内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「タナアゲニスト」の悲哀、あるいは「タナアゲニズム」という勇気 ― K先生個人編集『世界ワカランチン語辞典』(非売品)より

2019-12-19 05:33:38 | 雑感

 「タナアゲニスト」とは聞き慣れない言葉である。そこで、こんなとき頼りになる、世界にたった一部しか現存していないK先生個人編集の『世界ワカランチン語辞典』(非売品)で調べてみた。すると、ちゃんと載っている。「自分のことを棚上げにして、他人について偉そうにあれこれと説教を垂れることを無意識に行動の原則としている残念な人たちのこと。親・教師・評論家に多い。」耳が痛い定義である。私、タナアゲニストの典型じゃねぇ?
 でもねぇ、開き直るわけじゃありませんが、教師稼業をいたしておりますとね、自分のことを棚上げにしなけりゃ、やってられないときもあるんですよ。特に、私みたいに体の組成の九割以上が「ダメノイド」という酵素に侵されているニンゲンなんかは、タナアゲニストにならなきゃ、何も言えませんよ、ホント。
 それにですね、自分のことを棚上げにして、大事だと思うことを人に向かって発言する勇気を持つことが必要なときもあるじゃないですか。
 上掲の辞典にも「タナアゲニスト」の次に「タナアゲニズム」という項目があることを見落とすわけにはいかない。その項目を読んでみよう。「「タナアゲニスト」からの派生語。① 社会現象として広く観察されるタナアゲニスト的な態度のこと。例「この教団はーに深く侵されている」② 自分のことはひとまず棚上げにして、誰も口にしようとしない真実を公共の場で発言する勇気ある態度、あるいはそのような態度を信条とすること。例「ーが社会を変えるきっかけになることもある」」
 ちなみに、この項目の末尾には、参照項目として、「パレーシア」「ミッシェル・フーコー」が挙げられている。