内的自己対話-川の畔のささめごと

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戦争と哲学者 ― カール・レーヴィットの場合(一)十七歳の熱狂

2018-05-13 19:51:58 | 哲学

 二十世紀哲学史において、ある一人の哲学者が戦争期をどこでどう生きたか、あるいは哲学者として認められる前の青少年期に戦争をどこでどう生きたかを知ることは、その哲学者がどのような命運の下に己の哲学を形成していったかを理解するために、しばしば決定的な重要性をもっている。
 二つの世界大戦の両方あるいはいずれかを、何歳ごろ、どこで、どのような立場で経験したかによって、哲学者たちをある一定の座標軸において「マッピング」することは、二十世紀哲学史の理解に資するところがあるだろう。
 カール・レーヴィットは、一八九七年、南ドイツ、バイエルン地方の古都ミュンヘンに生まれた。母マルガレーテはアリーア系、父ヴィルヘルムは、チェコスロヴァキア中央部、モラヴィア出身のユダヤ人であるが、ドイツを祖国とし、ミュンヘンを故郷とした。
 一九一四年七月、第一次世界大戦が勃発したとき、高校生だったレーヴィットは、ミュンヘン郊外のシュタルンベルク湖畔で家族とヴァカンスを過ごしていた。その三ヶ月後、十七歳のレーヴィットは志願兵として陸軍に入隊する。
 後年、一九三〇年代後半に東北大学で教鞭を取っている間に執筆された自伝的文章でレーヴィットは当時のことを回想している。
 同世代の他の多くの青年たちと同様、己自身に至る途は日常の規範ときっぱりと袂を分かつことによってしか開かれないと、すでにニーチェの影響下にあった十七歳のレーヴィットは確信していた。それゆえ、ある種の熱狂のうちに志願した。なぜなら、未来の「共同存在の現象学」の哲学者にとって、その戦争は、前世紀の決定的な幕引きを意味したばかりではなく、一つの時代の終焉を告げるものであり、そのことは、とりもなおさず、ヨーロッパ文化の新たな幕開けにほかならなかったからである。