健康診断を始め色々な検査を受診し、病気の早期発見や予防が大切であることが叫ばれていますが、そういったものは不必要であるという極端な意見があります。
確かに私も一般の健康診断は勤務していたころの習慣で受けていますが、人間ドックなどの精密検査や内視鏡検査などは受けたことがありません。ここでは検診によりガンを見つけることが、全ての人の寿命の延長につながるとは限らないとことが基本のようです。
検査でガンが見つかると医師から「治療をしなければ後何年しか生きられない」と言われますが、治療しなければどのくらい寿命が持つのか、根拠のあるデータは存在しないと言います。
そもそも戦後まもなくは、現在ほど医療技術も発達しておらず、未然に検査を受けるという発想すらありませんでした。現在健康な高齢者に見つかるガンは、多少例外はありますがほとんどがおとなしいガンです。
つまり自覚症状もなく、それを検査で無理やり見つけて手術しているのが現在の医療としています。たとえ1センチ以下のガンであっても、ガン細胞には血液が流れており、そこでメスを入れれば当然出血するので、身体中にガン細胞がばらまかれてしまうことになります。
さらに傷を治すために増殖因子というタンパク質が体内にできますが、これが組織を修復する一方でガン細胞も育ててしまうことになります。そのため欧米では検診でガンを掘り起こして、無意味で有害な治療をするのは止めようという動きが広がっているそうです。
アメリカではガンと呼ばれない小さな上皮内の腫瘍も、日本ではガンと診断され、それが日本の手術の成功率を押し上げているというような意見もあります。
さらに欧米では健康診断を受ける人と受けない人、どちらが長生きかを調べた結果、総死亡率は変わらなかったというデータもあるようです。現在のガン検査は、10年前からできていた極小なガン細胞が、やっと検査で発見できるレベルまで成長したものを「早期」と言っているにすぎないようです。
現在先進国ではガンによる死亡者数が減少しているのに対し、日本は増加しています。これは単に日本人の平均寿命が伸びた証拠と考えられるようです。また一方で一昔前なら老衰や心不全で亡くなっていたのが、何歳になっても検査が推奨されるため、人生の晩年でガンが発見されガンが死因として増加しているとも考えられます。
健診でガンを見つけたために、残りの人生を治療に費やし、手術や抗ガン剤で最後は身も心も憔悴して亡くなるのが良い事かは難しいところです。このあたりはその人の死生観であり、どういった選択をするのかは自分で決めるべきものだと思っています。
確かに私も一般の健康診断は勤務していたころの習慣で受けていますが、人間ドックなどの精密検査や内視鏡検査などは受けたことがありません。ここでは検診によりガンを見つけることが、全ての人の寿命の延長につながるとは限らないとことが基本のようです。
検査でガンが見つかると医師から「治療をしなければ後何年しか生きられない」と言われますが、治療しなければどのくらい寿命が持つのか、根拠のあるデータは存在しないと言います。
そもそも戦後まもなくは、現在ほど医療技術も発達しておらず、未然に検査を受けるという発想すらありませんでした。現在健康な高齢者に見つかるガンは、多少例外はありますがほとんどがおとなしいガンです。
つまり自覚症状もなく、それを検査で無理やり見つけて手術しているのが現在の医療としています。たとえ1センチ以下のガンであっても、ガン細胞には血液が流れており、そこでメスを入れれば当然出血するので、身体中にガン細胞がばらまかれてしまうことになります。
さらに傷を治すために増殖因子というタンパク質が体内にできますが、これが組織を修復する一方でガン細胞も育ててしまうことになります。そのため欧米では検診でガンを掘り起こして、無意味で有害な治療をするのは止めようという動きが広がっているそうです。
アメリカではガンと呼ばれない小さな上皮内の腫瘍も、日本ではガンと診断され、それが日本の手術の成功率を押し上げているというような意見もあります。
さらに欧米では健康診断を受ける人と受けない人、どちらが長生きかを調べた結果、総死亡率は変わらなかったというデータもあるようです。現在のガン検査は、10年前からできていた極小なガン細胞が、やっと検査で発見できるレベルまで成長したものを「早期」と言っているにすぎないようです。
現在先進国ではガンによる死亡者数が減少しているのに対し、日本は増加しています。これは単に日本人の平均寿命が伸びた証拠と考えられるようです。また一方で一昔前なら老衰や心不全で亡くなっていたのが、何歳になっても検査が推奨されるため、人生の晩年でガンが発見されガンが死因として増加しているとも考えられます。
健診でガンを見つけたために、残りの人生を治療に費やし、手術や抗ガン剤で最後は身も心も憔悴して亡くなるのが良い事かは難しいところです。このあたりはその人の死生観であり、どういった選択をするのかは自分で決めるべきものだと思っています。