今、必要があってパーソナリティ障害関連の書籍を読んでいるのだが、なんか自分のことを言われていると思わざるを得ないような箇所もちらほらあり、また周りを見ても、それらの本の記述が当たらずとも遠からずというケースも少なからずあり、世の中、パーソナリティ障害だらけじゃん、とさえ言いたくなってしまう。
中でも、岡田尊司の『パーソナリティ障害』(PHP選書 2004年)は、抜群に説明がわかりやすく、かつ障害に苦しむ人たちへの情愛が文章に滲み出ていて、読んでいるだけで、こちらの尖った気持ちを和らげてくれる。精神科医でありかつミステリー作家でもある著者は、実に比喩の使い方が巧みで、難しい言葉を使わずに問題の所在を的確に示してくれる。
著者によれば、パーソナリティ障害は、一言で言えば、偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活に支障をきたした状態である。裏を返して言えば、性格がかなり偏っていても、家庭生活にも社会生活にも支障をきたさなければ、それはパーソナリティ障害ではない。
その偏りの度が過ぎると、本人にとっても、周りにとっても、困る場合が出てくる。つまり、これは関係の中で発生する障害であり、問題の当人独りの問題ではない、ということである。著者が言うように、パーソナリティ障害とは、「バランスの問題であり、ある傾向が極端になることに問題があるということである。パーソナリティ障害かどうかのポイントは、本人あるいは周囲が、そうした偏った考え方や行動でかなり困っているかどうかということである。」
つまり、困っているなら、困らないように関係を改善するにはどうすればいいかということが問題なのであって、本人の非を責めて追い詰めても、何の解決にもならないどころか、かえって事態をさらに深刻化させかねない。もちろん、完全に排除するということも、関係する当事者たちにとっては一つの解決策ではあるだろう。しかし、多くの場合、事はそれほど単純ではない。
それに、医療従事者が患者としてパーソナリティ障害に苦しんでいる人に対する場合と、その人と家庭生活や社会生活や職業生活の中で関わっていかざるを得ない人たちの場合とでは、自ずと対処の仕方が違ってくる。現実には、後者の場合が圧倒的多数を占めているのだから、一般人もパーソナリティ障害への適切な対処の仕方を身につけることを求められている時代に私たちは生きていると言わなくてはならないだろう。