( ↑ 2004年夏、尾瀬)
大阪での旧友T君、少し前に訃報の知らせがあってびっくり。
元職場の同僚で山登りを共に多くした山仲間でもありました。
たぶん私より2,3の年下。
ひょうひょうと先を登り、また身軽に下りもする身の軽さがありました。
最初の頃の山行が同じスタートだったでしょうか。
先輩の手ほどきを受けながらの北アルプス登山。
1982年、北アルプスへの予備登山で唐松岳へ。
元職場の同僚で山登りを共に多くした山仲間でもありました。
たぶん私より2,3の年下。
ひょうひょうと先を登り、また身軽に下りもする身の軽さがありました。
最初の頃の山行が同じスタートだったでしょうか。
先輩の手ほどきを受けながらの北アルプス登山。
1982年、北アルプスへの予備登山で唐松岳へ。

そして、北アルプス入り口の鏡平。


(この時、急病者が出て無念の撤退。翌年リベンジでした。
こんなこともあるよ、とお勉強でしたね。)
以来、数多くの山行を共にしました。
1986年。若手だけでの八甲田、秋田駒へ。

八甲田はお天気悪し。下山でちょっと道を間違え、沢をそのまま下る。
思わずたどり着いたところが谷地温泉。鄙びた温泉へ入りひと心地でした。

秋田駒から乳頭山へ縦走。下山するとそこは乳頭温泉。
まだ観光化する以前で、黒湯はこれまた鄙びた良い所でした。今は昔。

1992年。山形、朝日連峰縦走。右端T君。↓


2004年。至仏山から尾瀬へ下る。左側T君。

2006年。会津駒ケ岳。前方T君。

数えきれないほどの山行がありましたが以下省略。
あちらは独身貴族。さすがに北海道や南の屋久島はこちらの予算が持たず断念。
それでも北海道の利尻には同行できなかったのが心残りで残念でしたが。
そののちこちらの退職記念に利尻を眺めることは出来ました。
でもそれは観光でして、登ってみる体力はもう残っていなかったですけどね。

小柄でありながら、俊敏で軽やかで一番丈夫な感じでありましたよ。
胃がんで、肝臓にも転移し、手術は不可であったようです。
それでもこの4月までは月1のハイキングにも参加していたとか。
病状の急変であったようです。周りの友人らもショックのようでした。
まだ若々しかったはずなのに、何とも残念至極。
謹んでご冥福をお祈りいたします。(合掌)
気持ちがざわついてるときに、身近では友人ハタさんが脳梗塞で入院。
心臓やら甲状腺がんなどいろいろ病気持ちのハタさん、心配なことですが、
どうやら後遺症の気遣いもなさそう。ゆっくり養生して、
早く元気になって欲しい所でありますよ。