散歩するなべさん

しょうがなくも所在なく散歩するなべさん。近頃野鳥に目覚めて鳥見お散歩の日々。病気もしたけど時には山歩きに物思い旅ね。

鳴子温泉湯めぐり散歩

2012-03-28 01:59:22 | 温泉


鳴子温泉街へ戻ると、益々の吹雪状態でした。

 

 


とりあえずの昼食ね。
寒いので鍋焼きうどんです。  ↓

 

さて、老舗の温泉宿、「ゆさ屋」さんなんですが、↓


「うなぎ湯」で有名。
湯めぐりの本命だったんですが、
何と、立ち寄り客お断りでありました。
(ちょっといけずであります。)

隣に、これも鳴子温泉の顔と言っていい
「滝の湯」があります。共同湯ですから                                    お断りというのはありませんよ。


 

狭いながら、打たせ湯もあって、
乳白色の風情ある湯でした。


路地を入り込んだ所に
「早稲田桟敷湯」
という共同湯があります。

この右手の路地を入り込んでいきます。 ↓

 

 

コンクリートで固めたような
一風変わった建物です。
戦後、早稲田の学生がボウリングして
開かれた湯だということです。
大阪からきた同宿のじいさんが
ここの湯をえらく絶賛しておりました。

「どうにもならなかった足が、
ここの湯で治ってきた。」
「次回の宿を10日間予約した。
わしゃぁこの湯にかけるんじゃ~」

と、だみ声でおっしゃっていました。


表通りの小物屋さんに
入ってみました。
古い店構えなのに、入ってみると
なかなかモダンな雰囲気です。

 

100年続くという「越後屋」さんです。
珈琲カップが気に入ったので
頂きましたが、

「今日は雪が降っているから
値引きしときますね。」

と、お安いのをさらに安くしてくれました。


さて、宿泊のお宿は
どうということもない
普通のお宿なのですが、
案外にこのお宿の湯も良いのです。

宿の裏手は樹氷の木々。

実に肌にしっとりとなじむ黒湯です。 ↓

 

気持ちよくつかっていると、                                          いきなり窓の向こうを列車が                                        通過していきました。豪快です。                                       裏手の山は線路でありましたね。

 

この日の夜、宿の送迎車で
もう一つ、共同湯へ案内してもらいました。
中山平温泉の「しんとろの湯」です。

 


つかっているだけではそうも感じませんが、
腕をさすったりすると
実にぬるぬるっとした感触で、
どうやら入れなかった「うなぎ湯」と
同じ泉質のようであります。
(ちょっと悔しさ取り戻した気分ね。)

 

鳴子温泉郷、
一つ一つの温泉がずいぶんと
泉質が違っていて、多様であります。
しかもそれぞれが何だかしっかりした
濃い味わいを見せてくれています。
なかなか良いところでありました。


ちなみに今回の旅行の行程概要は
次の如くでありました。

19日;大阪伊丹~仙台空港、
    宿の送迎車で鳴子温泉へ。
20日;鳴子温泉~石巻を往復。
    JR陸羽東線石巻線利用
21日;鳴子温泉界隈を湯めぐり。
    鳴子温泉、東鳴子温泉、中山平温泉。
22日;宿の送迎車で、仙台空港へ。
    仙台~大阪。帰阪。

被災地と温泉、どっちが次いでだか、
何だかようわかりませんが、
何だかね、どちらも
濃い味わいでありましたね。


 

仙台空港付近ではだだっ広い耕作地が、
荒涼とした原野のように広がっていました。
壊れた船の残骸がまだ残されています。

 

 

 


 

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東鳴子温泉、高友旅館の湯

2012-03-27 01:12:47 | 温泉

 

さて、ようやく
温泉のお話しであります。

鳴子温泉郷では、
時たま晴れ間は見えるものの、
連日雪でありました。
21日は、雪の中、終日
この界隈での湯めぐりです。 

まずは一駅隣の鳴子御殿湯駅                                      をおりて東鳴子温泉へ。                                           何だか、こちらの方が、
しっとり落ち着いた佇まいで
なべさん向きであります。
(ちょっと侘びしさもあるし。)

 

鳴子御殿駅前の温泉街。静かです。 ↓


駅から少し歩いて、
高友旅館というところへ立ち寄り湯です。
100年続く湯治宿ですよ。

 

 

 

奥の方に自炊棟があるようです。 ↓

 

レトロですね。
雰囲気になべさん
段々うれしくなってきます。
(顔が自然とほころんできますよ。)


沢山の湯船があるのですが、
メインは「黒湯」。  ↓

 

 


それほど黒っぽくもなく暗緑色なのですが、
なかなか不思議に気持ちのよい湯です。
最初はぴりりと熱く感じながら、
次第に肌になじんでくると、
むしろぬる湯のように感じられて、
いつまでもつかっていられそうです。

 

 


もうひとつ、
ひょうたんの湯というのがあって、
そちらへ行くと、ちょうどお宿の
おっちゃんが清掃中でありました。
むむっ、残念。

清掃中ね。ラムネ温泉だとか。 ↓


「黒湯とは泉質が違うよ。
ほら、源泉はあそこ。」

と、おっちゃんは窓の外の
庭の奥を指さしました。

「あと1時間ほど待ってくれるかな~。」

と、親切に言ってくださるのですが、
残念ですな。次の予定もあるし。
                                                                   もう一つの湯船も
清掃中でありました。
しょうがないので、なべさんは
もう一度先の「黒湯」に入り直して、


それから鳴子温泉街に戻って
湯めぐりの続き
をすることに致しました。


でも、この高友旅館、
すっかりお気に入りです。
女将さんも屈託なく素朴に親切だし、
湯守のおっちゃんも気さくでした。
今も生きてる湯治宿という感じ。

大満足でありましたね。

 

(外へ出ると、段々大雪になってきていました。)↓

 

 


 

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陸羽東線、湯けむりラインです

2012-03-25 03:45:17 | 旅行


さて、鳴子温泉ー石巻を
東北ローカル線で往復して、
何だか「にわか鉄っちゃん」
になったみたいです。

こんなレールの写真まで撮ったりして。↓

 

東北本線小牛田駅から                                             山形新庄までが陸羽東線、
「奥の細道・湯けむりライン」
とJRは呼んでいます。

芭蕉は、石巻に立ち寄り、日和山には
芭蕉と曽良の像も建っていますが、   ↓

平泉を廻ったその後、
この湯けむりラインのコースを
歩いています。
その出羽越えの手前に位置するのが
鳴子温泉であります。
鳴子温泉を過ぎ、峠を越えて
宿したところで詠んだ句が

「蚤虱、馬の尿(ばり)する枕元」

でしたね。


 

石巻から鳴子温泉への帰途につくと
(石巻線を小牛田駅で乗り換えます。)
太平洋岸から山あいに近づくに連れて、
みるみるうちに天候が変わってきます。
仙台も石巻周辺も全くそんな気配はないのに、
鳴子温泉に近づくと全く雪国なのであります。

山あいに入ってくると、雪。 ↓


東北の冬場の電車は、自分でボタンを押して
ドアの開閉をすることは知っておりますが、
実際体験するのは初めて。
(なべ嫁さんは楽しんでおりましたね。)

鳴子温泉駅に夕暮れ着。                                           何だかスナック街のネオンみたいだけど。  ↓

 

翌日の21日も鳴子温泉から一駅
鳴子御殿湯駅まで往復。
(これは湯めぐりね。)

鳴子御殿湯駅。 気に入ってしまいました。 ↓

この駅舎は
新しく建て替えたものですが、
なかなか風情があって、
何だかこの町の心意気が見えてきます。
好もしいですね。

待合室から。 ↓

待合室の上品なおばあちゃんが                                     「もう少し雪が強いと電車止まるけど、、」                                  と、話しておりました。 ↓

 

無人駅やら、沿線の鄙びた風情やら
ローカル線の旅も良いものです。
鳴子温泉の先の峠越えもやって、
何だか芭蕉の旅した途を
たどってみたくもなったのですが、
(鄙びた温泉宿もありそうだし)
まあ、これはいつになるか、
次回の課題というところでしょうか。


(今回はこの周辺の湯めぐりなんですね。)

 

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いきなり石巻、の続き

2012-03-24 00:11:41 | 旅行


日和山の直下、長い階段下の
すぐ脇に門脇小学校があります。
そのまたすぐ隣は、お寺の本堂と墓地です。

 

黒く焦げた校舎は1年後の今も生々しい。 ↓

校舎横のお寺と墓所。↓

 

この門脇・南浜地区一帯で
320人の死者だと云われています。
津波とともに、流される自動車から
火の手が上がり、
海上一面に火災も広がったようです。                                   校舎にも火が入りました。

門脇小学校正面玄関。 ↓

 

窓から職員室を覗く。被災時の状況がそのままです。 ↓

 

 

校庭から、海岸の方を見渡します。 ↓

 

幸い在校していた児童約240人は
全員日和山へ長い階段を上って
避難して無事だったとか。
迎えにきた保護者に対しても
そのまま一緒に山に上がってもらったようで、
学校関係者の適切な判断があったのでしょう。

その寒い夜、眼下の暗闇の中で
炎上する海面は轟音を立て続け、
避難した人たちは震えながらの
一夜を明かしたに違いありません。

黒こげになった校長室では、
耐火金庫が無事で、中の卒業証書は
水にも濡れず、綺麗なままだったそうです。

その卒業証書を渡す
一月遅れの卒業式では、
校長の万感こもった真摯な
式辞が評判になったと云います。


 

さて、なべさんらは
列車の時間もあるので、
タクシーを拾って駅付近へ戻ります。
少し遅めの昼食をとろうとするのですが、
商店街はどこもシャッターが降りて、
何だか寂しい風情。
(休日だから?でしょうかね。)
復興のバラック商店街のお店も
大半がお休みでした。

      

 

しょうがないので、
タクシーの運ちゃんに教えてもらった
駅前の「オオモリ食堂」へ。
なべさん、やや不安はあったのですが、
石巻へ、ここは礼儀を通しておこうと、

「かきフライ定食」

で頑張ってみました。
(ちょっと胃腸に重い感じが、、、。)  ↓

 

 

 

案の定、帰りの列車では、やっぱりね、
これがこたえて、苦しみ通しだったのですよ。
(やれやれですわ。)

 

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いきなりですが、石巻

2012-03-23 03:09:23 | 旅行

 

石巻の海岸。市立病院の建物を残して周辺は更地状態。                       がれきや車の残骸を積み上げたところがあちこちに。 ↓

 


一度は、東北の被災地を
見ておきたい
と思っておりました。
でも、東北は遠いし、
それならせっかくのことですから、
東北の温泉地も訪ねたい
とも思うのでありました。

思案検討の末、結局

「鳴子温泉と石巻」

という組み合わせに至ったのです。

 

そんなわけで、鳴子温泉に宿をとり
そこから2時間、東北本線をクロスして
石巻へ出かけたのが
20日、お彼岸の中日でありました。

出発の鳴子の朝は吹雪状態です。 ↓

 

漁港の様子も見たかったのですが、
石巻観光センターの人に

「あそこはな~んにもありません。
全部持ってかれましたから。」

と、何だか素っ気なく云われてしまって、
(そんなはずもないと思っていたのですが。)
ちょっと気落ちしてしまいましたね。

気を取り直して、
まずは、石巻の海岸を見下ろす
日和山へ。

多くの住宅は流され、海岸線沿いに                                     車の残骸が積み上げられています。  ↓

 

 

北上川河口付近。がれきの山があちこちに。↓ 

 

このがれきは、瓦礫処理の                                          引受先を待っているのでしょう。 ↓

 

 

1年後の今も陸に取り残された船。 ↓ 

 

 

最も多くの犠牲者を出したと云う石巻。
見渡せば、海岸近くの平地がかなり広い。
タクシーの運ちゃんが云います。

「山の上のおばちゃんは家の中で、
あの津波の大騒ぎに気が付かなかったんだと。」
「地震の騒ぎでそっちにばかり気がいってて。
そんな人もいるんだから、多くの人が逃げ遅れたんだ。」

たしかに、山や丘の麓の人は良いが、
かなりの人が広い平地から逃げるすべも
なかったのかも知れませんね。

日和山の茶店のおっちゃんが
どうやら「語り部」をつとめてるようで、
訪問客にさかんに
津波の様子を語っておりました。

「自衛隊が入ってきて、捜索に入ると、
がれきの間に多くの死者が挟まっていたんです。」
「火葬がとても追いつかないので、
かなりの分は土葬でした。」
「東京から埋葬の業者の人が
大挙してやってきて、埋葬をやってくれました。
無料でしたよ。」

 

ともあれ、
なべさん夫婦は、
せめて現場近くに立ってみようと、
山を下りたのであります。

 

市立病院の手前はなぎ倒された沢山の墓石。                                お彼岸のこの日、お参りの方が沢山おられました。 ↓

 

 

 

 


 

まるで戦争のあとのようだったという                                        被災直後から、1年たっても                                          まだまだ言葉もない状況です。                                         直後の状況が思いやられます。

さて、火の手もすさまじいものだった                                    という話なのですが、                                                日和山のすぐ下にある小学校は                                      その有り様を、1年後の今も                                         生々しく伝えるものでありました。

(この項、次回に続きますよ。)

 

 

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特に何と云うこともなく

2012-03-19 01:53:54 | 日記


さて、いつものことながら
ぼんやり過ごしておりますが、
なべさんちのマンションは
大規模補修工事に入って
何やら住民は戦々恐々です。

大型クレーンが入っています。 ↓

 

なべさんとこの棟は
まだ工事に入ってないのですが、
工事に入ると、数ヶ月は棟全体が
すっぽり幕に覆われて、
冥い冥~い暮らしに
なるようであります。
ベランダの物も部屋にすべて
入れ込まなければなりません。
どうなることでありましょう。

 

ところで、こなべさんが
友人の結婚式参列で
横浜から大阪実家泊まり。
で、いつものことながら
洋食屋さんへお出かけです。

アスパラサラダね。↓

 

車エビ。↓

 

なべ嫁さん、こなべさん好みのウニスパね。↓

 

(なべさんは稲庭うどんですけど。)


この洋食屋さんの娘さんの
結婚話もようやくまとまって、
(随分もつれていたのですが。)
どうやら、バリ島で
式を挙げるというところまで
話はきたようであります。

だからと言うわけでは
ありませんが、思いがけず
サービスデザートでありました。 ↓

 


というようなことで、
とりたてての話題が
あるわけではありません。
まあ、色々あるにしても
日々、日常は無難に
過ぎていっておる                                                ということでありましょうか。

(結石、抱えているけど。)

 

 

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吉本さん、亡くなったのね

2012-03-17 01:38:55 | 


「吉本隆明、死去。」
のニュースが流れましたね。

埴谷雄高が逝き、江藤淳が逝き、
鮎川信夫、小川国夫が逝き、
そして清水昶も昨年
ひっそりと逝ってしまいました。
次々といなくなってしまいます。


新刊本が出れば
ほぼ必ず買う著作家は
吉本隆明、古井由吉、柄谷行人、
中井久夫あたりでしょうか。

生前、最後の新刊本でしょう。↓ たぶん。

 


吉本隆明の本は
20代の頃からの長いつきあいです。

「固有時との対話」から
「転位のための十編」への展開が
なべさんにとって
最も印象深いものです。
深く深く潜れるだけ潜り、
反転してまっすぐに
水面に浮かび上がったとき
歴史と火花を散らした!
そんなイメージを持っています。


何年か前に、吉本が
溺れて死にかけたという
伊豆の土肥の海を、
その後度々訪れることがあります。
その度に
「あ~ここが吉本が死にかけた海や。」
と、なぜだかしみじみと眺めておりました。


なべさんの友人O氏は
なべさん以上に吉本ファンでありました。
何時間でも吉本の話が
尽きない友人でありましたね。
「吉本の自宅付近まで行って
路地を歩く吉本を見かけたんやけど、、、。」
と、学生時代の話も聞かされました。
その友人も2年前に亡くなって、今や

「吉本亡くなったよね。」

と、お酒を酌み交わす相手もおりませんな。


87歳だったとか。
充分生きて最後まで働いたのだと思います。

(寂しいけど。)


 

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寒の戻り、雪が・・

2012-03-13 02:34:41 | 療養記


さて、苦しみ明けの
1日、休養を取って、
本日は、お仕事最終の成績処理。
非常勤のお仕事はとりあえず
本日まででありました。

 

結石も、一度、痛むとしばらくは
大丈夫なはずなんですが、
(根拠はありませんが、たぶん。)
ちょっとお腹に違和感があると、

「むむっ、まさか?」

と、思ってしまい、
おそるおそるの出勤でありました。
(しばらくは爆弾抱えた気分ね。)

 

帰りがけ、玄関で
ばったり出会った生徒さんが、

「先生、来年は?」

と、不安そうに聞くので、

「うん、わかんないけど、
たぶんおれるかな~と思うけど。」

と、返しておきました。
(うむ、なかなか良い子ですな。)

 

寒いです。寒の戻りですな。
雪が舞ってきました。

 

家路の坂道。今度は霧でなくて、雪です。  ↓

 

すぐに融けます。   ↓

 

 

 

なべさん、これから
少し長めの春休みです。たぶん。

(爆弾も抱えてるけど、、、。)


 

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結石がとうとう

2012-03-12 00:19:37 | 療養記

 

手術後、定期的に検診を受けていますが、
その検診で、思わぬことに、
胆管に結石が見つかったのは
一昨年の秋でした。

「切るしかないですね。」

と主治医に冷たく
言い放たれたのでありますが、

「痛まなければ、
しばらく様子をみましょう。」

という結論にして頂いて、
経過観察ということになっておりました。

 

ということで、時に腹痛があっても

「むむっ、これは石の痛み?」

と不安に襲われながらも

「あ~いつものお腹のつかえね。」

と安堵し、何とか石の痛みもなく、
無事に過ごして参ったのであります。

 

ところが、昨日の散歩の
途中から起こった腹痛は
いつもと様子が違いましたね。
自宅へ駈け込み、倒れ込んで、
次第に脂汗でありました。
最初の頃は「いつものお腹のつかえだ。
しばらくしたら治まる。」
と思っていたのが中々治まりません。
時に治まったと思って、立ち上がると
痛みがひどくなります。

「あ~これは結石だ~」(きっと)

とようやく観念致しました。

結局夜中まで苦しみましたが、
七転八倒するほどでなかったのが
ちょっと救いでしたかね。


というわけで、苦しみ明けの
本日はぐったり疲れて、
こたつで丸まっております。

やれやれです。

 

今日は、東日本大震災の
一周年でありました。

 

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確定申告、行きましたよ

2012-03-09 00:37:58 | 日記

 

お勤め人の頃、
どうもあの年末調整の
書類書きというのが
苦手でありました。
面倒で、面倒で、
結局、事務屋には向いていないと
いうことなんでしょう。

昨年、お勤めが済んで、
さらに輪をかけて苦手そうな
確定申告なるものに
初めて行きましたな。
(税金戻ってくるよ~、
と期待してであります。
医療費、かかってるし、、、。)

あの時は、
あれほど面倒をおして
出かけたのに、
何と、

「2900円!
納めてもらわねばなりませんよ。」

と、追加徴収であったのでありました。
がっくりでありましたね。


そういうわけですので、
今年はどうするべきか、
さんざん迷ったのでありますが、
医療費もありますし、
控除の年末調整もやってみたらどうなるか
ということもありましたので、
結局出かけたのでありました。  ↓

 

      


 

会場は大変混んでおりました。
随分の待ち時間で、
「まさかまた追加徴収なんて、、、ね~」
と、思いながら、作業に入ると、

お~お~、やりましたね。

「2万なにがし」の還付!!

であります。


申告しなかったら、
大変悔やんでいたところです。

 

でも、よく書類を見ると、
源泉徴収税全額還付なのであります。
これって
「貧給だから税金取るのも忍びないのよ~」
と言われてるみたいですな。

 

まあまあ、それはともかく、
なべさん、何だか、この日は
ちょっと大仕事をした
気分になったのでありました。


そんでもって、
この日は何故だか、ハンバーグね。 ↓

 

 

 

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霧の中の家路です

2012-03-06 02:05:32 | 日記

 

今日は1日雨で、
気温も上がらず、寒いです。

家路の駅を降りると
珍しく、霧が
立ち込めておりました。

 

これって、まだ6時前なんですけど。 ↓

 

濃霧にかすむマンションであります。 ↓

 

今晩は、ちゃんこ鍋でありました。

明日はお休みであります。

明後日もお休みであります。

ひょっとしてずーっとかも...。
(まだ成績処理残ってるけどね。)


 

そろそろお仕事も
終了モードになっておるのです。

 

 

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春うららまでもう少し

2012-03-04 01:56:33 | 日記


 

本日は天気もまあまあだし、
明日はまた雨みたいだし、
ということで、
本日のうちに、と思い、

お散歩でした。

(ちょっと一眼レフも引っさげてね。)

 

いつもの明治池を散歩して、

 

少し春っぽい、良い天気ですので、
ちょっと足をのばして、
小高い丘の上の旧集落まで
歩きました。

 

宅地の造成地に
周囲を包囲されるように
旧村の集落が丘の上に
取り残されています。

倉持の旧家が沢山残っています。 ↓

 

集落の路地に入ると、
もうどこぞの田舎道を
歩いている気分になります。
のどかな春の
田舎の風景であります。

 

庭先の梅の花を撮ります。

 

 

蕾も命を感じさせて綺麗。 ↓

 

これは南天だけど。 ↓

 

 

 

 

 

 

 

ようやく春、という気分に
なってきましたが、
これからが「三寒四温」
ということなんでしょうね。


季節を愛でるのも
歳のせいとは思いつつ、
少し元気も
出てくるものでありますな。

 

(さて次の1年どうしますかね~                                         とかね。)

 

 

 

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少しだけ春ね

2012-03-03 01:12:52 | 日記


ようやく3月になって、
何だか、ちょっとだけ
春の動きが出てきたようですね。
(天気悪いけど。)

 

 

 

今年のお仕事も終わりに近づいて、
ちょっとぼんやりというか、
ぐだぐだしております。
これではあかんと、
腰を上げて、散歩にでるのも
日暮れ時であります。
(毎度のことながら。)

 

 

 

結局、この1年
こんな生活の繰り返し
であったような気が致します。

「ま~、いいか!」

というところでしょうか。

 

春も近いし、
ダウンコートを脱いで、
どこかお出かけ計画でも
立てましょうね。

 

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