フライブルクでは、一九一六年以来、H・リッケルトの後任として、フッサールが正教授として哲学を講じていた。その地にレーヴィットがやってきたのは一九一九年春のことである。
当時のフッサールの学問に対する姿勢について、レーヴィットはとても印象深い回想を書き残している。『共同存在の現象学』巻末の熊野純彦による「解説」から、その箇所をそのままここに引用しておきたい。
ひとつには、演習におけるフッサーが、高額紙幣によってではなく、つねに「小銭」で、つまり現象の直観に照らして吟味された、控え目なことばで答えるように指導していた、というエピソードである。もうひとつは、フランス軍がフライブルクを占領するという風聞が流れ、講義室に学生のすがたもまばらとなったそのときにも、この「最小のものの、偉大な探究者」は「学問研究のひたむきな真剣さは、この地上のなにものによってもかき乱されることなどできない」といわんばかりに、すこしもかわらず淡々と地味な講義をつづけた、という挿話にほかならない。(446頁)
学問的探究の姿勢がそのまま倫理的態度でありえたこの一人の偉大な哲学者の姿は、当時フライブルクでフッサールの指導を受けていた山内得立にも深い印象を与えたことであろう。