内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

情緒論素描(十四)― エトスとエートス

2020-10-06 23:59:59 | 哲学

 エートスは、昨日の記事で引用した『世界大百科事典』の「エートス」の項では、「行為性向」と訳されている。確かにこう訳せばエトス(習慣・慣習・慣用)とかなり明確に区別できる。しかし、エトスもエートスも古代ギリシア語の eiôtha (「私は(~する)習慣がある」)から派生した語であり、どちらもその本来的意味として「習慣性」を共有している。
 しかし、そこから両者は二つの異なった方向に意味を発展させていく。エトス(ethos)は上に挙げたように、習慣・慣習・慣用という意味に固定されてゆき、「この都市での習慣あるいは慣習」を意味する用法が、例えばトゥキディデスの『戦史』に見られる。そして、ethei は副詞的に「習慣・慣習によって」を意味し、phusei(「本性によって、生まれつき」)に対立する(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)。そこからアリストテレスは、人間の良さに関する諸学説を、それが本性によるとする学説、習慣によるとする学説、教育によるとする学説にわけ、それらを互いに対比的に捉えている。
 他方、エートスは、複数形で用いられるとき、動物あるいは人間の通常の居住域を意味した。単数形では、「習慣的な在り方、性向、性格」を意味し、その良し悪しが論じられるようになる。
 エートスは、アリストテレスの詩学の術語の一つとなる。登場人物の特徴を表す諸性格(êthê)は、筋(muthos)、語法(lexis)思想(dianoia)、視覚的装飾(opsis)、旋律(melopoia)ともに悲劇の六構成要素の一つに数えられる。
 弁論術においては、雄弁家の性格は、聴衆のパトスと説得術としてのロゴスとともに、雄弁家の技術的力量を示す指標である。これらは雄弁家自身によるものであり、偶有的な外的要因とは区別される。
 良き雄弁家は、自分の言説を聴衆に適合させるために、諸性格についての理論を身につけていなければならないだけでなく、自分の言説を展開する政治体制の性格に適合した性格を自分が持っていることを示す必要がある。さもなければ、聴衆の信頼を獲得することはできず、したがって、説得もできない。単に修辞に長け、論証にすぐれているだけではなく、その場の聴衆に相応しい言説が展開できる人とならなければ、良き雄弁家にはなれないということである。
 エートスの知があってはじめてレトリックは有効なものとなる。このエートスの知は、単に諸性格についての理論的な知(心理学)ではなく、その場に相応しい良き性格を備えているということもその中には含まれている。しかし、レトリックなきエートスの知は説得的な言説たり得ない。