存在的属性には、「ある」か「ない」か、「必然的にある」か「偶発的にある」か、「持続的にある」か「束の間ある」かなどの違いはあるにしても、これらの属性だけで私たちの人生の出来事が構成されているわけではもちろんない。
それらの存在的属性に対置されるだけでなく、それらをより深いところで規定しているパトス的属性は、自由と必然、「したい」、「ねばならぬ」、「しうる」、「すべきである」、「してもよい」などの様態として展開される。しかも、それらの様態は、ある人称性をもつことではじめて意味をもつ。例えば、「私はしたい」、「君はできる」、「彼はしてもよい」など。
このことは、行為の主体は、異なった人称同士の関係とその変化の中で規定されるということを意味している。
パトス的範疇を用いる際には必ず、それが或る他者に対するかかわり Verhältnis のうちにおかれた誰かへと向かって具体化するということが生じざるをえない。生物学的なものに属する諸範疇は、単に主体的であるばかりでなく、社会的でもある。生命とは個体であるとともに社会でもある。(296頁)
生命の世界における行為の主体の個体性と社会性とからなるこのような動的な構造の円環、それがゲシュタルトクライスであり、その中で自らも行為主体として各個体を別の主体として捉え、その行為のパトス的様態を観察・記述し、個々の問題の解決を探ること、それが生命の方法としてのゲシュタルトクライスにほかならない。