内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

情緒論素描(十)― 人間存在の根本的な構造契機としての〈なつかしさ〉

2020-10-01 23:59:59 | 哲学

 風土とは、〈なつかしきもの〉そのもののことであり、その〈なつかしさ〉が情緒の根幹であるとすれば、〈なつかしさ〉こそが人間存在の根本的な構造契機であると言えないであろうか。
 それが正しいとわかっていても、それに素直には従えない抵抗感を覚えるときがある。ある真理が論理的な論証のレベルにとどまるかぎり、それに完全には馴染めないと、違和感を覚えるときがある。美しいものに讃仰の念を持ちつつ、その美しいものは自分とは無縁だと諦めの気持ちを懐くことがある。
 古語〈なつかし〉が示す情は、それらの感覚・感情とは明らかに異なる。「そこにいつまでもいたい」、それが「なつかし」ということだからだ。それゆえにこそ、失われた大切な過去・物・場所・人などについても「なつかし」という用法が後世に生まれた。ここを間違えてはいけないと思う。
 凡夫の身、外界すべてが「なつかしい」とは、正直、私は思えない。しかし、自分はいったい何に一番「なつかしさ」を感じるのかと自問してみることは無駄ではない。
 「何が正しいか」「何を為すべきか」「何を追い求めるべきか」― これらの問いにただ理性的に正しい解答を与えることができても、私たちの生活は何も、あるいはほとんど、変わらない。「それが正しいとして」という仮定の上にしか成り立たない仮構の世界は、どこまでも「非情」の世界であり、そんな世界で私たちは長いこと息ができない。
 「なつかし」の情は、懐古趣味に浸ることでも、失われた過去に縋り、現実から逃避することでも、ある対象への盲目的な執着でもない。この古語には、本来、「ここでいつまでも生きていたい」という、自分がそれらとともにあることどもへの限りない愛とそれがもたらす喜びとが込められている。この美しい一語が自ずと発されるとき、〈現在〉が、いま、ここで、肯定されている。