経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 8 我が子を愛しむような商品への誇りと愛着

2024-09-13 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 8 我が子を愛しむような商品への誇りと愛着  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆5-8 我が子を愛しむような商品への誇りと愛着
 ケント光学の北野原社長との夕食は、チャイナ・タウンで食事をすることになった。かつて、フルブライト留学生としてニューヨークに来たことのある北野原は、昔行ったことがあるという中国レストランを目指すことにした。道筋はあまり変わっていないと言いながら、そのレストランがある場所に行ってみると、なんと昔のままにそのレストランがあることを北野原は喜び、驚愕した。経営者は変わっているかもしれないが、四十年近い年月がたっても、同じ形で残っていたのである。それにしても北野原の記憶力と方向感覚の良さには恐れ入った竹根である。
 何種類もの料理が次々と出てくる。中国料理といえば、ラーメンや餃子くらいしか食べたことのない竹根であったので、酒池肉林といえるほどの豪勢な料理ではないが、竹根にとっては竜宮城に来た気分である。舞姫はいないが、家族総出で走り回って客の応対をしている。
 暖められた紹興酒に、ザラメを混ぜて飲んでいた北野原は、少し酔いがまわってきた。このくらいの時が一番口がなめらかになる。
「顕微鏡は、かわいいよ。レンズを乱暴に取り付けるとパーセントリシティが出なくなる。パーセントリシティって、竹根さん、わかるかね?」
「たしか、対物レンズのレボルバーを回転させた時に、中心がずれないことですよね」
「すごい!竹根さん・・・そこまで理解してくれてるか」
 少々ろれつが回らなくなってきた。まだいつもほど飲んでいないのに、本人は気がついていない。ろれつが回わらなくなり始めたということは、北野原に旅の疲れが出てきているのではないかと竹根を心配させた。
「ところがだよ、竹根さん、ちょっと気を抜いて対物レンズを取り付けると、セントリシティだけではなく、パーフォーカリティも狂ってくるんだ。わかるかなフォーカリティ。アッ!これは愚問だったな。英語ができる竹根さんなら、こんなのわかるよね」
「英語ができても、専門用語は別物ですから。これもレボルバーを回転させて倍率を変更した時に焦点調整をしなくてもほぼ焦点が合うように、一台一台チェックと確認をするんでしたよね。調整までは実習でやりませんでしたが、パーフォーカリティのチェックをしたことは覚えています」
「この二つは、少なくても顕微鏡メーカーとしてはきちんとやらなければならないことだ。ところが、顕微鏡というやつは優しくやってごらん、ちょっと調整をするだけで、ピタッと決まるんだ」
 我が子のことを思う口ぶりである。両手で、育てていく、慈しみの気持ちの大切さが込められている。
――この人は、顕微鏡が好きなんだ。その好きな顕微鏡を何とかアメリカでも売りたいんだ。子孫をアメリカにも広めたいのだ。それを私にやって欲しいと、無言のうちに頼んでいるのだ。そういえば、北野原社長にはお子さんがいないのだ。それだからか――
  <続く>

■ バックナンバー
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【小説風 傘寿】 老いぼれ... | トップ | ■【カシャリ!一人旅】 宮崎... »
最新の画像もっと見る

【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業」カテゴリの最新記事