【きょうの人】 0710 佐伯 田公 空海(弘法大師)の父親 ■ 畠山重忠 鎌倉幕府の有力御家人
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■ 佐伯 田公 空海の父親
さえき の たぎみ
奈良時代から平安時代初期にかけての播磨国造の役人でした。讃岐国多度郡の豪族で、多度郡擬大領・佐伯男足の子とする系図があります。
真魚(のちの空海)の父親で、真魚を中央官人にするため、妻の実家である阿刀氏の一族であった阿刀大足の尽力によって、大学寮明経科に入学させました。しかし、真魚は仏門の世界に入ることとなり、田公は憤慨したという記録があります。
一族は、真言宗の発展を支え、善通寺(ぜんつうじ)の開基となりました。
善通寺は、香川県善通寺市にある寺院、真言宗善通寺派総本山です。本尊は薬師如来で、広大な境内は、創建地である東院(伽藍)と、空海生誕地とされる西院(誕生院)に分かれています。
7月10日には、善通寺宗祖降誕会が催されます。
■ 畠山重忠 鎌倉幕府の有力御家人
はたけやま しげただ
長寛2年(1164年)-元久2年6月22日(1205年7月10日)
享年42
畠山重忠は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、鎌倉幕府の有力御家人の一人でした。
父親が平氏方の武将であったために、源頼朝の挙兵に際して当初は敵対していました。しかし、のちに白旗を持って頼朝に会い、臣従しました。
『源平盛衰記』によりますと、その白旗は、重忠の先祖の平武綱が八幡太郎義家(源氏本流)より賜ったものとのことで、頼朝を大変に喜ばせたと記述されています。重忠は、治承・寿永の乱で活躍し、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、相模国へ進軍、頼朝の大軍は抵抗を受けることなく鎌倉に入れました。その功績と人柄が買われて、幕府創業の功臣として重きをなしました。
しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれました(畠山重忠の乱)。重忠は、武蔵国(埼玉県深谷市付近)を拠点としていましたが、当時、「武蔵を制する者は、板東(関東)を制す」といわれるほど、重要な地でした。
時政は、北条氏が板東で存在や功績を認められたいという思いから、息子・義時や部下達の反対を押し切って、重忠に策略を仕掛け、強引に滅ぼしたといいます。
存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称されるほど人望があつかったのです。事後、時政に反感を持つ、息子の義時等により時政は追放されることになりました。そのことからも重忠の無実は明らかだったようです。
戦前の教科書には、必ずといって良いほど、畠山重忠の忠君物語は掲載されていました。
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