内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

現代社会の病としての境界性パーソナリティ障害

2020-10-21 23:59:59 | 読游摘録

 以下、岡田尊司の『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書 2009年)からの摘録である。摘録の後に、若干の私見を加える。
 境界性パーソナリティ障害というときの境界性とは、ボーダーラインの訳である。神経症と精神病の境界性という意味で使われる。医療従事者でも、境界性パーソナリティ障害についての十分な知識と経験を積んでいないと、誤った治療方針を立ててしまい、結果として、かえって状態を悪化させてしまうことがある。
 九〇年代以降、ごく普通の家庭でも、境界性パーソナリティ障害をもった家族を抱え、あるいは自分自身でそうした問題で悩み、どう対処すればいいのか、どう克服すればいいのかと悩んでいる人が急増している。もはや「患者」にどう対処するかという問題に尽きるものではなく、「現代社会病」とさえ言える。
 境界性パーソナリティ障害は、元々ある「性格」の障害ではない。あるきっかけから、そういう状態になるのである。発症のきっかけと原因は別である。きっかけはいろいろとありうるが、それは発症の最後の一押しに過ぎず、原因は別のところにある。とはいえ、きっかけは原因と無関係だというわけではない。きっかけとなる出来事は、かつての心の痛みを蘇らせるような性質を備えている。
 境界性パーソナリティ障害の診断基準としては、アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-IV がもっとも一般的である。ただし、これは操作的な診断基準と呼ばれるものであり、チェックすべき症状のうちのいくつ以上が該当する場合には、その診断を下すと便宜的に決めたものである。
 本来、疾病の診断は、原因を含め、障害が起きるメカニズムを突き止めた上でなされるのが理想的である、DSMでは、病因や病理ということは抜きにして、統計学的に関連性の高い症状により、症候群として診断を行っているに過ぎない。
 最近では、背景にあるメカニズムについて、かなり解明されてきており、実際の診断では、熟練した精神科医ほど診断基準を単純に当てはめるということはせず、その背景にある根本的な問題を把握した上で、全体像として捉えるというふうに行われるのが普通である。
 しかし、障害の程度がかなり深刻でも、それらの人たちが全員精神科医の診療を受けているわけではなく、本人も周囲も問題を抱えたまま苦しんでいる場合が少なくない。ところが、全員が診療を受けることは、現実の医療体制からして事実上不可能である。つまり、境界性パーソナリティ障害を抱えた多くの患者を「野放し」のままにしておかざるを得ないのが現代社会だ。
 言い換えれば、医者でもない普通の人たちが、自分の身近にいるそういう人たちに対する適切な対処の仕方をあるところまでは心得ていないと、境界性パーソナリティ障害は、社会問題として深刻化する一方だということである。