内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

懐かしき本たちとの再会

2017-01-09 20:28:45 | 読游摘録

 年末年始の帰国中にこちらに発送した蔵書の一部が今朝届いた。小型の段ボール箱で三つ。日本に残してあった蔵書の二十分の一にもならない。送る前には選択に随分迷った。大半が仏語の本だが、若干英語の本もある。日本語の本で今回届いたのは、かねてから手元に置きたいと思っていた、ちくま文庫版『柳田國男全集』全三十二巻。大学の日本学科の図書室には『定本柳田國男全集』が揃っているから、これまでは必要があれば大学に出向いたついでに借り出していたが、柳田國男の著作には何かと参照したい箇所があり、手元に全集がほしかった。この文庫全集は、全部並べても本棚一段ちょっとと場所も取らず、簡単に手に取れて大変便利。初版刊行時の1989年から1991年にかけて順次揃えていった。購入後四半世紀を過ぎて、ようやく落ち着き場所を見出したと言えようか。
 別送で送ったこの三箱とは別に、スーツケースに詰め込んで持ち帰った本も数十冊ある。その中の一冊はことのほか懐かしい。二十歳以前に購入した本でそのまま売らずに残しておいた本はほんの僅かしかないのだが、その一冊がノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出』(講談社現代新書)である。背表紙は日焼けと手垢で黒ずみ、天には斑点状の染み、小口も茶色に変色している。購入したのは1977年の第四刷だから、ちょうど四十年前。以来何度繰り返し読んだことだろう。
 訳者は、当時ハーバード大学で日本文学・日本語を教えていた板坂元氏。「アメリカで教鞭をとっていて、さまざまな問題にぶつかって行きなやんでいる学生に、私はよくこの本を読ませることにしている」と板坂氏は「訳者あとがき」に記しているが、私もそんなときに繰り返しこの本を読んだ。今日もまた、これがいったい何回目になるのだろうか、おそらく三十年振りくらいに読み返して、しばし感慨に耽った。同書には、人として何か決して忘れてはいけないことが書かれている。
 マルコムのウィトゲンシュタイン回想は次のように結ばれている。

 四月二十七日、金曜日、彼は昼すぎ散歩にも出たが、その夜、病状が急に悪化した。頭はずっとハッキリしていて、医師から、あと二、三日しか持たないだろうと言われたとき、「わかりました!」と叫んだ。意識を失う前に彼はベバン夫人に(夫人は夜っぴて彼に付き添っていた)、「僕の人生はすばらしかった、とみんなに言ってください」と言った。みんなとは、きっと自分の親しい友達のことを指していたのだろう。すばらしい人生、彼の底しれないペシミズム、たえず持ちつづけた道義的な苦しみ、冷酷なまでにきびしく自分を追いつめていった知識への情熱、そして愛情を必要としながらも、愛情を遠ざける結果となった他人に対するきびしさ、といった彼の人となりに思いをいたすとき、ウィトゲンシュタインの人生はひどく不幸なものだったと私は考えたくなる。けれども、その生涯の終りに、彼自身はすばらしい人生だったと叫んだ。私には、この言葉は不可解である。けれどもまた、不思議にも人を感動にさそい込む響きを持っている言葉でもある(133頁)。

 On Friday, April 27th, he took a walk in the afternoon. That night he fell violently ill. He remained conscious and when informed by the doctor that he could live only a few days, he exclaimed ‘Good!’ Before losing consciousness he said to Mrs. Bevan (who was with him throughout the night) ‘Tell them I’ve had a wonderful life!’ By ‘them’ he undoubtedly meant his close friends. When I think of his profound pessimism, the intensity of his mental and moral suffering, the relentless way in which he drove his intellect, his need for love together with the harshness that repelled love, I am inclined to believe that his life was fiercely unhappy. Yet at the end he himself exclaimed that it had been ‘wonderful’! To me this seems a mysterious and strangely moving utterance (N. Malcolm, Ludwig Wittgenstein. A Memoir, Oxford, Second edition, 2001, p.81).