内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

西洋と日本の間に「空の細道」を架橋する工事 ― K先生の『反則哲学講義録 ストラスブール編』(鋭意編纂中)より

2019-12-02 16:52:45 | 哲学

 先週金曜日の講義「近代日本の歴史と社会」では、その前の週の金曜日の授業をパリ・ナンテール大学でのシンポジウム参加のために休講にしたので、「お詫び」のしるしとして、シンポジウムでの私の発表内容のおおよそ公開するという「スペシャル・メニュー」を授業の半ばに挟み込んだ。
 「この発表はかなり哲学的な話です。皆さんの中には、日本学科にはふさわしくないこうした内容を一方的に押し付ける私の授業に対して不満のある方もいることでしょう。その場合は、K学科長に抗議してください。彼は皆さんの言い分をよく聞いてくれると思いますよ」と真面目くさった顔でもっともらしく前置きして教室の空気を笑いで和ませてから、やおら発表原稿を読み上げ始めた。
 ナーガールジュナの「空」の思想を、 Françoise Dastur 先生の Figures du néant et de la négation entre Orient et Occident, Éditions Les Belles Lettres, collection « encre marine », 2018 に依拠しながら説明しているとき、途方に暮れたように顔を見合わせて苦笑している学生が少なくなかったが、これは致し方あるまい。この上さらに第三部の認知科学と現象学から見た「空」思想の現代性という話をしては、何人か卒倒しかねないと危惧されたので、そこは見出しだけ見せて飛ばした。
 そして、当の発表では時間切れで一言しか触れられなかった第四部に十分ほど充てた。バシュラールの『空と夢』第6章「青空」から何箇所か引用しながら、詩的表象を素材とした西洋から日本へと通じる「空の細道」の架設工事の現場を学生たちに見せるためである。ここはかなり興味を持って聴いてくれたと思う。
 このテーマについては、昨年の3月25日の記事から「青空から虚空へ―西から東への哲学的架橋の試み」と題した連載を15日に渡って行ったが、それっきりになってしまっている。その他にもあちこちやりかけの工事が「人手不足」で中断したり、「諸般の事情」で作業が著しく遅れたりしているのは誠に情けない話である。