内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

蛙に向かって「なぜお前は臍がないのか」と問うことの理不尽についてのテツガク的考察

2018-05-19 12:07:49 | 哲学

 昨日の記事の末尾でお約束したことを舌の根も乾かぬうちに反故にして、今日もまた「よくそんなくだらないこと考えられるよねぇー」ってなお話です。ですから、ここまで読んで「アホくさ」と思われた方にあられましては、ここで弊記事のページをお閉じになられますようお願い申し上げます。
 さて、世間では、他者に対して配慮ができない人に対して、「なんて無神経なの、信じられなーい」と、お怒りの方も少なくないことと拝察申し上げます。
 しかし、これは私がかねがね愚考していることなのでありますが、このような非難は不当であります。だって、相手は神経がないんですよ、だから感じようがないってことでしょ。
 にもかかわらず、このように相手を非難することは、蛙に向かって「てめぇ、何で臍ねーんだよ」と難癖つけることと同じくらい不当なことなのであります。
 こんな不当な非難を受けた蛙の立場にもなってみてください。「そ、そんなぁ、もともとないのに……」って、凄くショックを受けて、思いつめたあまり、古池に飛び込み自殺しようとするかもしれませんよ。
 同様に不当な非難の例を二三挙げますと、ニシキヘビに向かって、「クネクネしてねーで、なんで一直線に進めねーんだよ、男だろ!」とか、イノシシに向かって「猪突猛進してんじゃねーよ。なんでヘアピンカーブちゃんと曲がれねーんだよ。そんなことでF 1レーサーになれると思ってんのかよ」とか、ライオンに向かって、「なんでそんな面デケーんだよ。今は小顔じゃなきゃ、ゲーノー界で生きていけねえんだよ」とか。
 もう一歩踏み込んで、別の例を挙げますと、現在のジャパンのプライム・ミニスターに向かって、「何でさっさとやめねーんだよ」というのも、ほぼ同じようなものです。
 では、どうすればいいのでしょうか。残念ながら、どうしようもないですね。せめてできることと言えば、神経と良識と判断力がある一般市民が、忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、情況全体を冷静に俯瞰し、理性に基づいた判断を原則とし、その場その場では迅速にプラグマティックな選択を実行していくことくらいでしょうか。