到達不可能だとわかっている理想的なものへの憧憬に終始するだけで、敵意に満ちた現実世界の中に身を投げ入れ、その現実世界との和解とそこでの承認を獲得しようとしない無為性をヘーゲルは批判する。ヘーゲルにとって、哲学の役割は、精神が世界の中に意味を見出し、世界と和解し、そこに己自身を発見し、己を取り戻すことそのことにほかならない。
このような哲学的立場から、ヘーゲルはロマン主義批判を諸著作のなかで繰り返している。その批判の矛先は、現実逃避とただ恋い焦がれるだけの精神状態へと向けられている。
『美学講義』の中でも、ヘーゲルは、到達不可能なものへの憧れに安住するロマン主義者たちを批判している。民衆詩の素朴さを再び見出そうとするロマン主義者たちの「物憂げな憧憬」を批判する。同様な態度を批判するために、 « Sehnsuchtigkeit » という造語まで行った。ノヴァーリスに対しては、有限性に触れることで「穢れる」ことをおそれるゆえに、現実の行動と生産に携わることへと身を低めることを拒否する「物憂げな憧憬」に終始するその思想を批判する。