみた。「経営コンサルタントになる前に考えよう」という節を読み直しながら考えた。
経営コンサルタントになる方法は、経営コンサルタントとして何をやりたいかによって選択が異なると考えています。
個人営業や中小の経営コンサルタント会社では、大企業に入り込むのはかなり難しいのが現状です。大企業を相手に仕事をしたければ、大手のコンサルティング・ファームに若いうちから入社するのがよいでしょう。ただし、コンサルティングという仕事は、ビジネス実務経験が必要で、とりわけ組織的な活動の効率的な進め方は経営コンサルタントになってからも大いに役に立つでしょう。
私は大手企業のコンサルティングよりは、中小企業の社長さんを手助けしたいのである。このバイブルによると、コンサルティング・ファームに入社することは、大手企業を相手にしたい場合であると解釈できる。
わからなくなってきた。
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