昨日の記事で取り上げたヴァイツゼッカー『生命と主体』は、本文が二百頁に満たない小著だが、内容はけっして易しくはない。しかし、著者の医学的人間学の要諦を把握するための手掛かりはいたるところに与えられている。本書を構成する二編のうち、「ゲシュタルトと時間」は、ワイツゼッカー思想の根本概念である「ゲシュタルトクライス」へのよき導入となっている。「アノニュマ」は、四十の短章からなっており、心身医学的な臨床経験に基づいた様々な洞察がそこには示されている。それらはとても示唆に富んでいて、短章の一つ一つがそこで立ち止まって自ら考えることへと読者を誘う。全体として何かできあがった教説を垂れることが目的ではなく、読者が自ら考えるためのヒントが散りばめれられている。その中には容易には承服し難い主張も含まれており、著者に対して反論を試みたくなる箇所も一つや二つではない。しかし、それこそ著者の望むところなのだ。「読者がそこからさまざまな着想をえたり異議を持ち出してくれるなら、つまり本書から逸れたり反論したりしてくれるなら、それこそ理解の名に値することだと思う」(83頁)と序文の最初の段落で述べられている。その序文はこう結ばれている。
私が試みようとしているのは危険な独り言である。そして嘘も言おうと思う。間違いはいつでも嘘だということを知っているから。そして間違いが[読者との]対話の中で明るみに出ることを信じているから(85頁)。
著者の独り言を対話へと変容させ、そこから生きた思想を取り上げ、自らそれを育てること。本書の読者に求められているのはそのような能動的で生産的な批判的読解作業である。