内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

近代日本の青春時代と重なる政治家の青春時代 ―『高橋是清自伝』

2018-05-28 20:51:10 | 読游摘録

 日本から地理的には遠く離れ、故国の政治状況についてはこれをネットのニュースで知るだけである。だから、以下に記すことは、そんな「非国民」の独り言である。
 今の日本は、おそらく日本近代史上最も愚かな宰相とその取り巻きによって左右されているという印象を私は拭うことができない。とはいえ、そんな日本に今さら絶望しているようなポーズをとったところで無益である。むしろ、私が真実を見損なっていることを願う。
 近代日本国家建設の功労者の一人として高橋是清の名を挙げることにはおそらく誰も異論はないであろう。その高橋が自伝の序文を記したのは、昭和十一年一月、すなわち二・二六事件で凶弾に倒れる前月のことだった。
 一八五四年(安政元年)、幕末の激動の中で生を受けた是清の生涯は、明治・大正・戦前昭和に渡る文字通り波乱万丈の生涯だった。
 十四歳でアメリカに渡り、奴隷扱いを受けるなど辛酸を嘗める海外生活を経験し、帰国後は英語教師・農商務省の官吏などを経て、ペルーの銀鉱山経営に乗り出すも失敗し、落魄する。しかし、日本銀行に職を得、外債募集に辣腕を振るう。その後、大正・戦前昭和に数度大蔵大臣に請われる。大正十年から十一年にかけては、七ヶ月とはいえ、首相も務める。
 中公文庫版『高橋是清自伝』下巻の解説は、学習院大学学長井上寿一先生がお書きになっている。その一節を引く。

 高橋は栄達を求めて刻苦勉励の人生を歩んだというよりも、自身の気持ちに忠実に行動した結果として、高位高官を極めた。高橋の立身出世の原動力となったのは、外国語(英語)能力と経済に関する広範な知識だろう。だからといって、これらの能力があれば、必ず立身出世するとは限らない。
 幕末維新の大変動を経て、明治国家は急速な近代化をめざした。しかし官僚制は未確立で、「官」と「民」との間で流動性が高かった。立身出世の社会システムも未整備だった。そうだからこそ高橋のような生涯が可能になったのだろう。
 別の言い方をすれば、高橋の青春時代は近代日本の青春時代と重なる。

 平成も終わりを告げようとしている今、日本国家は、その社会が超高齢化社会になっているように「老齢期」に入ったばかりでなく、国家として「認知症」を発症してしまっているのであろうか。