内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

隠れ「自己ファースト」な人たちは厳しい現実から眼を背けるために美辞麗句の美酒に酔う

2019-12-18 23:59:59 | 雑感

 今日の記事の異様かつ意味不明な長いタイトルをご覧になって、思わず気を唆られ、うっかりこのページにアクセスしてしまった不幸な犠牲者の方たちが、もしかしたら、いらっしゃるかも知れません。でも、ご安心ください、拙ブログは悪質サイトではありません(もちろん、一般に、悪質サイトは「これは悪質サイトです」とは表明しないという事実は認めなければならない)。
 ケッコー出鱈目なことを書き散らしている拙ブログではありますが、書いている本人は、いつだって真面目なのです。本人がそう言っているのですから、間違いありません(世の中、それで事が済むのなら、警察も検察も弁護士も裁判所もいらない)。
 ソレハサテオキ、関係各位に迷惑をかけないといういつもの原則にしたがって、書いている本人以外にはほぼ意味不明な一文を弄することをお許しください(そんな怪文は誰も読まない)。
 なんかやたらと「キレイ」な言葉を並べたてる人の話を聴いているときの私の反応は以下の通りです。五分もすると、背中がむず痒くなり、十分経過すると、どす黒い不快な気分が心中に蔓延しはじめ、十五分過ぎると、体に悪寒が走り震えはじめ、二十分を超えると、その場から逃げ出したくなる。それでも我慢して聞き流していると、翌日起き上がれないほど体調が悪くなってしまう、というのはさすがに冗談ですが、ヨウスルニ、それくらい、いやだってことです。
 なんでか。それは、その人が、美辞麗句で身を包み、我が眼を覆い、厳しい現実を見ないようにしていることがわかるからです。なぜもっと率直に自分のダメなところをそのとおりダメだと認められないのだろうか、どうしてそう「キレイゴト」にしたがるのだろうか、そんなことしても決して前には進めないのに。本人はもちろん自分のそうした姿勢を自覚していません。
 そういう人たちは、あからさまに自己中心的に振る舞うことはありません。なぜなら、それは彼らの「美学」に反するからです。が、実のところ、彼らは自己ファーストのナルシストたちでしかありません。他人の話なんか、ほんとうは何も聴いていないのです。当然、そういう人とはこちらも話したくなくなります。コミュニケーションが成り立たないのですから。