散歩するなべさん

しょうがなくも所在なく散歩するなべさん。近頃野鳥に目覚めて鳥見お散歩の日々。病気もしたけど時には山歩きに物思い旅ね。

ウグイスの笹鳴きです、秋!?

2015-08-31 22:35:43 | 日記

長い、長い、夏の暑さで少々青息吐息でありました。
この2,3日少し気温が下がったとはいえ、蒸し暑さが残って、
まだまださっぱりとは致しません。


鳥さんもこの暑さですっかり姿を消したままですので、
この数日、お散歩にも中々精が出ないのであります。


おかげで体調ももうひとつパッとしないまま、
朝目覚めても二度寝三度寝を繰り返しながらのだらだら日々であります。
(冴えないことですけど、要するに、夏バテということね。)

 

それでも、夕べなんぞはマンション5階の自室まで鈴虫の鳴き声が
はっきりと高らかに届いたりしておりました。

そして今日の公園お散歩では久しぶりにシジュウカラを見かけましたな。

 

 

 

 

一瞬、ムシクイらしきものも見かけたような気がしますが、
はっきりとは確認できません。違っていたかも知れませんね。


そんなこんなで涼しくなったとはまだ言いかねますが、
秋の気配も徐々にしのんできているようです。


ウグイスは高い梢でついこの間まで時折り囀ったりしておりましたが、
さすがにこの数日はそれも聞かれなくなったところであります。
ところが、今日はお池の葦原のヤブの中で「チャッ、チャッ、」という鳴き声が!

ウグイスの笹鳴きです!

 

 


冬場のウグイスは笹原やヤブの中で盛んに地鳴きをするようになります。
見ると、ウグイスの幼鳥のようでありました。

 

 

 

 

辛抱してると、こうして少しずつ鳥さんも戻ってきてくれるようです。
涼しい秋までもう一息でありましょうか。

 

(ところで、安保法案廃棄ももう一押しふた押しもいるんでしょうが、
何とか安部退陣へのエネルギーを持続させたいものであります。)

 

 

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安保法案反対 SEALDs Kansai梅田集会に参加

2015-08-22 09:00:08 | お出かけ

 

 

こんな集会、何年ぶりでしょう。
学生さんらが思いのほか頑張っているので応援したくなりました。


神戸集会の折は体調不良、京都集会の折は帰省中で不参加。
ようやく21日のこの集会に参加できました。(なべ嫁さんも一緒ね。)

 

学生さんらのスピーチうまくないけど、
何より70年代のアジテーション口調と完全に断絶しているのが良いです。
一から初めてこの先新しい世界を広げていってほしいですね。

 

 

 

内田樹氏がサプライズスピーチで登場。
街頭スピーチはあまり慣れていない様子でした。

 

 

 

辻本清美さんはさすがに慣れたもので、声の通りもよく、聴かせてくれます。
中々の役者ぶりでした。

 

 

 

学者の会代表の佐藤学氏、気鋭の若手政治学者、白井聡氏もゲストスピーチ。

 

 

 

 

 


主催者側で参加者1000人という発表。途中経過ですので最後はもっといたかも。
安保法案、ぜひ廃案に追い込みたいものであります。

 

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長者原湿原の散策、鳥見です

2015-08-20 22:45:13 | 山歩き

 

 

宿の翌日18日は、久住山の頂上登山は止めにして、
登山口のタデ原湿原の散策で、鳥見に特化することにしました。
前日の出発の遅れで、少々計算が狂ってしまったんですね。


広い湿原です。鳥さんの鳴き声が聞こえるのですが、
草むらの中で姿は見えません。森の方からの鳴き声も聞こえてきますが、
こちらは遠すぎて確認できませんです。

 

 

コオニユリです。↓

 

このヒゴタイが沢山咲いています。希少植物のようです。↓

 


湿原に突き出ている枯れ枝に止まってくれた鳥さん!

 

 

ホオアカです。(初見の鳥さんです。)

遠目だとホオジロと見間違ってしまいそうです。

そしてこちらはホオアカのつがいのようです。↓

 

 

森の中へも入っていきます。↓

 

カケスやらその他の鳥さんも見かけるのですが、
さすがに森の中は暗くてうまくとらえ切れませんね。

 

森を突き抜けたところで「カナカナカナッ」と聞き覚えのある鳴き声がします。
モズです。沢山いました。何だかモズの家族連れといった感じでした。

いずれも若鳥の感じです。↓

 

 

 

頂上登山を諦めた分、たっぷり散策時間が取れましたので、
休憩の後、再度の湿原散策でした。

観光客がちょっと増えてきました。

 

 

 

こちらはホオアカでなくて、ホオジロの方ですね。↓

 

 

 

そして、湿原の草むらの中ではあちこちからセッカの鳴き声がしています。
「ヒッヒッヒッ」と鳴きながら、じっと待っていると草むらの中から
飛び出して、空高く舞い上がり、囀ります。

舞い降りたところへ、静かに近寄っていくと、逃げないで待っていてくれましたよ。

 

 

 

 


こちらは草むらからようやく顔を出してくれたセッカね。↓

 

 

 

セッカはなかなか可愛い小鳥さんです。

 


湿原ではもっと見たかったのに見られなかった鳥さんもいるわけですが、
まあ、結構遊ばせていただいた方かとほどほどの満足ね。
ぐずぐずしてバスの時間を逃すと帰れなくなりますので、
このほどほどの満足で長者原を後にすることに致しましたよ。


まあ、バスの時間に遅れて、やむなく、どこぞの宿に泊まるという予定外も
あって良いことなのでありますが、
そこはともあれ、バスでお山を下り、無事に高速バスに乗り継ぎ、博多到着。
新幹線で何とか日にちをまたがないで帰阪することが出来ました。

 

いろいろ計算違いのあった帰省旅でありましたが、これで無事終了ね。 

 

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道のりは難儀です、筋湯温泉まで

2015-08-20 17:21:11 | 旅行

17日、長崎からの帰阪の際、例によってザック担いでの道草でありました。


思いがけず、高速バスが始発、次発と満席で、予定より
4時間もずれての出発でありました。計算が狂って何だか前途多難ね。

 

高速バスを降りてようようたどり着いたのが、ここ豊後森駅です。
ところが、久大本線のどこかで大雨が降ったとかで運転見合わせ中!! 

 

全く奥深い田舎路線では何が起こるかわかりません。
一本、電車やバスの時刻が狂ってしまったら、
その日の内に着けなかったり、帰られなかったりであります。

駅員と掛け合っていた旅行者のおばちゃんは、
どうやらこの日の電車を諦めたらしく、もう一泊する覚悟をしたようです。

私は数駅10分間ほどの距離の乗り継ぎ予定でしたが、
その先のバス乗継が出来なければ、私だって立ち往生であります。


タクシーだと3000円位だと聞いた私は、恐れをなして、
いつ来るとも知れない電車を待つことを選んでしまいましたよ。


豊後森駅のプラットホーム。↓

 

 

 

閑散とした田舎路線のホームは中々のどかでよろしゅうございますね。

 

久留米行きの電車が止まったまであります。↓

 

部活を終えた地元の高校生が何時間も列車を待っています。↓

 

 

高校生らしき青少年の隣に座って話をさせていただきました。
高校1年生で、少林寺の部活をやっているようです。

「何か取材ですか?カメラマンですか?あの電車撮ったらどうですか?」

と、聞いてきます。そんな風に見えるのでしょうか。

「いや、登山だよ。野鳥観察もするよ。」

と言うと、「富士山にでも行くんですか?」

と、とんちんかんな返事が返ってきます。
聞けば、久重山の近くの飯田高原から通っている子です。
この辺で登山と言えば地元の九重連山でしょうに。何だか純朴そうな青少年であります。

「家には川が流れています。カワセミやアカショウビンを見たことがあります。」
「アブラメや(何とか)の繁殖期はよく飛んできます。今はあまり見ません。」
「小さいときはよく川遊びをしました。」
「飯田も中々暑いです。もう電車を2時間待ち続けています。」

 

癒し系青少年と話しているうちに、ようやく電車がやってきて、
ようよう到着したのが豊後中村駅でした。 ↓

 


ここからバスに乗って登山口近くの筋湯温泉に上がっていきます。
かろうじてバスの時刻に間に合い、この日はそこまでたどり着けそうでありました。

バスは山奥深く入っていきます。↓

 

筋湯温泉、到着です。

かって20年近く前、登山口の牧ノ戸峠で吹雪にあい、
この筋湯まで歩いて下ってきたことがあります。
そのとき入ろうとして、清掃中で入れなかったのが共同湯の「打たせ湯」。
残念に思いながら、そのときは地熱発電所の側を通り抜け、
黒川温泉までさらに歩いて下ったのでありました。

その「打たせ湯」ね。↓ 今回はめでたく無事に入ることが出来ました。

 

 

 

そしてこの日のお宿。↓

 

そしてお宿の露天風呂。↓

 

 

 

無色透明ですが、やや硫黄の匂い。柔らかい湯であります。


お宿の食事は、馬刺しに鮎の塩焼き、その他色々。ヘルシーでありましたよ。

 

 

 

 


ともかくも、九州の山奥にたどり着くのは一日がかりでありまして、
場合によってはたどり着けないこともありで、今回はこうして
何とかたどり着くことが出来たわけですが、


さあ、次は無事に明日帰ることが出来るか、ということですかな。

 

 

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稲佐山にてホオジロでした

2015-08-19 17:03:02 | 旅行

 

 

お盆ですから長崎へ帰省しておりました。


93歳の母親はショートステイを更新しながらの施設暮らしでありましたが、
その施設の更新もうまくいかない状況になってきたときに
同じ施設の特養老人ホームに無事入所できたのがこの6月でありました。
まったくケアマネージャーの方のご尽力で感謝この上ないことであります。


ですので、今回はその施設の最初の訪問ね。


施設のスタッフの方を私だと誤認したり、神戸からやってきた次女を
「わたしのいもうと・・・」と紹介したりなど、時折とんちんかんでありますが、
安心できるスタッフに囲まれて、穏やかな雰囲気でやっているようです。


「ここは長崎でいちばん高いところにあるとよ。」

部屋の窓からは長崎の市街地が見下ろせます。
自分がいる場所が大体はわかっているようであります。

 

さて、せっかくの長崎ですから、合間を見つけて、
鳥さんでも見られないかと稲佐山に上がってみました。
たかだか300㍍ほどの山ですから平地と同じほどの暑さであります。
暑いばかりで鳥の鳴き声も聞こえませんですな。


しょうがありませんので、展望レストランで昼食。
長崎の港を見下ろしながら、ちゃんぽんね。 ↓

 

 

 

そうして、暑い中をしばらく散策するも鳥さんに出会えず、
あきらめて帰りのバスを待っていると、聞きなれない鳴き声が!

 

 

ホオジロです。木の高いところで囀っておりました。

 

 

 

 

 

 

ということで、お山の鳥見もやれやれでありました。

 


ところで我が家のお墓はこんな崖の上。 ↓

 


お盆となれば、灯りのついた提灯でにぎわっていた墓地ですが、
最近はお参りの家族も少なく閑散としております。時代の移り行きですな。

 

15日の夜は精霊流し。家の中にいても遠く爆竹の音が聞こえてきます。

家のそばの道路を精霊船が通っていきました。

爆竹を鳴らしながら、坂道を勢いつけて上ってきます。 ↓

 

 


爆竹の音を耳から消してしまえば、
やはりあの歌の通りの哀惜の情がそこはかとなく漂っております。

 

長崎の郊外の15日の夜でありました。

 


 

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涼しいけど鳥さんは? 大台ケ原

2015-08-12 14:42:28 | 山歩き

(大台ケ原、少しだけ秋の気配も。 ↑ )

 


平地の公園ではあちこちに蝉が転がり始め、桜の葉も少しだけ色づき始めました。
とはいえ、猛暑は続き、鳥たちもさっぱりですので、
少々耐えかねて、昨日は鳥と涼を求めて大台ケ原までお出かけでありました。

 

 

 

上まで上がってみれば、さすがに涼しくありましたが、
コースをひと巡りもすると、やはり日向よりは木陰の休憩であります。
平地の猛暑はいくらかここまでも及んでいるらしく、鳥さん達も
どこへ行ってしまったのか、囀りもあまり聞こえませんでしたね。

山道をすれちがったお年寄り夫婦が、
「いや~鳥はどこへ行ったんでしょうね。もう渡ってしまったんでしょうか!?」
と、苦笑いしながら通り過ぎていきました。
ご夫婦それぞれで、りっぱな望遠レンズのカメラを三脚ごと肩に担いでおりました。

 

かろうじて見かけたのが、カケスさん。 ↓

 

 

それでも、なかなか、顔をこちらへ向けてくれないまま去っていかれました。

 

メボソムシクイらしいのが、さかんに囀りを聞かせてくれていたのですが、
暗い繁みの中で、なかなかシャッターチャンスをくれませんでした。 ↓

 

 

虫の音のような「チョリチョリチョリ、」という囀りで、間に「ギッ、ギッ、」
という鳴き声を出しますので、メボソムシクイだと思います。(たぶん)
秋には平地の公園でも渡りの途中で寄ってくれるはずですから楽しみです。

 

あとは、ヒガラ、コガラを数羽見かけた程度でありました。


こちらはヒガラさんの若鳥。↓ あごのおひげがまだ十分でありませんね。

 

 

 


まあこんな調子で、鳥さんも、もうひとつですので、
樹林の苔むした切り株の写真でもと、しょうがなく撮ってみました。 ↓

 

 

 

 

 


ところで、頂上近くの木道ベンチで持参のコンビニ弁当を開いてみれば、
何とお箸が入ってなくて、びっくり!?
食べるに食べれず、(おにぎりだと良かったのですが。)
しょうがないので、ハイキング終了後、駐車場の売店で
「吉野杉のお箸、20本入り」を購入。ようやく遅めの昼食でした。


そんなわけで、「吉野杉のお箸、19本入り」
これがこの日のなべ嫁さんへのお土産でありましたよ。

 


 

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酷暑の夏、お見舞い申し上げまする

2015-08-08 00:20:29 | 日記

ぼやぼや過ごしてるうちにあれあれと日にちが立ってしまっています。
もっとも、こんな酷暑は気が付かないうちに過ぎ去ってしまうのが良いのですが。

 

数日前には日中酷暑のお散歩を避けて、早起きし、早朝石川散歩を企てたのですが、
カワセミのチャンスは得られず、帰り道はやっぱり酷暑の中でありました。


早朝の石川河原から。↓

 

 


セッカを遠くで見かけました。↓

 

 

 

 


引き上げようとすると、イタチ(?)の出現! ↓

 

 

カエルをゲットしています。

 

 

そんなこんなでか、この2,3日は少し熱を出したりしましてダウンしておりましたね。
かといって、一日中部屋の中というのもうまくいかないものでして、
かえってエアコンにやられてしまうということもあるようであります。


そうして本日は、熱もどうにか下がって、お医者様の診察も終えて、軽めのお散歩。

 

公園の森の中、木陰に入っても暑いですが、待っていると木々を抜けてくる風がやや涼しい。
相変わらず、鳥さんはおりませんが、しつこく粘ってようやくメジロさんでした。
普通は見慣れているメジロさんですが、それでもご無沙汰ですからうれしいですね。

 

ご無沙汰のメジロさんね。↓

 

 

何だかメジロさんも暑さをしのぎながら木陰に隠れるように飛んでいます。

 

 

 

 

 

かんかん照りの帰り道の歩道、あるかないかの陰を見つけて歩いていると、
向こうから杖を突いて歩いてくるおじいさん。
とぼとぼ歩いているかと思うと、日照りの真ん中で立ちんぼうです。
あと五歩も歩けば日陰なんだけど・・・と思うのですが、どうにも仕様がなさそうです。
おじいさん、大丈夫かな~とすれ違う頃、ようやくまた歩き出しまして、
しばらくして、振り返ると、今度は無事に日陰の中で佇んでおりました。

スーパーの買い物袋を提げておりましたが、
近場の買い物もお年寄りにとってはなかなか命がけであります。

他人様の足取りをこうして気遣ってるうちに、見えない自分の背中が見えたり致します。
いつしかその足取りが乗り移って自分だって何だか怪しくなっていることに
気づいたりする、ということも何だかありそうやなぁと思うのでありました。

 

まったく、尋常でない酷暑が続きまする。やれやれね。

皆様、どうぞご自愛くださいませ。

 

 

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8月1日、恒例の花火です

2015-08-02 00:58:37 | 日記

猛暑です。8月1日です。花火十景ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やれやれ、これから夏本番ということでしょうか。
この猛暑、やり過ごすには、もうじっとしているしかありませんかね。

 

 

 

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鶴見俊輔が逝ってしまいました

2015-08-01 00:38:15 | 

山から帰って、数日分の新聞を広げてみると、鶴見俊輔の訃報が報じられておりました。

 

 


小田実が逝き、吉本隆明が逝き、そして鶴見俊輔。
次々と鬼籍へ入っていきますな。こちらがそれ相応に歳をとってきているので
やむをえないことではありますが、寂しくなるばかりです。


かつてその昔「ベ平連ニュース」なるものを取り寄せていた頃があって、
「イントレピッドの4人」の米軍脱走兵の援助活動が華々しく
掲載され、感心するところがありましたね。1967年のことでした。
記者会見の写真には緊張した面持ちの小田実と鶴見俊輔がいてちょっと印象的でした。
その2ヵ月後には原子力空母エンタープライズの佐世保入港阻止の闘争でした。
いわゆる「エンプラ闘争」ね。1968年1月。

高校3年だったわたくしのたぶん初めてのデモ参加ではなかったでしょうか。
もう半世紀近くも前ね。結構「ベ平連小僧」だったわけであります。


鶴見はどちらかといえば、ピラミッド的に理論を組み立てていくわけでなく、
平面で、拾えるだけの物を拾っていきながら織り広げていくような印象。
だからどこからも入りやすく、またその分とっかかりにくさもあったでしょうか。

この人すごいなぁと思い出したのはもっと後年になってからでしょうね。

「期待と回想」の自伝が何といっても面白いです。

平場に立って、決して手離さない思想の核を抱いています。

いくつかの本を引っ張り出してめくってみると、そのまま引き込まれて
しばらく読み返したりしております。


司馬遼太郎がこの国の行く末に不安を抱きながら逝き、
吉本は「これからの人類は危ない橋をとぼとぼと渡っていくことになる。」
と言って逝きました。
そして時代はますます居丈高で剣呑な風潮。

 

でも安保法案に若い者が完全と声を上げ始めたその声を聞きながら
鶴見は逝ったのだとすれば、少しは希望を抱いて逝ったのかもしれませんね。


93歳だったとか。(合掌。)

 

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